12年前、新聞社の文化部で唐十郎初の新聞小説を担当した。いかにも唐的な「朝顔男」という題名の小説が軌道に乗ったころ、唐さんから「軍艦島に行きましょう」と話があった。浅草や新宿界隈をうろつく主人公、奥山六郎を東京から離れたどこかへ連れ出そうと考えたらしい。
当時、軍艦島は廃墟化した建物が危険なため、上陸は禁じられていた。石炭の採掘跡のような場所も見たほうが小説のヒントが多いのではと考えてネットで調べたら、同じ長崎県に池島炭鉱というのがある。坑道を下って地下の様子が見られるというのが魅惑的で、取材旅行の日程に加えた。
挿絵担当の漫画家のうらたじゅんさんに、資料になる炭鉱跡の風景などを写真に撮って渡そうと、池島炭鉱ではあちこちにカメラを向けながら、それとなく唐さんの様子をうかがっていた。大胆不敵に見えて、濃やかでまめな人である。手書きの台本を見せていただいた時は、無地のノートに米粒のような文字が整然と並んでいるのに驚嘆させられた。取材も細かくやるのではと思っていたが、坑道の天井など眺め、場所の空気に身を委ねている。
唐さんの目の色が変わったのは、炭鉱労働者が退職後に年金をもらうための手帳があったと案内の職員の方に聞いた時。炭鉱の歴史をたどる展示コーナーの新聞記事に、それは載っていた。手帳は表紙の色から「黒手帳」と呼ばれたと知って、唐さんの中で何かが抑えがたく沸き立つのが感じられた。
「朝顔男」が始まったその年の唐組春公演は、小説と対をなす「夕坂童子」。黒手帳は「朝顔男」後半に登場し、翌年春の唐組公演は「黒手帳に頬紅を」だった。唐さんにとって「黒手帳」の響きと思い描いた質感が、創造の突破口になったことは間違いない。取材旅行中に唐さんがそれを発見したことを、愉快と不思議が入り交じった気分で時々思い出す。
唐十郎は、ほとんどの人が通り過ぎてしまうような、片隅にあるさりげない一点から、意想外の世界を広げてゆく。「おちょこの傘持つメリー・ポピンズ」は、傘がひっくり返る=おちょこになる動きの中に、日常が別世界へ裏返っていくきっかけを見たのではなかったかと勝手に想像している。
2020年は年明けから唐十郎イヤーの観があった。1970年の岸田賞から50年になるからなのか「少女仮面」が杉原邦生演出・若村麻由美主演と天願大介演出・月船さらら主演であいついで上演され、3月には演劇評論家の西堂行人氏が生誕80周年シンポジウム「持続可能な唐十郎演劇」を企画(開催延期)し、さらに宮城さん演出「おちょこの傘持つメリー・ポピンズ」が続く、はずだった。
宮城聰×「おちょこ」の組み合わせを楽しみにしていたのには、個人的な理由がひとつある。私が初めて演劇を観ようと思って観たのは1984年、大学に入った春だった。学内にあった学生寮の、そのまた奥に駒場小劇場があり、冥風過劇団「巣鴨のルードヴィヒ」という芝居がかかっていた。当時は小劇場ブームのさなかで、トップを走る夢の遊眠社が、この劇場を拠点にしていたのだと、同行の友人に教えられた。
「下町ホフマン」などに通じる唐的題名の「巣鴨のルードヴィヒ」を演出していたのが宮城聰。俳優としての存在感も尋常でなかった。公演を告知する立て看板からは沼気が立つようで、舞台もアングラテイストが濃厚だった(はずだ)。強くひかれ、駒小では好んで冥風を見るようになっていた。唐十郎作品と初めて出合ったのも、その夏の冥風公演「あれからのジョン・シルバー」。「石鹸箱のオブ」という言葉が耳にこびりついて離れなかった。
同じ年、初めて花園神社で紅テントを観た。状況劇場「おちょこの傘持つメリー・ポピンズ」。半券と受け取ったチラシを古いファイルから引っ張り出すと、秋公演だとばかり思っていたのに公演期間は12月8日から23日。合田佐和子さんのポスター画は、真ん中に空を見上げる大きな眼の女性がいて、雲の上にメリー・ポピンズが。宮城さんも1984年、年の瀬の「おちょこ」を観ただろうか。
「朝顔男」開始時に唐さんが新聞に寄せた「作者の言葉」は、こう結ばれている。「携帯にはない香りと臭(しゅう)、無用と情熱が読者諸氏を路頭に迷わすでしょう」。1984年、宮城さんの冥風過劇団が状況劇場へ導いてくれたように、今度は宮城さん演出の「おちょこ」が、無用と情熱の路頭へ誘ってくれるだろうか。コロナの風が止むころに。
(2020年 4月)
【筆者プロフィール】
山内則史 YAMAUCHI Tadashi
1964年青森市生まれ。読売新聞ではおもに文芸、演劇を担当。「朝顔男」の連載は2008年3月~10月。DVD「演劇曼陀羅 唐十郎の世界」で構成・聞き手を務めた。