劇場文化

2013年9月24日

【愛のおわり】『ソクラテスの冗長率』(平野暁人)

カテゴリー: 2013,秋のシーズン

 「とんでもない大成功だよ。こんなの初めてだ。頭が追いつかない」
 そんなメールがパスカルから舞い込んだのは、アヴィニヨンの興奮冷めやらぬ2011年8月上旬のことだった。ちょうど7月から休暇と語学研修を兼ねてイタリアの港町に滞在していた私は、パスカル本人から誘われていたこともありなんとか予定を調整して現地まで観に行こうとするも叶わず、仕方なくお詫びかたがた様子伺いのメールを送るにとどめておいたのだが、そこへこの存外浮かれた返信である。
 大成功? あのパスカルの作品が?
 憚りながら、フランス演劇界におけるパスカル・ランベールの経歴とその立ち位置の特異性に少なからず通じている人間にとってこれほど不条理に響くフレーズもないだろう。私自身、パスカルとは『演劇という芸術』『私のこの手で』(ともに2009年11月こまばアゴラ劇場にて上演)以来の付き合いだが、前者では老優が仔犬(本物)相手に延々と問わず語りを続け、後者では完全暗転のなか極小の蛍光灯がひとつまたひとつと灯されてゆきやがて浮かび上がった人間の姿をみれば両性具有、という具合に、いまこうして思い出しながら描写してみてもつくづくカオスである。また翌2010年にここ静岡の野外劇場「有度」にて『世界は踊る〜ちいさな経済のものがたり~』を上演する機会を得た際には、一転して一般参加者を数十人も募りフランス人俳優たちと共に舞台を埋め尽くしてみせた。そんな、常に作・演出を旨とし、自身が芸術監督を務めるジュヌヴィリエ国立演劇センターにおいても新作しか上演させないという徹底したスタイルをとっているパスカルを、コンテンポラリーという枠組みすらもどかしく独自の詩的言語を磨き続けるあのパスカルを、アヴィニヨン中が祝福しているという。頭が追いつかないのはこちらの方だ。
 ほどなくして送られてきたDVDを観て、私は再び絶句した。本気でこれを上演しようというのだろうか。この日本で。不可能だ。まず、これほどのテクストを訳しきれる自信がない。よしんば訳しきれたとして、日本の観客に受け入れられるスタイルだとも思えない。しかしこちらの当惑をよそに日本版の制作準備は着々と進められてゆく。さらにはイタリア、ロシア、アメリカ、クロアチアといった諸外国版の度重なる成功が申し分のない追い風を吹かせる。気がつけば、『愛の終わり』の翻訳を担当していると告げただけでフランス演劇人から一目置かれるほどの作品に育っていた。私はといえば、そんななかでもやはりひとりで途方に暮れていた。2013年1月のあの日までは。
 その日、フランス国内で既に何度目かの再演となるパリ・ポンピドゥーセンターでの公演を体感したその瞬間に、迷いが断ち切れた。明らかに、国も文化も超えた情動が眼前で脈打っていた。なにを伝えるべきかはわかった。あとはどう伝えるべきかだ。すなわち(私の職分に限っていえば)いかに正確に翻訳するかのみならず、日本語を監修してくださる平田オリザ氏へパスカルの詩性をいかに緻密に引き継ぐかが鍵となる。
 ところで、私のような演劇の素人が失礼千万を承知で申し上げるならば、今回の平田氏とパスカルとのコラボレーションがどう結実しうるのかについては当初、あまりはっきりとしたイメージが抱けずにいた。なにしろ周知の通り、平田氏といえば計算され尽くした「言い落とし」「あいづち」「言い間違え」さらには「不在」といった手法を駆使して逆説的に人間の関係性を描き出す「対話(ダイアローグ)」の達人である。翻って本作を貫くのは西欧言語文化のお家芸ともいえる長大なモノローグ(独白)であり、しかもパスカル自身はこの言葉の奔流を初めから終わりまで一切の句読点も改行もなしに「ソクラテスの犬を追って(本人談)」、すなわち絶えず四方八方へと寄り道する思考の流れをひたすら辿って書き上げたという。いうなれば気が遠くなるほどに長く無秩序な一文で綴られた戯曲なのだ。ますます好対照を成すばかりにも思える両者の言語世界はいかにして交わりうるのか。
 はたして、「対話」と「犬」を結ぶ手がかりは「冗長率」にあった。「冗長率とは、言語学の世界の用語で、一つの文章のなかに、どれほど、伝えたい情報と(一見)無縁な内容が含まれているかを示す数値である(平田オリザ著『演劇入門』より)」。ここでは仮に台詞のなかのノイズと言い換えてもいいだろう。対話の達人が配した無数のノイズを媒介として研ぎ澄まされてゆくモノローグ。そうして至高に達したモノローグはやがて自ずから対話の相貌を呈し始める。パスカル―平田版ならではのこのパラドックスをぜひ感じ取っていただきたい。
 世界初演の幕が上がる。

【筆者プロフィール】
平野暁人 HIRANO Akihito
翻訳家。戯曲から精神分析、ノンフィクションまで幅広く手がける。訳書に、カトリーヌ・オディベール『「ひとりではいられない」症候群』(講談社)、クリストフ・フィアット『フクシマ・ゴジラ・ヒロシマ』(明石書店)などがある。『愛のおわり』日本版の翻訳を担当。