劇場文化

2022年1月22日

【夜叉ヶ池】始原の約束を忘れないこと(大岡淳)

 伝統とイメージされているものが、案外歴史が浅く、実際は伝統と呼べるほどのものではなかったという話を、近年よく耳にするようになった。例えば「武士道」と聞くと、きっと日本の立派な伝統なのだろうとイメージしてしまうけれども、「武士道」なる概念が登場するのは江戸時代に入ってからだ。その江戸時代は戦争のない時代であり、武士はもはや軍人ではなく、官僚へと変質していた(SPACの演目で言えば、平田オリザ作『忠臣蔵』を想起していただきたい)。そして明治時代に入ると「武士道」は、近代の天皇制国家に見合うように、また、海外向けのPR材料となるように、バージョンアップされていく。つまり、実態としての武士から切り離されることで、モードとしての、ファッションとしての、あるいはイデオロギーとしての「武士道」が誕生したというわけだ。かくも「武士道」の歴史は浅く、戦闘者の実情に即した根拠は乏しい。だからこそ、論者たちが好き勝手に概念化できた、とも言える。ただ厄介なことに、こういう概念はあたかも長い伝統を有するかのように錯覚されがちで、それゆえに人々の意識や行動を規制し、ついには「お国のために死ね」という要請へと変貌したのかもしれない。
 明治国家に生を受け、怪異なる民話や伝承を題材とする作品を多く残した小説家・泉鏡花(1873~1939)は、このようなフェイクとしての伝統が国民をコントロールするメカニズムを、既に熟知していたようである。

 『夜叉ヶ池』は、1913(大正2)年に発表された、泉鏡花の初めての戯曲作品である。この戯曲には、真の伝統と偽の伝統の激突が描かれていると解釈できる。
 真の伝統とは、日本各地の物語を採集して歩いていた青年・萩原晃が、越前の鹿見村に至り、かつて夜叉ヶ池の竜神とこの地の人々との間で交わされた約束――人間社会に水害を及ぼさぬという誓いを竜神に思い出させるために、必ず日に三度鐘を鳴らすこと――を、先代の鐘楼守の老人から引き継いだことを指す。対する偽の伝統とは、日照り続きに苦しむ村を救うために、萩原の妻である村の娘・百合を、雨乞いの儀式の生贄に捧げようとする、村の有力者たちのおぞましい計画を指す。水害を防ぐために鐘をつくことも、雨を乞うために生贄を捧げることも、いずれも昔からの言い伝えという点に違いはないのだが、ただ後者は、既に本来の目的から逸脱して形骸化し、腐臭を放っている。百合の唯一の係累でありながら、百合へのいやらしい野心を隠さない叔父、神官の鹿見宅膳は、猫撫で声でこう言ってのける。

黒牛の背に、鞍置かず、荒縄に縛める。や、もっとも神妙に覚悟して乗って行けば縛るには及ばんてさ。……すなわち、草を分けて山の腹に引上せ、夜叉ヶ池の竜神に、この犠牲を奉るじゃ。が、生命は取らぬ。さるかわり、背に裸身の美女を乗せたまま、池のほとりで牛を屠って、角ある頭と、尾を添えて、これを供える。……肉は取って、村一同冷酒を飲んで啖えば、一天たちまち墨を流して、三日の雨が降灌ぐ。田も畠も蘇生るとあるわい。

 この企みのいかがわしい黒幕は、県の代議士・穴隈鉱蔵である。いかにも「武士道」を好みそうなナショナリストの穴隈にとって、雨乞いは危急存亡から村を救う一大事業であるが、それは建前に過ぎず、本音は若い娘を裸にして酒を飲もうという助平根性にあることを萩原は見抜き、このようなニセモノの儀式が却って村に災いを及ぼすことを警告し、夜叉ヶ池の秘密を明かすことになるが、このあたりは上演でお楽しみいただきたい。ともあれ、フェイクとしての伝統が、建前としてのナショナリズムと結託したところで、強者を利するばかりであることを、泉鏡花は喝破していたと言えよう。
 では他方、萩原が継承した鐘を衝く習慣は、なぜ偽でなく真の伝統と言えるのか。その違いは、竜神と人間が交わした始原の約束を信じ、それを律儀に守り反復する、萩原の姿勢にある。こちらから約束を破るわけにはいかないという倫理性。その倫理性が維持されているからこそ、伝統は伝統たりえているのだ。そして、このような萩原の倫理性は、妻・百合との関係にも見出される。殺気立つ村の衆を後目に、萩原は百合に対し、毅然として「茨の道は負(おぶ)って通る」と宣言する。これもまた、夫から妻への約束である。

 神と人との間に、夫と妻との間に、私と他者との間に、交わされた始原の約束がある。それはもはや近代的な合理性では説明のつかないものだが、その約束を忘れない限り、日々の営みは形骸化を免れる。これが、泉鏡花からのメッセージだと解釈したい。だが、それとて泉鏡花という作家が創造したファンタジーに過ぎないというパラドックスも、ここには存する。真と見えたものもまた偽に過ぎないのか? それを決定するのは、劇場を出た瞬間から再び始まる、我々自身の日々の営みにほかならない。

【筆者プロフィール】
大岡淳(Ooka Jun)
演出家・劇作家・批評家。1970年兵庫県生まれ。現在、SPAC-静岡県舞台芸術センター文芸部スタッフ、武久出版編集部顧問、静岡大学非常勤講師。著書に『21世紀のマダム・エドワルダ』(光文社)、訳書にベルトルト・ブレヒト『三文オペラ』(共和国)がある。

2021年11月10日

【桜の園】チェーホフと『桜の園』 (安達紀子)

 『桜の園』は、医者であり、短編小説の名手であり、世界的に有名な四大劇の作者でもあるアントン・チェーホフの最後の戯曲である。結核に侵された最晩年のチェーホフは文字通り絞り出すように『桜の園』を書いた。1日に6~7行しか書けない、と手紙に書き綴っている。1903年9月26日ついに『桜の園』を書き上げ、1904年1月17日モスクワ芸術座で初演されるが、その約半年後の7月2日、チェーホフはドイツのバーデンワイラーにて、ラネーフスカヤを演じた女優でもある妻オリガ・クニッペルに看取られながら永遠に帰らぬ人となった。
 『桜の園』は個々の人間の運命を描くことによって、その背景にある時代の大きなうねりを描き出す。『桜の園』の舞台となった19世紀末あるいは20世紀初頭は、帝政ロシアが音を立てて崩れ落ちる前夜、ロシア革命の跫音が近づいてくる時代であった。
 帝政ロシアは専制政治と農奴制の上に築かれた帝国だった。農民の自由な移動は11世紀においてすでに制限されていたが、1649年になると農民の移動の権利が法令によって完全に停止され、農奴制が確立された。貴族の優雅で贅沢な生活を支えていたのは、人権も自由も奪われた農奴たちの労働だった。1861年に公布された農奴解放令も地主貴族の権利を擁護するもので、元農奴は付与された土地の代金を支払わなければならなかった。多くの元農奴がその代金を支払うことができず、借金の肩代わりをした国家に対して債務を抱え、賦役等の義務を負わされた。それゆえ元農奴のなかには、下男フィールスのように農奴制の時代を懐かしむ者もいた。
 チェーホフの祖父もかつては農奴だったが、3500ルーブルで自由の身分を買い取った。「私たち農奴出身の作家は自らの青春を犠牲にして、貴族が生まれながらにして持っているものを手に入れます。自分の血管から農奴の血を一滴、一滴絞り出して、ある朝やっと自分がまともな人間になったと気づくのです」とチェーホフは語っている。それゆえ、チェーホフは農奴の息子であるロパーヒンを繊細に、微妙な陰影を交えながら描き出した。ロパーヒンは「繊細な優しい指」をしていて、「芸術家みたいに繊細な優しい心」を持っている。自らの裁量で新興の商人となったロパーヒンは、桜の園を当時ブームとなりつつあった別荘地に変えてラネーフスカヤを経済的に救おうとする。しかしそれは、農奴の息子である自分に優しくしてくれた憧れのラネーフスカヤが愛してやまない桜の園を破壊することに他ならなかった。ロシアではロパーヒンがラネーフスカヤを秘かに愛していると想定する演出もよく見られる。しかし、二人はそれぞれ異なった次元でしか物事を考えることができない。二人の擦れ違いは、長い歴史のなかで延々と形作られてきた考え方や生活様式の相違から生み出されたものだ。
 農奴解放令の発布後、貴族の多くは冬の雪が春の訪れと共に徐々に融けてなくなっていくように、財産を少しずつ失っていった。その一方で商人たちは次第に台頭し、19世紀末になると、地方議会の議員を務めたり、名誉市民や貴族の称号を得たりする者も現われた。特権を失い、貧困化しながらも浪費、借金癖の抜けない地主貴族は、商人たちによって領地から追い立てられるようになった。当時ロシアの新聞雑誌には借金を返済できない地主の領地の競売、破産宣告などの告示が数多く見られた。チェーホフ自身、自分の領地メーリホヴォで零落した地主の生活ぶりをつぶさに観察し、覚え書きに書き留めている。農奴の息子ロパーヒンが桜の園を買い取るという出来事は決して珍しいことではなかった。世紀と世紀の狭間、帝政から革命への過渡期、人びとの地位や境遇に変化および逆転が起こっていた。桜の園における年配の使用人たちの反抗的態度、下男ヤーシャの傲慢な態度には、貴族社会の終焉が近い時代の推移が反映されている。小間使いのドゥニャーシャがお嬢さまのアーニャに自分がプロポーズされたことを話すのも滑稽であり、立場の逆転が感じられる。
 私たちの時代においても時はつねに移ろい、人びとの暮らし、社会の在り様も変化・変容して、さまざまな「桜の園」が破壊されていく。桜の園をこれ以上破壊してもよいのか? 桜の園の跡地には何が建設されるのか?――チェーホフは桜の園をめぐる人びとの運命を描きながら、自らの死後どんな世界が築かれていくのか、と問いかけていたのだろう。『桜の園』はチェーホフの珠玉の遺言でもあるのだ。

【筆者プロフィール】
安達紀子(Adachi Noriko)
早稲田大学、慶應外語講師。
著書に『モスクワ狂詩曲』『モスクワ綺想曲』(小野梓賞)など。訳書にチェーホフの『三人姉妹』、スタニスラフスキーの『俳優の仕事』(日本翻訳出版文化賞)など。ロシア文化省よりプーシキン記念メダルを授与される。

2021年9月29日

【みつばち共和国】魂の関係、詩のリレー(能祖將夫)

 この舞台の副題には「メーテルリンク作『蜜蜂の生活』に基づく」とあるが、メーテルリンクと聞いて誰もが真っ先に思い浮かべるのは、あの『青い鳥』だろう。そして『青い鳥』と言えば多くの方が、「ああ知ってるよ、チルチルとミチルが幸せの青い鳥を探して旅する話だね、小さい子供のためのファンタジーでしょ」と思われるのではなかろうか。
 だが、そう思われる方の多くは、もったいなくも、絵本や児童向け読み物に触れただけで通り過ぎたのかもしれない。『青い鳥』は実は戯曲である。初演は1908年のモスクワ芸術座、演出はあのスタニスラフスキー! 古典作品の定義は「誰もが読んだつもりになっているが、実はほとんどの人が読んでいない作品」だというユーモラスかつ辛辣な記述をどこかで見たことがあるが、『青い鳥』はまさしくこれにあたる。
 『青い鳥』には魔法が出てくる。少年少女が「思い出の国」やら「夜の御殿」やらという異界を経巡る夢物語でもある。そういう意味ではファンタジーなのだが、とは言え「人間にとって幸せとは何か」を真正面から問うた、ある意味、大人向けの作品だと私は思っている。しかも根底には、ファンタジーとは一見正反対の透徹したリアリズムの目が光っている。
 一つだけ例を挙げてみたい。「未来の王国」の場。私たち人間はみんなここからやってくるのだが、何かを一つ地上に持っていくという掟がある。「一粒一粒が梨のように大きなブドウ」だとか「太陽の光が弱くなったとき、地球を暖める火」(原子力?)だとか。つまり発見したり発明や創造をしたり、善悪の彼岸を越えてその人が地上でなすべき宿命とでも言おうか。そんな中で一人の男の子がチルチルとミチルに、来年産まれるからよろしくね、と声をかける。君は何を持ってくるの? と尋ねるチルチルに、未来の弟はこう答えた。
子供「(とても得意げに)ぼく、三つの病気を持って行くんだ。猩紅熱と百日咳とはしかだよ。」/チルチル「へえ、それで全部なの?それからどうするの?」/子供「それから? 死んでしまうのさ。」/チルチル「じゃ、生まれるかいがないじゃないか。」/子供「だって、どうにもならないでしょう?」(堀口大學訳/新潮文庫)
 この眼差しは紛れもなくリアリストのそれであり、ここから秀逸なファンタジーを立ち上げていくのがメーテルリンクだ。
 『みつばち共和国』のモチーフとなった『蜜蜂の生活』には、リアリストとしてのメーテルリンクの面目躍如たるものがある。蜜蜂の生態のリアルをつぶさに観察し、それを詳細に記述する。同時に随所に散りばめられた詩的な表現を通して、ロマンティストとしての夢想を広げ、作品に味わいと奥行きを与えている。
 2020年3月上旬、私が日本語台本の作業に取りかかったとき、世界はコロナに染まりつつあった。コロナを「僕らのさまざまな関係を侵す病」だと喝破したのは、イタリアの作家、パオロ・ジョルダーノ(『コロナの時代の僕ら』飯田亮介訳/早川書房)だが、確かに人々は集合と移動というダイレクトな関係を大幅に制限されてしまった。誰もが初めて体験するパンデミックの絶望的なムードが濃くなるにつれ、私はといえば家から一歩も出ることなく、逃げ込むようにこの作業に没頭していたのだ。そこで改めて思い至ったのは、ミツバチは社会性昆虫と言われるが、「社会を営む」とは「関係を結ぶ」ことに他ならないという至極当たり前のことだった。さまざまな関係を絶つように引き籠もった私は、代わりにミツバチの社会を通して密な(蜜な?)関係を味わうことで、生き延びようとしていたのかもしれない。「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治のあの一節にも思いを馳せながら。例えばこれを「世界とぜんたいで関係しないうちは、個人の幸福はあり得ない」と読み替えるとどうなるか、などなど……。
 フランスから送られてきた舞台映像を初めて見たときの感動は忘れられない。そこには息を呑むほどの、そしてため息が出るほどの美しい詩があった。そう、この舞台のエッセンスは「詩」なのだ。霊魂の神秘を探る詩人とも言われるメーテルリンクの博物文学を、セリーヌさんらフランスのメンバーが、メーテルリンク同様リアリストとロマンティスト両方の目と技を駆使して見事な演劇作品に構築し、さらにSPACのメンバーが日本の観客のために紡いでいく。メーテルリンクはミツバチを「自然の魂」と呼んだが、このリレーはまさしく魂のリレーであり、魂のリレーションシップだ。その一端を担えたことの責任と喜びを感じつつ、「ほら、魂に迫ってくるこの関係こそが詩だよ」と、そっとささやきたい私がいる。客席の皆さんが、子供も大人もこの関係に加わり、詩のリレーを継いでくだされば、それにまさる幸せはない。劇中の言葉を借りれば、すべてはつながっているのだから、花から星まで、メーテルリンクからあなたまで。
 2021年秋、コロナの時代はまだ終わらない。だが、この『みつばち共和国』の初演と再演の実現は、コロナにも侵されない僕らの関係の揺るぎない証でもあるのだ。春が来ればまた「自然の魂」がよみがえり、歓びの羽音でこの証を祝福してくれるに違いない。

【筆者プロフィール】
能祖將夫 Nouso Masao
慶應義塾大学卒。青山劇場・青山円形劇場のプロデューサーを経て、四季文化館(茨城県小美玉市)芸術監督、北九州芸術劇場プロデューサーなど。脚本・演出担当の「群読音楽劇 銀河鉄道の夜」で「令和2年度児童福祉文化賞」受賞。詩集に『あめだま』、『魂踏み』、『方丈の猫』など。第4回「びーぐるの新人」。桜美林大学教授、芸術文化学群長、プルヌス・ホール館長。

2021年5月19日

【アンティゴネ】南仏と古代ギリシャと死者の国とベッド、もしくは葬式について(ウォーリー木下)

カテゴリー: 2021

 できるだけ遠くに行く、というのが演劇の作り手としての僕のポリシーでもあり願望でもある。遠く、という距離の始まりはどうしたって個人的なところ、自分の体の真ん中の部分になる。そこをスタート地点にして、ゆっくりと時間をかけて自分の知らない土地や風景にたどり着けたらそれが良い。土地や風景というのは、メタファでもあり、文字通りの意味でもある。
 つまりは演劇で観客と一緒に旅に出ることができればそれでいいのだ。旅というのもまたメタファでもあり文字通りの意味でもある。 続きを読む »

【おちょこの傘持つメリー・ポピンズ】無用と情熱の路頭へ~唐十郎と宮城聰(山内則史)

カテゴリー: 2021

 12年前、新聞社の文化部で唐十郎初の新聞小説を担当した。いかにも唐的な「朝顔男」という題名の小説が軌道に乗ったころ、唐さんから「軍艦島に行きましょう」と話があった。浅草や新宿界隈をうろつく主人公、奥山六郎を東京から離れたどこかへ連れ出そうと考えたらしい。
 当時、軍艦島は廃墟化した建物が危険なため、上陸は禁じられていた。石炭の採掘跡のような場所も見たほうが小説のヒントが多いのではと考えてネットで調べたら、同じ長崎県に池島炭鉱というのがある。坑道を下って地下の様子が見られるというのが魅惑的で、取材旅行の日程に加えた。 続きを読む »

【野外劇 三文オペラ】光と闇の混交の果て(大岡淳)

カテゴリー: 2021

 共に新進気鋭と目されていた劇作家ベルトルト・ブレヒトと作曲家クルト・ヴァイルがタッグを組んで、出世作『三文オペラ』を世に放ったのは1928年、ヴァイマル共和国時代のドイツ・ベルリンでのこと。今から振り返ればナチス台頭前夜、この年既にナチ党はミュンヘン一揆鎮圧(1923)から再建を果たし、アドルフ・ヒトラーが党内独裁を確立、国会議員選挙では12人が当選した。そして翌年には世界恐慌が起き、これが10年の後、第二次大戦開戦に帰結することになる。 続きを読む »

2021年1月29日

【ハムレット】時代と自己を映す/疑う鏡としてのハムレット —ク・ナウカ旗揚げ公演からSPAC公演へ—  (エグリントンみか)

※作品内容に言及する箇所がございますので、事前情報なしに観劇を
 希望される方には、観劇後にお読みになる事をお勧めいたします。

演劇とは「自然に対して掲げられた鏡」とするデンマーク王子の台詞通り、個々の舞台は、それを生み落とした時代を反映し、批評すると同時に、「鏡」を作る者、見る者に、「お前は誰だ?」という根源的な問いを突きつけてくる。芝居についての言及が顕著に多いメタシアター『ハムレット』が、4世紀以上も飽くことなく上演されてきたのは、言語に囚われ、この世という舞台を演じざるを得ない演劇的存在としての人間を、「時代の縮図」である役者たちが舞台上で際立たせることにより、「だんまり役」に甘んじる観客たちの不安と懐疑を掻き立てるからではなかろうか。 続きを読む »

2021年1月22日

【病は気から】演じる喜び=生きる喜び!? モリエール&シャルパンティエ『病は気から』について(秋山伸子)

 『病は気から』はモリエール最後の作品である。アルガン役を演じたモリエールは、4回目の公演を終えた後、自宅で息を引き取った。自分は病気だと信じ込む男の役を演じたモリエール自身が病に苦しんでいたという皮肉な状況にあったことが信じがたいほどに、この作品には病を跳ね返すほどの生命力が、生きる喜びがあふれている。
 モリエール作品では、多くの人物が「演じる」喜びに身を委ねる。『町人貴族』においては、貴族に憧れる主人公が自ら貴族の役を演じることで、深い満足感を得る。アルガンもまた、自ら医者に扮し、その役を演じることで病の呪縛から解放される。音楽とダンスの力がみなぎる儀式のうちにアルガンは医者の学位を授けられ、舞台全体が言い知れぬ至福感に包まれて芝居は終わる。 続きを読む »

2020年11月12日

【妖怪の国の与太郎】ジャン・ランベール=ヴィルド、あるいは詩人として世界に住むこと(ポール・フランセスコーニ)

 リムーザン国立演劇センターのディレクターである前に、ジャン・ランベール=ヴィルドはまず詩人である。舞台のために、あるいは人生において詩を書きながら、世界中の夢と亡霊とを呼び覚ましながら、彼は詩とともに地球上に住み、生と死の普遍的な道を歩んでいる。
 彼はレユニオン島の出身だ。インド洋のただなかに浮かぶ旧フランス植民地で、アフリカとヨーロッパとアジアが交錯する島だ。この火山島では、いやでも自然と対話をさせられる。大文字の歴史に祝福され、今なお歴史が親密に語りかけてくる島。神聖なものと日常的なものとが絶えず対話を交わす神話に満ちた島。ランベール=ヴィルドは「レユニオン島ディアスポラ」とでもいうべき人々のうちの一人だ。彼は島の外で生きながら、自分のなかに、テクストのなかに、舞台のなかに、世界のなかに、この島を持ち込んでいく。島は世界の鼓動への耳の傾け方に影響を与えている。彼が地理的・芸術的にノマドでありつづけるのは、この出発点としての亡命があったからだ。 続きを読む »

【妖怪の国の与太郎】生まれなおす友情(平野暁人)

 翻訳家の世界には、「共訳は友情の墓場」という格言がある。
 と、断言してしまっていいのかどうかはわからないけれど、僕は幼ないころから折に触れてそう聞かされてきた。なかんずく文芸翻訳には範例も唯一解もなく、翻訳家の数だけ異なった哲学がある以上、協力してひとつの作品を訳そうとすれば必ず衝突が起こり、ときに深刻な対立へと発展して深い禍根を残すことすらある。どんなに気心の知れた大切な友人であっても、否、大切な友人であればこそ共訳者に選んではいけない……呪詛のようなこの言葉を僕は、自らが翻訳を生業にするようになってからはいよいよ家訓のごとく心得て守り抜いている。けだし、訓示とは得てして呪詛の残滓に他ならないのかもしれない。 続きを読む »