共に新進気鋭と目されていた劇作家ベルトルト・ブレヒトと作曲家クルト・ヴァイルがタッグを組んで、出世作『三文オペラ』を世に放ったのは1928年、ヴァイマル共和国時代のドイツ・ベルリンでのこと。今から振り返ればナチス台頭前夜、この年既にナチ党はミュンヘン一揆鎮圧(1923)から再建を果たし、アドルフ・ヒトラーが党内独裁を確立、国会議員選挙では12人が当選した。そして翌年には世界恐慌が起き、これが10年の後、第二次大戦開戦に帰結することになる。
1928年――未だドイツは「黄金の20年代」と形容される好景気に湧いていたが、光あるところ闇あり、貧困やら売春やら麻薬やら、都市の退廃も際立っていた。その一方でヴァイマル文化の華が咲いたわけだが、ただその中身たるや、新即物主義、ダダイズム、十二音技法などなど、暗い光と呼ぶべきか輝く闇と呼ぶべきか、第一次大戦の大量死の経験を前提として「人間性」を棄却するモダニズムへと歩を進めた、前衛的・実験的なものが顕著であり、光と闇は既に混交していた。こうした前衛芸術・実験芸術は、のちにナチスによって「退廃芸術」の烙印を押され弾圧されることになるが、そのようなナチスの姿勢は、闇を撲滅する光、狂気を駆逐する正気、迷妄を打破する啓蒙こそが、むしろ闇・狂気・迷妄に転ずる逆説を示している(のちにアドルノ/ホルクハイマーが剔抉する「啓蒙の弁証法」というやつだ)。
話を戻すと、1920年代においてブレヒト/ヴァイルの視線は、都市の闇――野卑で猥雑な大衆文化に注がれており、ふたりともキャバレーの芸能から多くを吸収していたが、その結果生まれた『三文オペラ』が興行的に成功を収めたのは、闇が光へと転じた事例と言えるかもしれない。すったもんだを繰り返しながら初日にこぎつけた『三文オペラ』が、古典として後世に名を残すなんて、拙訳本(『三文オペラ』共和国)の解説でミュージシャン大熊ワタル氏が指摘した通り、当事者たちの誰一人として予想していなかっただろう。
「オペラ」と銘打ちながら、舞台上には泥棒や貧民や売春婦や悪徳警官が闊歩し、彼ら無名の大衆が下品で猥褻で不道徳な言動を繰り出し、都市の闇を噴出させる『三文オペラ』は、およそオペラらしからぬ音楽劇、いわばパロディ・オペラであった。「異化効果」がブレヒトの方法論として確立するのはもう少し後のことだが、本気とも冗談ともつかぬ展開によって観客を挑発する作劇術は、まさしく「異化」の萌芽であった。負けじとヴァイルも、「不正を追及するな」というふざけたメッセージを、壮麗なバッハ風コラールによって謳い上げる。そして、シッフバウアーダム劇場(のちのベルリナー・アンサンブル)という「成金趣味の建物」(岩淵達治『《三文オペラ》を読む』岩波書店)に集い、形式と内容、音楽と物語の両面から挑発されたブルジョア観客が、憤慨するどころか喝采をもって応じることになるとは、これまたブレヒト/ヴァイルの予想を裏切る、皮肉な展開ではあっただろう。かくまでも20年代ドイツでは、闇が光へ転じ、光が闇へ転じる価値転倒が常態化していた。そして、そのような価値転倒の果てに、ヒトラーが政権を掌握し、ファシズムが暴威をふるう中、ブレヒト/ヴァイルは亡命を強いられることになる……。
拙訳について付言しておこう。まず歌詞について、先の大熊氏は、拙訳本の中でこう評してくれている――「今回の大岡訳の画期的なところは、ソングの歌詞が限りなく生きた言葉として、そのままメロディーにはまるように考えられているところだ。意味が成り立つだけでなく、サウンドとしての聞こえ方まで原曲に近いのは凄い。これぞ『超訳』!」。例えば、戦場における人肉食を得意気に歌う「大砲ソング」の最後は、ドイツ語では「ビーフステーク! タルタル~」であるが、拙訳では「食っちまう! ガツガツ~」といった具合だ。そして台詞については、現代口語と七五調を意図的に混在させ、いうなれば“架空都市エド”をイメージして翻訳した。スラング頻出の卑俗さと詩的表現の流麗さを混在させ、“架空都市ロンドン”を現出させた趣のあるブレヒトのテキストを、日本語に移し替えるための工夫である。私としては、劇作家としての蓄積を全て叩き込んだつもりである。
さて、今から御覧いただく『野外劇 三文オペラ』は、拙訳を使用した初めての公演であり、東京芸術祭2018において、池袋西口公園で上演され好評を博したものである。今回、再演にあたりキャストは一部変更され、演出も一新されている。コルセッティさんが海の向こうからどんな演出を施し、出演者たちがこれにどう応えるか――静岡の地で再生する『野外劇 三文オペラ』に、期待は高まるばかりである。
【筆者プロフィール】
大岡 淳 OOKA Jun
演出家・劇作家・批評家。1970年兵庫県生まれ。現在、SPAC-静岡県舞台芸術センター文芸部スタッフ、静岡県文化プログラム県域プログラムディレクター、静岡大学非常勤講師。編著に『21世紀のマダム・エドワルダ』(光文社)、訳著にベルトルト・ブレヒト『三文オペラ』(共和国)がある。