劇場文化

2020年4月26日

【オリヴィエ・ピィのグリム童話『愛が勝つおはなし ~マレーヌ姫~』】負けないお姫様のおはなし(穴澤万里子)

カテゴリー: 2020

 皆さんがご覧になる『愛が勝つおはなし ~マレーヌ姫~』は、グリム童話の『マレーヌ姫』(または『マレーン姫』)をフランスの演出家、オリヴィエ・ピィがオペレッタ(喜歌劇)に書き直したものです。『グリム三部作』の続編として、演出家が選んだグリム童話4作目が本作です。従順で大人しいお姫様が多いグリム童話の中で、マレーヌ姫は全然違います。自分の心に従って行動を起こす、美しくて強いお姫様です。こんなに辛い世界って他にあるの?と思ってしまう程の逆境におかれても、彼女は文句も言わなければ、人の悪口も言わない。どんな過酷な運命にも負けず、愛に向かって真っすぐ生きるマレーヌ姫は気持ちが良い程潔いのです。天災、テロ、環境問題、移民問題、格差やマイノリティの問題、もっと身近なところではいじめに貧困、孤独、そして感染症…現代社会はマレーヌ姫が生きていた頃と同じように、別の意味ではさらに生きづらくなっているかもしれません。そんな中で、大人は子供たちにどんなモデルを示してあげられるのでしょう? 白馬に乗った凛々しい王子様を待つだけの非現実的なお姫様で本当に良いのでしょうか? そして子供だったことを忘れてしまった大人たちはどんなおはなしで、愛する人たちを想うのでしょう? オリヴィエ・ピィが行きついたのは、観ていてちょっと怖くなるような独特な世界。大人が創った甘いお菓子の様な世界ではなく、マレーヌ姫が実際に出会ったような、暗い舞台と不気味な化粧をした役者たち。オリヴィエ自身が語っているように役者たちは簡易な額縁舞台の中で操り人形の様に演じ、歌うのです。子供たちに嘘は通用しません。子供たちは大人が思う以上に現実の世界を見ているし、そしてそれを精一杯受け入れようとします。子供には優しいもの、きれいなものを見せておけばよい、なんて大人の勝手な思い込みかもしれません。しかしそんな演出家の美意識溢れる世界の中で、歌の翼に乗って紡がれる言葉遊びのような歌詞は、どれもとても素晴らしいのです。オリヴィエ・ピィが作品に託した思いは、この卓越した言葉のセンスに最も表れている気がします。 続きを読む »

2020年4月24日

【おちょこの傘持つメリー・ポピンズ】無用と情熱の路頭へ ~唐十郎と宮城聰(山内則史)

カテゴリー: 2020

 12年前、新聞社の文化部で唐十郎初の新聞小説を担当した。いかにも唐的な「朝顔男」という題名の小説が軌道に乗ったころ、唐さんから「軍艦島に行きましょう」と話があった。浅草や新宿界隈をうろつく主人公、奥山六郎を東京から離れたどこかへ連れ出そうと考えたらしい。
 当時、軍艦島は廃墟化した建物が危険なため、上陸は禁じられていた。石炭の採掘跡のような場所も見たほうが小説のヒントが多いのではと考えてネットで調べたら、同じ長崎県に池島炭鉱というのがある。坑道を下って地下の様子が見られるというのが魅惑的で、取材旅行の日程に加えた。 続きを読む »

2020年4月1日

悲劇喜劇2020年3月号掲載[追悼 クロード・レジ]◆クロード・レジ、岸辺への案内者 宮城 聰

カテゴリー: 2020

 二〇〇七年にSPACの芸術総監督に着任したとき、僕は「まだ日本で公演を行なっていない真の巨匠はクロード・レジだ」と考えていました。
 ですのでなんとかレジ氏の作品を招聘できないかと機会を伺っていたのですが、幸いにして二〇一〇年に『彼方へ 海の讃歌オード』をSPACの演劇祭で上演することができました。
 もちろんこれも簡単に実現したわけではありません。フランスでの装置をそのまま運んでもらうとコスト面で我々の手には負えず、しかしレジさんはツアー先で装置を簡略化するなどという妥協は決して許容しない人なので、SPACの劇場のひとつである「楕円堂」という空間そのものが優れた装置だと納得してもらえるよう、まず舞台美術家を招聘して楕円堂での上演がどうすれば可能になるかを検討してもらい、さらにその上で、最後は、公演の前に二週間近い稽古期間を設けるという条件で、やっと実現にこぎつけました。
 そしてこれがちょっとした奇跡を呼び寄せました。二週間ほどSPAC内の宿舎に滞在しているあいだ、レジさんはSPACの俳優たちの仕事ぶりを目にすることになったのですが、その中で次第に「この俳優たちとならばメーテルリンクの『室内』を創れるのではないか」という思いを抱いてくださるようになったのです。
 実はもう十数年、レジさんは四人以上の俳優が出演する作品を創っていませんでした。レジさんの稽古はあまりにも禁欲的で、本番も全ステージをレジさんが客席中央で観てノーツを申し渡すというやり方なので、フランスの俳優でその「ぎょう」のようなプロセスに飛び込める人は多くなかったんですね。『室内』はレジさんにとって宿願の作品でしたが、出演者が十二人。諦めきれなかったこの芝居を、日本の役者となら創れるかもしれないと考えてくださったのです。
 レジさん、九十歳の年のことでした。

 では、レジさんはいったい何を表現しようとしていたのか。
 レジさんが演出したテキストは、すべて「詩」でした。戯曲の形式で書かれているものもいないものも、レジさんが詩だと思うテキストだけを舞台化していました。
 では、詩を舞台化するというのはどういう作業なのか。
 いま(少し冷静になれた)僕が考えるのは以下のようなことです。
 この世に言葉はあふれているけれど、その中でごくわずか、「生き死にに関わる」言葉というものがある。「絶対的な詩」と呼んでもいいその言葉、書き手にとってのっぴきならないそのような言葉が生まれた瞬間、それを記しながら書き手の身体はしたたかに傷を受けている。もちろんその「傷」は、死に向かうものばかりでなく、俗世の上空にある「喜び」に向かわせてくれるものもある。そのような「深い生き死に」に関わる言葉を、その言葉が書かれた瞬間の詩人の身体の「傷つき」とともに出現させること。つまり俳優があらゆる防具を捨ててその言葉の生まれた瞬間瞬間のからだを生きること。レジさんが求めていたのはそういうことではないか。「絶対的な詩」は、その言葉とほんとうに直面した人間を「生の岸辺」に連れてゆきます。その岸辺の向こうにあるのは、死、あるいは彼岸でしょう。いずれにしても、それは怖ろしいものではない。なぜなら、それを見ることで人はやっと「生」を知ることができるのだから。
 レジさんはそのことを僕らに伝えようとしていた。いま、僕にはそう思えるのです。

宮城聰(みやぎ・さとし)
演出家、SPAC‐静岡県舞台芸術センター芸術総監督。一九五九年東京生まれ。東京大学で小田島雄志・渡邊守章・日高八郎各師から演劇論を学び、九〇年ク・ナウカ旗揚げ。二〇〇四年第三回朝日舞台芸術賞受賞。〇七年四月SPAC芸術総監督に就任。一四年七月アヴィニョン演劇祭から招聘された『マハーバーラタ』の成功を受け、一七年『アンティゴネ』を同演劇祭のオープニング作品として法王庁中庭で上演。平成二十九年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。一九年四月フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章。