この舞台の副題には「メーテルリンク作『蜜蜂の生活』に基づく」とあるが、メーテルリンクと聞いて誰もが真っ先に思い浮かべるのは、あの『青い鳥』だろう。そして『青い鳥』と言えば多くの方が、「ああ知ってるよ、チルチルとミチルが幸せの青い鳥を探して旅する話だね、小さい子供のためのファンタジーでしょ」と思われるのではなかろうか。
だが、そう思われる方の多くは、もったいなくも、絵本や児童向け読み物に触れただけで通り過ぎたのかもしれない。『青い鳥』は実は戯曲である。初演は1908年のモスクワ芸術座、演出はあのスタニスラフスキー! 古典作品の定義は「誰もが読んだつもりになっているが、実はほとんどの人が読んでいない作品」だというユーモラスかつ辛辣な記述をどこかで見たことがあるが、『青い鳥』はまさしくこれにあたる。
『青い鳥』には魔法が出てくる。少年少女が「思い出の国」やら「夜の御殿」やらという異界を経巡る夢物語でもある。そういう意味ではファンタジーなのだが、とは言え「人間にとって幸せとは何か」を真正面から問うた、ある意味、大人向けの作品だと私は思っている。しかも根底には、ファンタジーとは一見正反対の透徹したリアリズムの目が光っている。
一つだけ例を挙げてみたい。「未来の王国」の場。私たち人間はみんなここからやってくるのだが、何かを一つ地上に持っていくという掟がある。「一粒一粒が梨のように大きなブドウ」だとか「太陽の光が弱くなったとき、地球を暖める火」(原子力?)だとか。つまり発見したり発明や創造をしたり、善悪の彼岸を越えてその人が地上でなすべき宿命とでも言おうか。そんな中で一人の男の子がチルチルとミチルに、来年産まれるからよろしくね、と声をかける。君は何を持ってくるの? と尋ねるチルチルに、未来の弟はこう答えた。
子供「(とても得意げに)ぼく、三つの病気を持って行くんだ。猩紅熱と百日咳とはしかだよ。」/チルチル「へえ、それで全部なの?それからどうするの?」/子供「それから? 死んでしまうのさ。」/チルチル「じゃ、生まれるかいがないじゃないか。」/子供「だって、どうにもならないでしょう?」(堀口大學訳/新潮文庫)
この眼差しは紛れもなくリアリストのそれであり、ここから秀逸なファンタジーを立ち上げていくのがメーテルリンクだ。
『みつばち共和国』のモチーフとなった『蜜蜂の生活』には、リアリストとしてのメーテルリンクの面目躍如たるものがある。蜜蜂の生態のリアルをつぶさに観察し、それを詳細に記述する。同時に随所に散りばめられた詩的な表現を通して、ロマンティストとしての夢想を広げ、作品に味わいと奥行きを与えている。
2020年3月上旬、私が日本語台本の作業に取りかかったとき、世界はコロナに染まりつつあった。コロナを「僕らのさまざまな関係を侵す病」だと喝破したのは、イタリアの作家、パオロ・ジョルダーノ(『コロナの時代の僕ら』飯田亮介訳/早川書房)だが、確かに人々は集合と移動というダイレクトな関係を大幅に制限されてしまった。誰もが初めて体験するパンデミックの絶望的なムードが濃くなるにつれ、私はといえば家から一歩も出ることなく、逃げ込むようにこの作業に没頭していたのだ。そこで改めて思い至ったのは、ミツバチは社会性昆虫と言われるが、「社会を営む」とは「関係を結ぶ」ことに他ならないという至極当たり前のことだった。さまざまな関係を絶つように引き籠もった私は、代わりにミツバチの社会を通して密な(蜜な?)関係を味わうことで、生き延びようとしていたのかもしれない。「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治のあの一節にも思いを馳せながら。例えばこれを「世界とぜんたいで関係しないうちは、個人の幸福はあり得ない」と読み替えるとどうなるか、などなど……。
フランスから送られてきた舞台映像を初めて見たときの感動は忘れられない。そこには息を呑むほどの、そしてため息が出るほどの美しい詩があった。そう、この舞台のエッセンスは「詩」なのだ。霊魂の神秘を探る詩人とも言われるメーテルリンクの博物文学を、セリーヌさんらフランスのメンバーが、メーテルリンク同様リアリストとロマンティスト両方の目と技を駆使して見事な演劇作品に構築し、さらにSPACのメンバーが日本の観客のために紡いでいく。メーテルリンクはミツバチを「自然の魂」と呼んだが、このリレーはまさしく魂のリレーであり、魂のリレーションシップだ。その一端を担えたことの責任と喜びを感じつつ、「ほら、魂に迫ってくるこの関係こそが詩だよ」と、そっとささやきたい私がいる。客席の皆さんが、子供も大人もこの関係に加わり、詩のリレーを継いでくだされば、それにまさる幸せはない。劇中の言葉を借りれば、すべてはつながっているのだから、花から星まで、メーテルリンクからあなたまで。
2021年秋、コロナの時代はまだ終わらない。だが、この『みつばち共和国』の初演と再演の実現は、コロナにも侵されない僕らの関係の揺るぎない証でもあるのだ。春が来ればまた「自然の魂」がよみがえり、歓びの羽音でこの証を祝福してくれるに違いない。
【筆者プロフィール】
能祖將夫 Nouso Masao
慶應義塾大学卒。青山劇場・青山円形劇場のプロデューサーを経て、四季文化館(茨城県小美玉市)芸術監督、北九州芸術劇場プロデューサーなど。脚本・演出担当の「群読音楽劇 銀河鉄道の夜」で「令和2年度児童福祉文化賞」受賞。詩集に『あめだま』、『魂踏み』、『方丈の猫』など。第4回「びーぐるの新人」。桜美林大学教授、芸術文化学群長、プルヌス・ホール館長。