劇場文化

2021年5月19日

【アンティゴネ】南仏と古代ギリシャと死者の国とベッド、もしくは葬式について(ウォーリー木下)

カテゴリー: 2021

 できるだけ遠くに行く、というのが演劇の作り手としての僕のポリシーでもあり願望でもある。遠く、という距離の始まりはどうしたって個人的なところ、自分の体の真ん中の部分になる。そこをスタート地点にして、ゆっくりと時間をかけて自分の知らない土地や風景にたどり着けたらそれが良い。土地や風景というのは、メタファでもあり、文字通りの意味でもある。
 つまりは演劇で観客と一緒に旅に出ることができればそれでいいのだ。旅というのもまたメタファでもあり文字通りの意味でもある。
 2017年の7月、SPAC『アンティゴネ』をアヴィニョンの法王庁中庭で体験したときに、これこそまさに「旅の演劇」だなと感じた。それはもうほとんど嫉妬に近い感情であり、尊敬であり、連帯意識でもあった。
 アヴィニョンは南仏の小さな街で、年に一度、世界的に大きな演劇祭が開かれる。そこにこの『アンティゴネ』が招聘されオープニングを飾った。その客席に僕もいて、歴史的な瞬間に立ち会うことができた。巨大な壁の前に、張られた水、センターには奈良の石舞台を想起させる岩、その周辺にもいくつかの石。まるで枯山水。開場は9時過ぎ、風が吹き、頭上には北半球の星座が煌めく。人々の興奮した熱気。もともとギリシャ悲劇は野外劇として上演されていたわけだから、そういう意味では、古代ギリシャのアテナイ市民と同じような気分を味わっているのかもしれない。上演時間になると日本人の俳優によるフランス語の前説がはじまる。周りで笑っているフランス人たちに取り残される。この疎外感(!)もまた旅に似ている。さておき上演中、僕は『アンティゴネ』を見ながら、鉦と太鼓の音を聞きながら、俳優たちの声と動きを一生懸命重ね合わせながら、法王庁中庭とは全く別の場所にいた。それは自分にとって一番遠い場所。つまりは死者の国である。そういえば奈良の石舞台は蘇我馬子の墓だったっけ?
 そもそも『アンティゴネ』は、ふたりの兄弟の殺し合いで幕を開ける。ひとりの死体は国の英雄と祀られ、ひとりの死体は反逆の身としてそこに打ち捨てられる。ふたりがなぜ争ったのか、なぜ殺し合わないといけなかったのかはよくわからないまま、ただその死がまずある。そのあと、宮城さんの演出は、「普通の」演劇のように登場人物に感情移入させたり、役者が泣いたり喚いたりしないで、独特の方法で、まるでなにかの儀式や祭事のように進んでいく。
 僕らは近しい人が死んだときにはじめて、お葬式のあの儀式性の意味にようやく気づく。儀式に身を浸すことで、途方もない悲しみや苦しみが、徐々に薄まっていくことを知る。つまりは この劇構造自体が観客を喪主や参列者のように扱う。そしてゆっくりと癒される。そう僕は感じた。死者の国の葬式。なんだか陰鬱な響きだけど、実際はとても明るいし、賑やかだ。死者の国も悪くない、と思うようになる。
 世の中のほぼすべての物語は死を扱っているものだというけれど、ここまで実際に死を舞台はなかなかない。それは小さい頃にひとりで天井を見上げているときの孤独感に近い。天井に映る何かの影がとても不吉な予感のように思えた。(そういえば実際の『アンティゴネ』の演出でも影はとても重要な効果として使われている)
 フランスの片田舎の法王庁の中庭で、僕は、古代ギリシャと死者の国と、幼い頃のベッドの上に、同時にいた。そういう演劇こそがまさしく僕にとっての「できるだけ遠くに行く」ものである。そりゃ、嫉妬するでしょ。
 ちなみに、その数ヶ月前に、駿府城公園での初演も観劇しているので、実はその記憶も混じり込んで、静岡にいる錯覚も起こしていたりした。聞こえるはずもない日本の救急車のサイレンが頭の中で鳴った。今回、その静岡での再演ということで、さらに深い混沌に僕は引きずり込まれると思うと楽しみで仕方ない。
 ああ、混沌。この混沌こそが演劇のダイナミックスさだと信じて止まない。野外劇ならではのノイズも、観客全員のノイズも、生も死もすべて受け入れて反響増幅させ、結果としてその暴力的なまでの混沌を、とても静かに、水面の波紋のように創り上げたSPACに、やっぱり今回もまた嫉妬してしまうのだろう。

【筆者プロフィール】
ウォーリー木下 Worry KINOSHITA
劇作家・演出家。神戸大学在学中に演劇活動を始め、劇団☆世界一団を結成し、現在は「sunday(劇団☆世界一団を改称)」の代表として全ての作品の作・演出を担当。外部公演も数多く手がけ、役者の身体性に音楽と映像とを融合させた演出を特徴としている。また、ノンバーバルパフォーマンス集団「THE ORIGINAL TEMPO」のプロデュースにおいてはエジンバラ演劇祭にて五つ星を獲得するなど、海外で高い評価を得る。10ヶ国以上の国際フェスティバルに招聘され、演出家として韓国およびスロヴェニアでの国際共同製作も行う。2018年4月より「神戸アートビレッジセンター(KAVC)」舞台芸術プログラム・ディレクターに就任。