SHIZUOKA せかい演劇祭2025『ラクリマ、涙~オートクチュールの燦めき~』(以下『ラクリマ』)へご来場いただいた皆さん、誠にありがとうございました。演劇祭最終日となる5月6日(火・祝)の上演後に開催した、スペシャルトークの模様をお届けします。
『ラクリマ』は、イギリス王妃のウェディングドレスの製作過程にスポットライトを当てた作品です。作・演出を担当したグェンさんは、華々しい一大プロジェクトの裏側にある、国家間や仕事上の立場の不平等から生まれる軋轢や、プライベートな家族の問題をリアリスティックに描き出しました。
今回のスペシャルトークは、ヨーロッパ・インドが舞台の本作に現れる様々な社会問題を、日本の観客の皆さんと一緒に考えていくために企画しました。登壇者としてお迎えしたのは、社会の構造や働き方、個人の在り方について鋭い視点で発信を続ける文筆家の塩谷舞さん。SPAC秋のシーズン2025-2026 アーティスティック・ディレクターを務める劇作家の石神夏希さんを司会に、予定していた1時間半を超えて、参加者も交えた活発な議論が繰り広げられました。


会場は、静岡芸術劇場併設のカフェ・シンデレラ。作品を観た後に、誰かと話したい!と思ってくれた方がたくさんいたのか(とても共感できます)、15名も当日飛び入り参加でいらしてくれました。約40名が集まって車座になり、ドリンク片手になごやかな雰囲気で始まりました。

はじめに、参加者同士3~4人でグループを作り、7分間ほど感想をシェアし合いました。さすがはたくさんのテーマが詰まった作品、皆さんのお話も止まりません。名残惜しさもありながら、その後塩谷さんと石神さんのトークへと移っていきました。参加した皆さんの発言も交えながら、話は多岐に渡りましたが、以下に5つのトピックに分けて簡単にまとめます。
社会構造による悲劇
会社員として企業で働かれていた塩谷さんは、ご自身の経験とも重ね合わせながら、本作を自分の呼吸も浅くなるような作品だと評しました。この作品は、パリのメゾン、アランソンのレース工房、そしてムンバイの刺繍工房の3カ所を行き来しながら進行していきます。設定だけ聞くと、日本で暮らす私たちにとって遠い話のように思われるかもしれませんが、描かれる社会構造と中間管理職の辛さ、下請けで働く人への搾取は、決して他人事ではありません。
石神さんも、本作で描かれるのは、誰か悪者が起こす問題ではなく、夢や美のために引き起こされる構造的な問題であることを強調します。デザイナーのアレクサンダーは、メゾンで働くマリオンに無理難題を押し付ける横暴な独裁者に見えますが、一方で、大きな仕事で成果を出さなければいけないプレッシャーにさらされています。マリオンは、上司であるアレクサンダーの期待に答えるために、下請けのムンバイの工房にプレッシャーをかけなければいけません。塩谷さんはさらに、「王妃にも、歴代の王妃に恥じない、そして現代の大衆からも批判されないウェディングドレスにしなければならないという重圧があるだろう」と指摘しました。このように、本作は分かりやすい善悪を扱うのではなく、悲劇的な構造自体を描き出しているというところで、皆さんの意見は一致していました。

家族の問題
本作で取り上げられる家族の問題についても、登壇のお二人だけでなく、参加した皆さんから様々な意見が寄せられました。マリオンは、仕事におけるプレッシャーに苛まれる一方、娘と夫という二つのベクトルで、家族関係にも悩まされています。例えば、マリオンは同じメゾンで働く従業員である夫からDVを受けていることが、作品の中盤で生々しく描き出されます。夫はもちろん加害者ですが、グェンさんはあくまで、歪んだ仕事の構造が家庭に影響を与えるというシステムの問題として描いていきます。
作中、夫はマリオンが出世していくことについて、複雑な感情を抱いているように見えます。塩谷さんは、マリオンと夫の関係について、クリエーター同士のパートナー関係によくある関係性だと言います。日本でも、パートナーの片方が出世すると、そして特に女性が活躍すると、関係がうまくいかなくなるケースが多いとのこと。片方がパートナーの活動のファンなら上手くいくこともあるようですが、例えば作風が変わった場合に、最大の理解者だったパートナーが裏切られたと感じてしまうこともよくあると語りました。確かに、夫もマリオンに対して、このような羨望と嫉妬が入り混じる感情を抱えていたのでしょう。
このように、職場で起こる家庭のリアルな問題を赤裸々に提示された作品を観ると、みんな自分たちと同じようにいろんなプライベートな問題を抱えているんだなと、ある意味で勇気をもらえると、塩谷さんはまとめました。
複数の言語
塩谷さんは、上演前の文芸部によるプレトークを聞いて、グェンさんの過去作『サイゴン』でベトナム訛りのフランス語が使われていたということに興味を持ったとのこと。今作『ラクリマ』でも、ムンバイの工房のインド訛りの英語によって、作品の生々しさが表現されていたと感じたそうです。「表現者たちが自分たちの言葉で話すと、伝わるものの鮮やかさが変わる」と熱っぽく語りました。
ご自身は、普段は関西弁を話すけれど、若い頃大阪の劇団で演劇をやっていた時に標準語に変えるよう指導されたそうです。そこで「方言を矯正された経験のある人はいますか?」と参加した皆さんにマイクを向けると、たくさんの手が挙がり、それぞれのエピソードを話してくれました。
石神さんは、ムンバイの工房で働くインド人がタミル語と英語を両方使っていることや、マリオンもフランス語と英語の両方を使うなど、本作の登場人物が複数の言語を使うことに注目したそうです。「それぞれの役が言語を習得してきた理由/しなければいけなかった背景に思いを馳せた」と語りました。
秘密/フィクション
劇中に出てくる守秘義務の契約書の中で、本作のウェディングドレス製作に携わる人たちは、製作の過程について100年間口外してはいけないという文が現れます。つまり、関係者は死ぬまで秘密にしなければいけないということです。観客である私たちは、フィクションの枠内ではあるものの、本来明かされないはずの製作の過程を覗き見ることになります。
参加者のフィクションについての問いかけから、この作品をなぜ事実を元にしたフィクションという形式にしたのかということについて、様々な議論がされました。インタビューの仕事の経験も豊富な塩谷さんは、「本作の制作過程でファッション業界の方々にインタビューして作っているはずなので、取材元を守るためじゃないか。そしてフィクションと謳っているからこそ、インタビューで聞いた本当のことを作品に取り込めるのだろう」と推測。石神さんも同意した上で、「劇場はフィクションを通じて“本当のこと”を語れる空間であるはず。むしろそうでなければ非常に危うい」と、劇場の持つ役割について述べました。
また、本作の中で、コロナ禍以降我々の日常生活へ浸食してきたZoomが多用されていることも、塩谷さんの印象に残ったようです。グェンさんは、石神さんと行った
スペシャルインタビューで、Zoomというメディアが本作の「秘密」というテーマにとっても重要だと述べています。Zoomは、切り取られた画面しか見えないので、人に見られていい部分だけ見せようとします。しかし本作の中では、あろうことか王妃とのZoomミーティングにおいて、人には見せたくないプライベートな家族の問題が、画面の中に入ってきてしまいます。このように隠すもの/隠し通せないものが、Zoomというメディアの使い方にも表れていることも話題に上がりました。
観たものをどのように「使っていく」か
参加者から、実際に『ラクリマ』のような状況に自分が置かれたとき、どのように振舞えるだろうか、というコメントがありました。石神さんは、作品を観ることを通じて、このような構造を知ることがまず大事だと言います。知っていれば、似た構造が現れたら危機感が働くはず。こういう作品を観ることが、想像力を広げる練習になるだろうと述べました。塩谷さんは、もちろん『ラクリマ』のような構造に陥ってしまうと声を上げることは難しいと前置いた上で、様々な立場の人が自分の声を持つことの重要性を訴えました。
塩谷さんが、「華麗な問題提起」と評したように、様々な問題が複雑に絡み合う本作。1時間半を超えるトークの中、本ブログで取り上げることができたのは、皆さんの議論のほんの一部です。活発な意見交換を聴きながら、グェンさんが提示したグローバル時代の社会問題、そしてそれに付随するプライベートな問題は、確かに日本の観客に刺さったことがよく分かりました。ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました!
いい作品を観たら話したくなるもの。SPACでは演劇祭に限らず、作品に関連したトークを開催しています。是非これを読んで楽しそうだな、と思った方はご参加をお待ちしています!
(SPAC制作部・前原拓也)