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2025年11月16日

ロゴスではない『ハムレット』-11月9日(日)『ハムレット』アーティストトークレポート

2025年11月9日(日)『ハムレット』の終演後、英文学者でシェイクスピア研究の第一人者である河合祥一郎さんをお迎えして、『ハムレット』演出の上田久美子さん、司会の「SPAC秋のシーズン2025-2026」アーティスティック・ディレクターの石神夏希とのアーティストトークが行われました。
その一部を抜粋してお届けします。
 

 

シェイクスピアの世界観-自然や世界と人間が繋がっている


石神:河合さんと上田さんはもともとお知り合いだったそうですね。そして、今作の演出にあたって河合さんとの会話が大きな役割を果たしたと伺っています。
 

上田:はい。2年くらい前から、この世界を構成している人間以外の存在と人間や物語を、同時に舞台上で表現する作品を上演してみたいと思っていました。自然が都市生活から排除されている現代とは異なり、シェイクスピアたちの時代は、自然や人間以外の存在が生活の中に入り込んでいた時代だと思います。例えば、シェイクスピアの作品には、太陽の運行や死体が腐敗し土に戻っていくことなど、人間ドラマとは直接関係のないことを語る場面が出てくるんです。そのような自然を排除しきれない時代の感覚を大事にしながら演出をしたいと思っていました。人間が何をしていても人間の近く、ひいては身体の表面にもバクテリアなどの人間以外の生物たちがたくさんいて、生きているんですね。このことを舞台で可視化したいと考えていました。そのようなことを考えているときに、河合先生に初めてお会いし、このとんでもないアイディアをお話ししたんです。
 

河合:シェイクスピアの時代には、人間という小宇宙(ミクロコスモス)と世界という大宇宙(マクロコスモス)が呼応しているという発想があります。これを新プラトン主義思想と言います。人間は一人で生きているのではなく、自然と一体化して生きており、目には見えないスピリッツたちがあたり一面にいるという発想です。私たちが今、当たり前だと思っている「私」という存在、独立した個人という発想が出てくるのは、『ハムレット』の約30年後です。デカルトに端を発し、近代以降私たちは人は一人で生きていると考えていますが、シェイクスピアの生きた時代には、人間は世界と繋がっており、人は死ぬと土に還り、土から生まれるという発想があるんです。
 

ロゴスを押さえつけるオフィーリア

河合:上田さんが「劇場文化」(公演パンフレット)の中に書かれている「ロゴスでない『ハムレット』」。これはとても重要な言葉になると思います。ロゴスは、論理という意味であると同時に言葉という意味でもあります。本作は、ハムレットの親友で唯一生き残ったホレイシオが『ハムレット』の物語を語ろうとすると、11人に分裂したオフィーリアたちが乱入し、ハムレットの物語を語り出すという設定になっており、前半ホレイシオはずっと縛られたままでいるんですね。これは、上田さんがロゴスを縛っているんだと思いました。また、最後の剣術試合の場面で、舞台の背景に映像でシェイクスピアの原文が、縦書きのアルファベットになって落ちてきていたんです。これはつまりある種言葉を解体し、意味を解体していくことだと思いました。

上田:映像の分解された文章を先生がわかったことに驚いています(笑)。

河合:すべてではないですけれど(笑)。最初、榊原有美さんが演じるオフィーリアを観て、違和感を覚えました。しかし、観ていくと榊原さんが演じるオフィーリアはロゴスのオフィーリア、つまり言葉を語るオフィーリアだとわかりました。反対に雑草を常に身にまとっている、宮城嶋遥加さんが演じるオフィーリアはロゴスを押さえつける感性のオフィーリア。この感性のオフィーリアは、ハムレットの言葉を語ろうとするホレイシオを制止したり、様々な場面でホレイシオと対になる場所にいたりします。そして、この言葉によって表現されるハムレットとそうではない感性のオフィーリアの対比が非常に面白かったです。
 

行き詰まった現代社会を引き継ぐフォーティンブラス

河合:感性のオフィーリアが最後フォーティンブラスになって現れることについて私の解釈があっているか伺いたいです。主人公であるハムレットが死ぬ間際に、デンマークの王位を継ぐのはフォーティンブラスだと言い残しますよね。私たちが暮らしているのは、これまでロゴスや男性中心で作られてきた社会、また自然を破壊しながら作られてきた社会ですが、最近ではようやくエコロジー、生態系や環境保全が重要だとなってきました。ある種デカルト以前のシェイクスピアの時代に戻っているとも言えます。そのようなロゴスによって発展した社会を引き継ぐのがフォーティンブラスを名乗る感性のオフィーリアなのかな、と思っています。

上田:はい、まさにその通りです。ロゴス中心主義だったり、男性たちが作ってきた社会においては、理性や言語による論理が重要視されてきました。自然を顧みない人間中心主義かつ頭で理性的に計算し、より良いものを求めていく科学万能主義の行き詰まった結果が、環境も限界を迎えている現代社会だと思います。そのような社会が行きつく先は、『ハムレット』の男たちが権力闘争で死んでしまう結末のようになるかもしれないと思うんです。私の中で『ハムレット』の最後は、人類が滅亡する縮図だと捉えています。最後にフォーティンブラス一行や死んだ登場人物たちが蘇ってきて、全員が不思議な動きをしながら、舞踊のようになっていきましたよね。これは人類が滅亡したら、他の動物や昆虫たちも含めて植物が繁茂するだろうと考え、人間がいなくなった後、また太陽の光を受けて戻ってきた生命であると考えています。
 

上田さんの自然観

河合:上田さんの自然観についても質問があります。宝塚歌劇団で作品をお創りになっていた時も、自然との一体はとても大きなテーマとしてあったと思います。ただ小さな人間たちではなく、とても大きな自然の世界に還っていくというモチーフがあると思って観ていました。人間が土から生まれ土に還るのだとしたら、ある種優しい自然なのかな、と。しかし、今回は「くさい」とか「ゴミ」とかという言葉が突き刺さってきたんですね。自然観が宝塚歌劇団時代よりも、よりリアルになったような。上田さんの自然観はどのような感じでしょうか。

上田:確かにそうですね。これまでエンターテインメントの文脈で自然を持ち出すときには、比較的ポジティブで甘美なイメージを持たせることが多かったです。しかし、人間が人間ではないものを演じる方法を探求する中で自然観は変化していきました。本作では、舞台上で不思議な動きをしていた役者がいたと思います。あれは、ただ闇雲にやっているのではなくて、きちんと方法論に基づいてやっているんです。今回は振付家の川村美紀子さんにご協力いただき、形にしていきました。以前からパリでフランス人の俳優たちと一緒に方法を探っており、その中で自然を観察して、草や木がどのような感覚なのかを考えてきました。そうすると、人間が勝手に、木はおおらかに泰然としていると思い描いているけれど、木は木で、内側では大忙しで全力疾走しているかもしれないことに気が付きました。それから、大きな木が小さな木を枯らそうとして日陰を作るなど、とてもゆっくりだけれど、他を攻撃しているのではないか、など。だから、自然は優しいものではなく、恐ろしいものですよね。人間もそのような残酷で非情な自然の一部に過ぎないんだと、最近は特に思うようになり、忘れないようにしなければいけないと思います。

河合:怖い自然観は、本作の稽古中にも積もってきたのですか?

上田:どうでしょうか。稽古が始まる頃は、今よりももっと怖い自然観は強かったと思います。しかし、稽古を進めていく中で善悪を超越した美しさを感じるようになりました。最後、全員が人間以外の生命体になって動く時には、気持ちがいいなどのポジティブな感覚だけではなくて、アグレッシブで攻撃的になってもある種善悪を超越した生命の美しさがあると感じるようになってきた場面でした。

石神:この作品が生まれる、この作品が生み出されるタイミングに立ち会っていた河合さんにここで見届けていただけたことをとても嬉しく思います。今年度の「SPAC秋のシーズン2025-2026」では、「きょうを生きるあなたとわたしのための演劇」というメッセージを掲げて『ハムレット』を含めた3作品を上演しています。上田さんには、本当に素晴らしい形で打ち返していただいたと思っております。本日はどうもありがとうございました。

(文:制作部・村上瑛真)
 
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SPAC秋→春のシーズン2025-2026 #2

ハムレット

潤色・演出:上田久美子
作:ウィリアム・シェイクスピア
翻訳:河合祥一郎(角川文庫『新訳 ハムレット 増補改訂版』)
出演:阿部一徳、貴島豪、榊原有美、杉山賢、武石守正、舘野百代、ながいさやこ、本多麻紀、宮城嶋遥加、山崎皓司、吉見亮、若宮羊市(50音順)

2025年11月9日(日)、15日(土)、22日(土)、23日(日祝)、29日(土)、12月6日(土)、7日(日)
各日13:30開演
会場:静岡芸術劇場

★公演詳細はこちら
https://spac.or.jp/25_autumn/hamlet_2025
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