ボゴタ演劇祭参加の記
SPAC文芸部 横山義志
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公演五日目、千秋楽。
コロンビアを代表する新聞の一つ「エル・ティエンポ」紙に『王女メデイア』の記事が出る。末尾に訳出。
今日のクローズアップ、ヘアメイクの梶田キョウコさん。宮城作品には欠かせない存在である。宮城さんとは深夜代々木のデニーズでたまたま隣になって知り合ったという。
『王女メデイア』では、楽屋入り二時間の間に、女優7人の髪をつくる。メデイア役の美加理さんの髪には一時間近くかけるという。限られた時間の中でそれぞれにかかる時間を計算し、仕上げていく職人技。
ヘアーメイク事務所「レサンクサンス」を運営しながら、ご自身でもアーティストとして活躍しつづけている。舞台は映像よりもお客さんが三次元で見てくれるのでやりがいがあるという。宮城さんとの仕事は2003年に日比谷公園で上演された『サロメ』以来で、フランス、インドネシアなどのツアーにも同行。宮城さんは要求が高くて、つねにハードルを上げられていくのに応えるのが楽しい、とのこと。頼もしいお人である。
「レサンクサンス」
ブログにボゴタでのことも書いてくれています
http://ameblo.jp/les-cinq-sens/page-1.html#main
今日はスタッフ11時発、俳優12時45分発。
11時、ホテルにオマール・ポラスが来る。再会を祝して、俳優たち一人一人と抱き合う。
オマール、宮城さん、俳優の三島さん、たきいさん(オマール・ポラス演出『ドン・ファン』に出演)とレストランに。アマゾン流域の原住民たちから学んだ食材でやっているという「ミニ–マル」というお店。”Cocina contemporanea sorprendentemente colombiana”、コンテンポラリーで驚くほどコロンビア的な料理、といったところか。オマールによればコロンビアには数百種類の果物があるという。早速6種類のフルーツジュースを注文。どれもみずみずしくて、身体に浸みる。野菜や根菜、バナナやフルーツ、肉、魚、香辛料、見たことないものばかりだが、何もかもキトキトでおいしい。ペットボトルなど廃材を使ったオブジェなども売っている。
「ミニ–マル」
『ドン・ファン』の思い出話や進行中の企画の話などしながら食事をしていると、あっという間に時間が経ってしまい、あわてて劇場へ。到着後間髪入れずにトレーニング開始。オマールはじーっと見学。
14時30分、最後の宮城さん稽古。ムーバーの仕草と気持ちの関係を確認したり、台詞の抑揚・強弱を調整したり、一秒弱の間をなくすために細々と打ち合わせたり。オマールは俳優に見せる宮城さんの仕草をしげしげと観察。一時間弱で切り上げ、「あとは思い残すことのないように、各自で」と自主稽古。
午後、一天にわかにかき曇り、車軸を流すような雨。あっという間に道路が河のようになる。
20時、雨の影響で道路がかなり混雑していたらしく、遅れ客が多くて客席がざわついている。ウラでは多くの俳優が酸素マスク(劇場に常備、高地ならではである)を使っていたという。さすがに疲れが出たのだろうか。
だが、俳優たちは客席の混乱にもかかわらず集中力を失わず、楽日にふさわしい舞台となった。一階席はほぼ総立ち、コール5回。5回公演、最後まで満席だった。
今日は月曜日ということもあり、フェスティバル関係者や俳優、演出家などプロの観客が多かったようだ。ブルキナのカンパニーも見に来てくれた。というか、こういったプロの観客も見られるように、わざわざフェスの期間を一日延長してまで5回公演にしたようだ。今回は全てソールドアウトだったので、次回はもっと公演数を増やしたいという。
関係者によれば、ボゴタ演劇祭には国外から85団体、国内からは100団体以上が参加し、17日間にわたって1,000近くの公演が行われたという。まさに世界最大の演劇祭である。
出口に立っていると、観客たちが次々にグラシアス、と声をかけてくれて、質問を投げかけてくる。また来てくれ、ボゴタをホームだと思ってくれ、などと泣ける言葉も。また来るぞ、と誓いつつ、最後のお客さんを見送って劇場に戻る。オマール・ポラスとファビアナは劇場内の俳優・スタッフに声をかけてから、裏口へ。タクシーを待ちながら、二人がメデイア、イアソン、子ども、乳母と、次々と真似てみせる。
二人を見送って劇場に戻ると、バラシの打ち合わせ。すぐにバラシがはじまり、次々と舞台が空になっていく。
つかの間の出会いに感謝しつつ、サヨナラだけが人生の旅芸人生活を終え、静岡への長い帰途に着く。
『王女メデイア』は6月19日、26日に舞台芸術公園・野外劇場で上演の予定。
今度はどんなお客さんと出会えるのだろうか。
http://spac.or.jp/10_spring/medea
「西洋と東洋をつなぐ『メデイア』
ラウラ・ガルシア(女優・演出家)
(前半はあらすじ紹介、略)
演出家・宮城聰の『メデイア』は東洋と西洋とを見事につなぐ。だが、舞台の床には、一滴の血が大きく広がっている。殺人が行われると、赤いライトが舞台を照らす。
ほとんど変化がなく、ストイックな表情の動かない身体が歪みを見せ、時には不運に見舞われた鳥のように動く。声のない顔。なぜなら彼女の声は、背後から来るのである。声を出すのは楽隊の前に座っている黒い服を着た俳優である。つまり、この静岡県舞台芸術センターによる演出は、髪を引っ張り合い、目玉をひっくり返しながらオリンポスの神々や地獄の神の力を召喚したり、予期された悲劇的な運命が全てを運び去る竜巻のように轟音を上げるわけでもなく、全く予想もつかなかったような演技のスタイルなのである。語りの合間に、俳優たちは酒を飲んだりお茶を飲んだりする。従順な芸者が遊客の間を飛び回る。知識と文明化された世界を守りつづけていた、横にある金属製のタワーが、クライマックスで本を投げ出す。女性の情念の「野蛮」が、イアソンによる重婚を正当化するために持ち出す「理性(理屈)」に勝利する。作品のエピローグでは、現代のメデイアとなった芸者たちが、絹の赤いドレスを着て、横柄で尊大な遊客を打ち倒し、強大な女性の独立を打ち立てるのである。」
「エル・ティエンポ」紙、2010年4月5日