毎年10月から翌年3月にかけて古今東西の名作戯曲を中心に静岡芸術劇場で上演する「秋→春のシーズン」。今年は新作4本を発表するという超豪華なラインナップになりました♪
そこで、多くの皆様にこのラインナップを知っていただくべく、7月23日(月)、東京・飯田橋のアンスティチュ・フランセ東京で、「SPAC秋→春のシーズン2018-2019」製作発表会を開催。シーズン#1『授業』を演出する西悟志さん、#2『歯車』を演出する多田淳之介さん、そして芸術総監督の宮城聰が登壇し、自身の演出作について語りました。
会見冒頭宮城は、「SPACの秋→春のシーズンは、「演劇の教科書」がもしこの世にあったならば、必ず掲載されるであろう“人類共通の財産”と言える作品を上演するのが基本的な考え方なんです。これは観客動員に左右されずに作品を選んでいくということでもあります」とコンセプトを説明。
そのうえで、「優れた芸術っていうのは、危機的瞬間に直面した人間の心の状態を瞬間冷凍してとどめているものだと僕は考えています。危機的瞬間って所謂ネガティブな意味ばかりでなく、喜怒哀楽どれに関しても度外れていて、今までの自分ではいられなくなってしまうような瞬間です。恋なんかもそうですね。それを見事に、瞬間冷凍のようにとどめているのが、多くの優れた芸術なんじゃないでしょうか。僕らは生きている中で時々そういう危機に直面し、うろたえてしまいます。しかし芸術を観ると、これまでにも案外似たような局面を人類は体験していて、そういう瞬間に人はどうしていたのかということを学ぶことができます。これは芸術の大きな遺産、人間が蓄えてきた知恵なんです。演出家は、生きている俳優の肉体を使って、瞬間冷凍されたものを解凍してみせるのが仕事。というわけで、演出家という人が僕は活躍して欲しいと思っているんです」と語りました。
その一方で、日本の演劇界では「演出家」だけでやっていくのは難しいとも言及。野球になぞらえて、「高校野球では、ピッチャーで四番を打っている人はいますが、プロになるとどちらかに専念する場合が多いですよね。王貞治さんとか。ごくまれに大谷翔平みたいな人がいますが、やはりピッチャーか打者に専念する人が大半です。翻って日本の演劇界は、不思議なことにピッチャーで四番のままプロになっていく人が多い。それは世界の中でみるとユニークで良いことでもあるのですが、逆に言えば“人類の遺産”として折角残っている過去の優れた作品を上演する、その専門家がほとんどいないということなんです。だから僕は演出家にもうちょっと活躍して欲しいって思っていて、今年の「秋→春のシーズン」では、僕がまさに期待している西さん・多田さんに、演出の専門家として、過去の遺産を今を生きている俳優の身体で表現するという演劇の王道を展開していただきたいなと思っています」と述べました。
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宮城の概要説明に続き、各上演作品の紹介へ。
シーズン第一弾は、不条理劇の傑作、ウジェーヌ・イヨネスコの『授業』。内気な老教授のもとへ個人授業を受けに訪れた一人の快活な生徒。穏やかに始まった授業は徐々に変調をきたし、衝撃のラストへ…。
本作を演出する西悟志さんは、宮城の「危機的瞬間に直面した人間」という言葉を受けて「今危機的状況にある西悟志です」と発言。会場を一気に和ませました。
そして、「話し言葉は“おまじない”だと考えています」と述べ、実際に参加者の一人に「手を挙げていただけますか?」と挙手を促しました。手を挙げる参加者。それを受けて、「こうやって言葉をかけることで、私は労せずして人を動かすことができます。これを私は“おまじない”と言っています」とその意味するところを説明。続けて、「手を挙げてくれない可能性もあったわけですから、この“おまじない”はかかったり、かからなかったりします。自分は“おまじない”をかけるのが上手いと思っていますが、一方で結構かかりやすいです。だから、ここ2カ月くらい自分がまるで『授業』の中の教授を演じてしまうような、戯曲が自分の中に降りてきちゃうようなことがあって」と語りました。
その中で「教えることって楽しいよね」というシンプルな言葉が生まれたとし、「何で楽しいかと言えば、力を持つから。力を持つということは多分すごく楽しいことなんですが、力を行使することは不愉快なこともあるんです。イヨネスコの『授業』は、“教える”という行為の中に暴力性をはらむことを描いた傑作戯曲だと思っています。でも、教えることを不愉快だからと言ってやめてしまったら、多分そこには何も起こらなくなってしまう。多分言葉も演劇も同様に力を持つことを恐れてはいけないし、一方で暴力にもなりえるということを常に頭に置いていなければならない、と考えています」と述べました。
また、「裏返って教えられる人もいるわけです。戯曲中、生徒は暴力を振るわれ、ひどい目に遭いますが、この生徒のことを覚えている人がどれだけいるんだろうと考えます」とし、「“教える-教えられる”という関係の中で否が応でも力を持ってしまう自分が、教えられて押しつぶされていく人たちを忘れないこと、それが自分の仕事なんじゃないか。押しひしがれていく、力を行使される女性たちを中心にこの戯曲に取り組んで行きたいと思っています」と抱負を語りました。
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続くシーズン#2は芥川龍之介最晩年の小説の舞台化となる『歯車』です。
知人の結婚披露式のために上京し、ホテルに滞在しながら執筆を行う、とある作家。破滅や死への不安に襲われながらも心を平静に保とうと執筆に向かう姿は、死の直前の芥川本人なのでしょうか…?
本作の演出を手掛ける多田淳之介さんは、SPAC初登場。「SPACで作品を創らせていただけることや、何よりSPACの俳優と作業できるのをすごく楽しみにしている」と語り、また「中高生鑑賞事業公演もすごくモチベーションになっている」と喜びと期待をにじませました。
一方で「中高生に見せる作品が『歯車』という…。僕は戯曲だったり小説だったり、色々なものをもとに作品を創る中で、その題材をどうやって今の人たちに“我が事”として捉えてもらうか、を考えることが多い。だから『歯車』をそのように捉えてもらうのはなかなか大変だと感じています。小説自体、のりにくいというか、読み進めるのが難しい。所謂話のないお話でもありますし…」と苦笑い。
ただ、「構造としてはすごく面白い小説」と述べたうえで、「間違いなく芥川本人である作家が、苦しみながら小説を書いている。でもこの作家は、小説を書くことはあまり辛くなさそうなんですよね。それ以外のことは辛そうなのに、筆はすごい勢いで進んでいたり(笑)作品自体は表現として強度があると言うか、文芸としてすごくレベルの高い作品だと思います。おそらく入れ子構造というか、書いている作家(芥川)が作中にいて、彼も苦しみながら書いているんだけれど、すごく面白い作品を書いているようにも見える。この入れ子構造は面白いなって思っています」と語りました。
さらに、「僕も昔は脚本を書いていて、「東京デスロック」という名前の劇団を今もやっていますが、人が死ぬ話ばかりを書いていたんです。正確に言えば、死なれた側の話などですが。なるべく「死ぬ」ということをポジティブに、「死」を描くことで、「生きること」をいかにポジティブに捉えられるかを考える。この『歯車』からも、「生きること」「生きるとは何か」ということや、「息苦しさとは何か」ということを考えていけたら良いなぁと思っております」と抱負を述べました。
宮城は、「多田さんに何で『歯車』をお願いしたか、一つは多田さんの名前が淳之介で如何にも文芸っぽいということもあって(笑)淳之介が龍之介を演出するって良いんじゃないかって(笑)」と冗談を言いつつも、「先程多田さんが“入れ子構造”っておっしゃいましたけれども、この構造そのものを上手く演劇にしてくれるんじゃないかっていう期待をしています。多田さんは、メタ構造的なものを立ち上げるのがとても上手で、最近劇作はされないけれども、かなり劇作家的な技術を演出に持ち込んでいる方だと僕は思っています。また、演出家としてカンパニーを率いているという非常に稀有な存在です」と期待を寄せました。