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2025年6月30日

SHIZUOKAせかい演劇祭2025『〈不可能〉の限りで』関連企画 フェスbarトークレポート

 SHIZUOKAせかい演劇祭2025では、国境なき医師団や赤十字国際委員会で働く人道支援者へのインタビューをもとにした、ティアゴ・ロドリゲス作・演出の『〈不可能〉の限りで』を上演しました。公演の関連企画として、4月27日(日)に舞台芸術公園内のてあとろんにて開催されたフェスbarトークの模様をお届けします。

 SPAC秋のシーズン 2025-2026アーティスティック・ディレクターを務める石神夏希さんを司会に、出演した俳優4名全員が登壇した本イベント。トークでは、俳優たち自身も深く関わった創作プロセスを喜んで明かしてくれました。参加者からの質問も多く寄せられ、大盛り上がりのトークイベントとなりました。(通訳:藤井慎太郎)

石神夏希(以下、石神):それでは、まず皆さん自己紹介をお願いします。
 
アドリアン・バラッツォーネ(以下、バラッツォーネ):私は俳優で、自分で演出もします。主にスイスで活動していますが、フランスでも活動することもあります。ティアゴ・ロドリゲスの他には、ジョナタン・カプドゥヴィエルという別の演出家とも仕事をしています。
 
ベアトリス・ブラス(以下、ブラス):私は、映画と演劇、両方の仕事をしています。自分の劇団を持っていますが、最近では他のアーティストと一緒に仕事をすることが多いです。

アドリアン・バラッツォーネ
ベアトリス・ブラス

バティスト・クストノーブル(以下、クストノーブル):俳優で元々パリの生まれですが、演劇をやるためにスイスに移り住み、かれこれ20年ほどになります。自分でワークショップもやっています。
 
ナターシャ・クチューモフ(以下、クチューモフ):女優で演出家もしております。この作品を制作したコメディ・ドゥ・ジュネーヴという劇場で、共同ディレクターを務めていました。演劇学校で教師もしております。

バティスト・クストノーブル
ナターシャ・クチューモフ

バラッツォーネ:あとこの会場にいるチームの二人を紹介させてください。まずコメディ・ドゥ・ジュネーヴでこの作品のプロデューサーを務めたパスカル・レノー。そして、演出助手を務めて、今回演出家の代わりに来日しているリサ・コモです。

企画の発端、チーム作り

石神:今日はぜひ俳優という立場から、どんな風にこの作品が生まれ、作られていったのかというお話を皆さんに聞いていきたいと思います。ナターシャさんは、この作品を制作した当時、コメディ・ドゥ・ジュネーヴの共同ディレクターをされていたということで、企画の初期から関わっていらっしゃると思うのですが、この企画はどのように始まったんでしょうか。
 
クチューモフ:まず、私ともう一人の共同ディレクターで、ティアゴ・ロドリゲスの作品を制作したいと思い、彼とミーティングをしたんです。そうしたら彼が、赤十字国際委員会(ICRC)のディレクターと会ったと話してくれました。その後、ティアゴは世界各地で展開されている赤十字の活動を調査する予定だったんですが、コロナ禍で行けなくなってしまったのです。その代わりに、稽古場に30人ほどの人道支援に関わっている人たちをお呼びして、ティアゴと俳優たちで話を聞きました。最終的に、このやり方で私たちも非常に幸せだったし、ティアゴにとってもその方が良かったんじゃないかと思っています。
  
バラッツォーネ:今日のトークには来られなかった、パーカッション担当のガブリエル・フェランディーニも、プロジェクトの最初から参加していました。


ガブリエル・フェランディーニ

 
 
石神:チームはどういう風に作られたんですか?
 
クストノーブル:もともとコメディ・ドゥ・ジュネーヴとティアゴのプロジェクトだったので、ナターシャは初めから劇場側の人として関わっていました。ガブリエルとベアトリスとは、ティアゴは既に仕事をしたことがあって、また一緒に作品を作りたいと思っていたそうです。つまり3人は既に決まっていました。その後オーディションをして、僕とアドリアンが選ばれたのです。
 
石神:一般的なオーディションって、役に合わせて選ばれるじゃないですか。でも今回の場合、皆さんはインタビューという、作品を立ち上げる最初の段階から関わっていらっしゃるわけですよね。どういう基準で選ばれたんだと思いますか?
 
クストノーブル:オーディションの時、「人道支援者に関する作品を作るので、2ページから5ページぐらいのテキストを持ってきて、議論ができるようにしてください」と言われました。私は、フランスの戦争写真家レイモン・ドゥパルドンによる、ルワンダの内戦についてのテキストを持っていきました。
 
クチューモフ:6週間という創作期間とテーマは決まっていたものの、作品がどうなるか全く分かっていなかったので、ティアゴは俳優を選ぼうというよりも、一緒に仕事したい人を選んだという感じだったんじゃないかと思っています。
 
バラッツォーネ:彼自身、しばらくの期間一緒に過ごすことになるので、一緒に時間を過ごしたい人を選んだと言っていました。一緒にご飯を食べに行ったり、おしゃべりしたりできるような。ティアゴのテキストは、基本的に当て書きなんです。テーマはもちろんあるけれど、基本的には役者に当て書きしているので、役者がどんな人間であるかはすごく大事なんです。
 

俳優も一緒に行った人道支援者へのインタビュー

石神:今回は特に一筋縄ではいかないようなテーマに取り組むので、一緒に過ごしたい仲間を選ぶというのは、とてもよく分かります。インタビューで何か印象的だったことなどはありますか?
 
バラッツォーネ:私たち聞き手は好奇心のままに質問していいということだったので、インタビューされる側だけでなく、聞き手の人柄もその中に反映されているようなテキストになったと思います。
 
クチューモフ:半分くらいはかなり忠実な文字起こしなんですけれども、もう半分くらいはティアゴがポエティックに書き直しました。稽古の序盤に、黒澤明の『羅生門』をみんなで観たんです。この映画のように、立場によって聞こえてくる/見えてくるものが変わるということを前提にして、私たちのクリエーションはスタートしました。
 

俳優から見るティアゴ・ロドリゲスの手法

石神:ベアトリスさんは以前からティアゴさんとお仕事をしているとのことですが、彼の他の作品のやり方と違うところはありましたか?
 
ブラス:他の作品でも、フィクションとリアリティが共存しているというのは変わりません。私が関わった『ソプロ』という作品は、ポルトガルの劇場で実際に働いているプロンプターと一緒に作った作品でした。アドリアンが言ったように、ティアゴは特定の俳優を念頭に置きながらセリフを書いていきます。それは今回も他の作品も変わりません。
ティアゴの作品には、いわゆるキャラクターや役みたいなものはありません。出演者である私たちは、今まさにこの劇場にいる私たち自身として、伝えるべき話をするのです。『ソプロ』もそうでしたし、『死人にヨーグルトはいらない』というNTゲントで作った作品もそうでした。


 

演技について

観客:俳優としてのスタンスについて質問したいです。こういう題材を扱うときに、役を演じるのではなく、物語を代弁していくことはすごく繊細な作業だと思うんですが、役を演じるということと意識的に変えているのでしょうか?
 
バラッツォーネ:作品の中でも、人道支援をやるのは自分のためなのか、他人のためなのか、それとも自分のアドレナリンのためなのか、などと問いかけるセリフがでてきます。俳優としても、まさに同じようなことを自分に問いかけます。スポットライトを浴びたいからやっているのか、それとも何か違う別の目的があるのか、ということを自問しながら稽古をしていました。
作品の中で、私たちは過酷な話を伝えるわけですが、それをどういう形で観客に向けて語るのが適切なのかということについてもよく考えます。聞くに耐えないような、感情的な表現になってしまわないように気をつけながら、どういう形が適切なのかということを常に考えながら演じていました。
 
クストノーブル:この作品は、舞台美術が抽象的です。だから、観客の頭の中にどういう視覚的なイメージが引き起こされるのかということを考えながら演じています。

「ドキュメントに基づく演劇」

観客:国境なき医師団のドキュメンタリー演劇だという前情報で見たんですが、この作品は誠実なドキュメンタリー演劇だと思いました。ドキュメンタリー映画だと、ショッキングな映像を使いながら、現地の困難をドラマチックに解決するような作品がよくありますよね。でもこの作品では、インタビューを受けた実際の医師団の方々の素朴な人間性がよく見えてきました。面倒くさそうな人がいると思えば、反対に協力的な人がいたり。そういう個々の姿が見えるのが、まず良かったと思います。あと、「複雑さを表現してほしい」とか、「絶対理解できないよ」というところから始まるのが、すごい誠実だなって思いました。
 
クストノーブル:ティアゴは、ドキュメンタリー演劇ではなく、「ドキュメントに基づく演劇」をやりたいということを稽古場で繰り返していました。その意図の深い意味は、ティアゴしか分からないんですが…。
 
リサ・コモ(演出助手):例えば、ミロ・ラウはドキュメンタリー演劇の有名な演出家ですが、実際の映像を使い、現実そのものを見せるような手法を取っています。ティアゴの言う「ドキュメントに基づく演劇」というのは、ピカソが戦争をもとに描いた『ゲルニカ』のようなものだと言えるかもしれません。

演出助手のリサ・コモ

 
 

俳優とパーカッションの関係

観客:語りとドラムの関係はどうやって作られていったのでしょうか?本当はドラムの方に直接聞きたかったのですが、一緒に作られた皆さんに伺いたいです。
 
クチューモフ:ガブリエルの音楽は、この作品の中心と言ってもいいと思います。その証拠に、役者はツアーの日程によっては代役を立てることもありましたが、パーカッショニストの代役を立てることはできません。創作過程では、音楽とセリフがどのように関係を結ぶことができるのか、いろいろ試しながら作っていきました。たくさん失敗もしましたが。不幸なことに、スイスのテレビ局が作ったドキュメンタリー映像に、私が失敗した、どうしようもない場面が収録されてしまいました。(笑)私が最初にやろうとしたのは、ドラムと対話をすることでした。しかし、ティアゴと一緒に試行錯誤しながら、俳優たちがまず提示して、パーカッションが応答する形になっていったのです。
 
ブラス:パーカッションは、一つの巨大なモノローグだと思います。
 
クストノーブル:ガブリエルは、普段はジャズのミュージシャンで、すごく尖った最先端の仕事をしています。本作では、単に効果音やBGMとしてドラムを叩くだけじゃなくて、客席の方まで振動が伝わってくるような音響も用いられていたと思います。私たちの体の大部分は水でできていますから、その振動を受けて、私たちの心が震えるわけです。頭を使って合理的に理解するのではなく、体が振動して心も震えるという状態が引き起こされています。

日本の観客にとっての〈不可能〉と〈可能〉

石神:反対に出演者の皆さんからお客さんに聞きたいことはありませんか?
 
クチューモフ:たくさんありますよ。この作品は成功を収めたおかげで、3年ほどいろいろな国で上演してきました。この作品を初演して間もなく、ウクライナの戦争が起こって、悪化する一方だったわけです。そして、戦争は中東でも繰り返されました。上演する時期ごとに生じている時事問題が、作品の受容にも影響してきました。また一方で、国が異なれば、それぞれに異なる事情や歴史があります。
 
 〈可能〉から〈不可能〉の世界に一瞬で変わりうるというセリフが作品の中にありますが、日本の皆さんが今日この作品を見た時にどんなイメージをお持ちになるか、是非聞いてみたいです。


 
観客:戦争ではないんですけど、最近日本では闇バイトのニュースをよく見ます。困窮した学生が学費とか家賃が払えない状況になって、短時間で100万円稼げるよ、などとそそのかされる。それに応募すると国外に連れて行かれて、日本に対する詐欺行為をマフィアに強制される、みたいな記事を読みました。日本で暮らしていても、貧困に追いやられて思考力が鈍り、簡単に〈不可能〉の世界に転んじゃう可能性はいくらでもあると思います。
 
観客:戦争が日本で起きるっていうイメージは、今はそんなに湧いてないですけど、ただ、地震とか津波が日本には多いです。最近では石川県の能登で地震が起こったり。静岡も地震の危険があるとずっと言われてきています。
 
観客:私は日本で難民のボランティア通訳をしたりしています。日本でも公園で寝泊まりしているアフリカ系の人なんかがどんどん増えています。小さな子供もいます。そういう人たちに健康診断の医療通訳をしたりしています。どんな人にも医療や教育を提供するのは、人権・人道の観点から当然のことだと思っています。けれども、日本では難民の存在を受け入れることに慣れている人がとても少ないです。ですから、苦しんでいる方に、公的なお金を使って医療や教育を施すということが理解できないという人も、少なからずいます。「難民って、不法滞在ということはつまり犯罪者なのでは?」という人もたくさんいます。そういうふうに全く対話が成立しなくなってしまう時に、自分のすぐそばに〈不可能〉があるなと思います。
 
石神:確かに私たちが暮らしている日本の社会は、大きな暴力が外からやってくることは今のところあまりないし、目に見える形での暴力に接する機会は少なくて平和に見えます。でも、そんな平和な風景の本当にちょっと裏側に絶望があったり、暴力があったりしますよね。あるいは家庭の中とか、見えにくくて、細かく入り組んでいるところに。ですから、舞台で語られていたような痛みとか、人間の自尊心がものすごくギリギリのところに立たされるような事態というのは、日本の観客たちにも感覚的には響くところがあると思うんですよね。
 
 一方で、美しくデザインされて空調の効いた劇場の中で、圧倒的な暴力の物語に触れている自分は一体何なんだろうとも思います。そして、そんなふうに感じているこの瞬間さえも、これまで見てきたいろいろな演劇作品と同じように、忘れてしまうんじゃないかって。忘れてはいけないと思うのに、やっぱり忘れてしまうんだろうか。それでも自分は日常に戻っていくんだろうかと、問いかけられる作品でしたね。そういう、抱えきれない思いとともに劇場を後にするような、圧倒的な体験だったなと思います。
 
 劇場を後にした時の、誰とこの話をしたらいいんだろうっていう気持ちを、皆さんが言葉にしていただけたような気がしました。奇跡のような作品をどうやって作り上げてきたのかという秘密を聞くことができて、今日来た皆さんはラッキーだと思います。出演者の皆さん、そしてチームの皆さんに最後に大きな拍手を。

 

(制作部・前原拓也)