2025年10月5日(日)の『弱法師』終演後、早稲田大学文学学術院教授で情報学研究者のドミニク・チェンさんをゲストにお迎えし、『弱法師』の演出、「SPAC秋のシーズン2025-2026」アーティスティック・ディレクターでもある石神夏希とのアーティストトークを行いました。ドミニク・チェンさんの鋭い視点から石神夏希演出『弱法師』、そして三島由紀夫を紐解いていく濃密なトークの内容を抜粋してお伝えします。
(司会:横山義志(SPAC文芸部))
横山:ドミニクさんは情報工学の最先端を研究されている一方で能もやっていらっしゃいますよね。
ドミニク:ワキ方専門の流派である下掛宝生流という流派の能楽師・安田登先生がいて、私も素人として10年お稽古を受けさせていただいています。今日の『弱法師』も能の謡として知っていましたが、三島版の『弱法師』は実は今朝、(静岡に向かう)新幹線で横山さんにお借りして読んで、そして石神さん演出の舞台を初めて観る、というとても面白い経験をし、うわーっといろんな感情が渦巻いている状態です。
もともと三島由紀夫に対してはちょっと苦手な思いがあって、ただ、いくつか読んでやっぱ凄いなと思いつつ、凄いと思うけれども共感しないみたいな。作家に対してそういう関係性ってあり得ると思うんですよね。嫌いだから全く見ない、じゃなくて、共感はしないけれども凄さは感じる。
読んだときに思ったこととして、「逆張り」という言葉が思い浮かんだんですね。つまり三島がやったことって、能の『弱法師』のいろいろな形での逆張りなんじゃないか。例えばオリジナルの『弱法師』では俊徳丸の父親が、ある人の偽りの訴えを信じてしまい俊徳丸を捨てる。そして捨てられた俊徳丸は貧困の極みで、盲目になり、見知らぬ人からの施しでなんとか生きている。父親は父親で息子を捨てたことに罪悪感を感じて、罪滅ぼしにあるお寺で施しの行をする。そうするとたまたま俊徳丸と出会って、夜を待って声をかけ、そこである種の和解が生じて、彼の手を取って家に連れて帰るというハッピーエンドにつながっていくような物語かなと。原曲はあくまで捨てた父と捨てられた子の非常にプライベートな関係性なんですけれども、三島版では、戦争で生き別れになっている。だから見捨てたわけではない、俊徳丸が捨てられたというのとは全然違う。戦争という、ある意味その当時日本に住んでいた人たちすべてを巻き込んだパブリックな災禍だったわけですよね。そこを接点にしてプライベートとパブリック、そして2つの家庭が俊徳を奪い合う構図になっていて、対極的な設定だなと思いました。今朝(三島版の『弱法師』を)読んだときにこれは能の(原作の)反対をやろうとしていたんじゃないかという気さえ起こって……。
能のイントロで「今は昔」というのが出てきます。「今は昔」ってめちゃくちゃ面白くて、「今」だし「昔」なんですよ。「今」と「昔」が分かれていない。「主客未分」っていう言い方をしますよね。現在と過去が未分離で、「今は昔」ってワキ方やシテ方が語り始めた瞬間「昔」なんです。だけどやっているのは「今」の人たち。だから近代的な二項対立が無効化されるというのが、やっぱり能の面白いところだと思っていて。その点、三島さんは本当に近代人で、そうした能の未分離な状態を全部消した上でこれが近代的な能楽だ、と提示している。だからこれは三島由紀夫による能に対する挑戦というか、カウンターのように私は感じたんですよね。
それに対して石神さん演出版は、そういう主客未分離な状態に戻していますよね。級子が俊徳になったり、俊徳が級子になる。ひいては川島家と高安家も這這の体で、しかも川島のお母さんが2巡目で(級子に)「気をつけてください」って言う時に、凄い絶望した調子で(1巡目が高飛車のようであるのに対して)……だからパラレルワールドなんだけれども時間経過があり繋がっているような、三島がきれいにしようとした構造を石神さんはもう1回不可解な時間に分解しようとしたのかな、凄い!って思ったんです。
石神:ありがとうございます。主客が分かれていない、というのはまさにそうですね。この作品は集団創作でつくっていて、ある種のディレクションみたいなものはもちろん私が立てるのですが、ほとんどそれって「問い」みたいなものなんです。その問いに対してみんながいろいろな形で応えてくれる中で、ああでもない、こうでもない、と探っていく。それを繰り返してるうちに集合意識みたいなものができてくる。だから演出が常に決定打を打っているわけではなく、座組の中で共有された集合意識の中から誰かがあるときポンっと「これじゃない?」と答えを引き出して、みんなが「それだね!」と答える、みたいなつくり方をしています。
ドミニクさんに言っていただいた部分に繋がっているのですが、私も最初は、三島さんに対しての距離がありました。もちろん言葉も構造もすごく美しくできているんですけれども、今の自分にとって切実な物語として受け取るにはちょっと距離があって。そこで(三島戯曲に描かれてる)人間ドラマ、つまりふたりの他者同士の近代的なドラマではなくて、ひとりの人間の中の魂の対話、自問自答みたいな、葛藤を乗り越えようとする物語としてだったら上演できるのではないかと考えました。今回の舞台美術も現実の家庭裁判所には見えない抽象的な空間になっていますが、自分と対話をするために役を入れ替える、それこそ主客が入れ替わって対話するような形になりました。演じる、ということ自体がある意味で「他者になってみる」ということですよね。自分でありながら同時に他者になってみる、という体験を俳優さんたちはしている。その体験を通じて初めて分かってくるかもしれない、というようなアプローチが、ドミニクさんに言っていただいた主客未分離な状態でもあり、自分にとって「三島さんと対話する」ということでもあったのかなと、今ちょっと腑に落ちた気がしました。
横山:ドミニクさんにお伺いしたいと思ったのは、情報学研究者でありながらインターネットとか、生成AIとかを、ある種批判的に見てるところもおありですよね。さらに能をやっていらっしゃる。そんなドミニクさんが、実際に人と人とが実際に出会わなければならない、言ってみれば今の世界では効率の悪い「演劇」というメディアにどういった可能性を見出していらっしゃるのか、ということを最後にお話しいただけるとうれしいです。
ドミニク:ありがとうございます。今回の『弱法師』でも「見せる」ということがキーワードの1つだったと思います。俊徳が、見えるでしょ、僕の言ったこの光景が見えるでしょと言いますね。すると家族が奴隷のように「見えます」と応える。ここがやっぱりすごく面白くて。「見える」ことと「見せる」ことの違いを考えていました。
これは私がテクノロジーの分野でもずっと考えていることなんです。例えば能のお稽古をしている時に、例えば僕が羽衣の白龍という天女から羽衣を奪っちゃう役を1回やったことがあるんですけど、ちょっと悪いやつなんでワル風に歌ってみると先生に怒られる。「勝手に感情を乗っけてはいけない」って言われるんです。「こいつが悪い奴なのか良い奴なのかはお客さんが決めることであって、悲しい・嬉しいも勝手に表現しちゃだめだ」と言われて。そこで今度はニュートラルに謡おうとすると、「心がこもってない」と言われるんです。「心は150%こめなさい」と。だけど同時に「感情を勝手に表現してはいけない」って。だからもう禅問答みたいになって(笑)。このことが僕はすごい衝撃的でした。つまり何かを表現をするというのは、分かりやすく伝えることだ、分かりやすい・分かりにくいというパラメーターの調整みたいなものだと思っていた部分があったけど、そうじゃない考え方があるということに気付かされました。
石神さんが今回(「SPAC秋のシーズン2025-2026」のメッセージの中で)「自分で物語を編み直す」とおっしゃっていますよね。SNSや生成AIの今起こっている問題について世界中の研究を見ていると、人間の脳が働かないようにテクノロジーが進化していることがわかるんです。分かりやすい例だと、生成AIを使って作文をしてくださいと指示された人たちと、何もコンピューターを使わないで作文してください、と指示された人たちに同じお題を出して、脳波を測定する実験がアメリカの大学でありました。そうすると自分で鉛筆と紙で作文した人たちはめちゃくちゃ脳が働いていて、特に創造性に関係する脳の部位が動いてることが分かったんです。一方で生成AIを使った人たちはほとんど脳が動いてない。
能楽堂に通うようになって、ある時、「舞台で起こっていること」と「自分の頭の中で起こっていること」という、関係のないはずのこの2つが接続されている感覚を何回か体験することができて、これが能の面白さなのかと思ったんです。能を観ながら何かをイメージしたり、関係ないことを思い出したりして。そうするとお腹が空くんですよね(笑)。僕はお腹が空く映画とかお腹が空く演劇は、脳・身体が動いた、ということで自分も参加できた!と実感するんです。そのすべてを覚えてるわけじゃないし、すべてを言語化しているわけでもないけれども、一瞬でも自分の身体の中でイメージが湧いたりしたものは、意識は忘れているかもしれないけど身体のどっかに残存するんですね。人間は凄いものを鑑賞すると、自分の身体の裡が刺激され、作り変えられていく。たくさん劇場に通うことによってそういう体験を積み重ねるというのは、スマホの世界では起こり得ないことだし、ましてや生成AIを使っていたらどんどん自分の身体的な想像力が衰えていく。そこが僕がテクノロジーに対して抱えている一番大きな問題意識です。そうじゃない(身体的な想像力が衰えていくのではない)テクノロジーをどうやって作るのか、というヒントを、僕は逆に劇場とか能楽堂に通って得ようとしているので、今日は本当に研究の種となる素晴らしい体験をさせていただきました。
横山:本当に今、すべてのものを分かりやすく消化させてくれるような形でメディアが急速に発展していて、どこにも行かなくても何でも分かるよっていう感じになっていますよね。そんな中で、もしかしたら劇場にできることもまだあるんじゃないか。むしろ劇場に来ないとできない経験というのが逆に増えてきてるんじゃないかな、と、今日お話を伺って感じることができて、希望を得たような気がいたします。どうもありがとうございました。
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SPAC秋のシーズン2025-2026 #1
弱法師
演出:石神夏希
作:三島由紀夫(『近代能楽集』より)
出演:大内米治、大道無門優也、中西星羅、布施安寿香、八木光太郎、山本実幸[五十音順]
2025年
10/4(土)、10/5(日)、10/18(土)、10/19(日)各日13:30開演
会場:静岡芸術劇場
〈沼津公演〉
2026年1月31日(土)13:30開演
会場:沼津市民文化センター 大ホール
〈浜松公演〉
2026年2月7日(土)13:30開演
会場:浜松市浜北文化センター 大ホール
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