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2025年1月31日

ティアゴ・ロドリゲスと『〈不可能〉の限りで』

SPAC文芸部 横山義志

ようやくティアゴ・ロドリゲスの作品を紹介することができます。ティアゴは2022年にフランス・アヴィニョン演劇祭のディレクターに就任し、脚光を浴びました。ティアゴはポルトガル出身の俳優・劇作家・演出家で、外国人のディレクターは初めてでした。その前はポルトガルの首都リスボンでマリア2世国立劇場の芸術監督を2015年から務めていました。長年の間、かなり特異な演劇人として知られてきましたが、気がつけばヨーロッパ演劇界の中心人物の一人になってしまいました。『〈不可能〉の限りで』は近年の代表作で、ティアゴが今の世界に向けて伝えたいことがすごくストレートに出ている作品です。

ティアゴは1977年生まれ。ティアゴの父はジャーナリスト、母は医者で、二人とも1974年に起きたカーネーション革命に深く関わっていました。革命前のポルトガルでは半世紀近く独裁政権がつづき、アフリカの植民地支配によってポルトガルの「偉大さ」を国民にアピールしていました。1960年代、アフリカで独立闘争が盛んになると、鎮圧のために多くの若者が動員されていました。それに対して、自由を求めるアフリカの人々に共感を示し、独裁政権を倒そうという動きが革命へとつながっていったのです。一人一人の言葉、一人一人の行動が、やがて社会を変えていく。これを間近で見聞きしてきたティアゴは、はじめジャーナリストを目指し、その後俳優を志して、リスボンの国立演劇学校に入りました。

ところが一年生の終わりに、ティアゴは先生から「君は演劇には向かない」と言われたそうです。それで演劇の道を断念しようか迷っていたとき、ある劇団に出会います。tgスタンというベルギーの劇団が演劇学校で行ったワークショップに参加したティアゴは劇団員たちと意気投合し、劇団の活動に参加していき、そのまま学校をやめてしまいました。

私はこのtgスタンという劇団が好きで、最初にティアゴを知ったのも、この劇団の出演者としてでした。tgスタンは「演出家を置かない、作品のコンセプトを決めない、稽古しない(!)」をモットーとする、かなり奇妙な劇団です。この劇団を作った俳優たちは、演劇学校を出たとき、「演出家とは仕事をしたくない」という一点で一致して、その後一度も演出家と作品を作ったことがないといいます。一方で、みんなあまりに我が強いので、劇団名すら決まらず、「名前を考えるのはやめよう(Stop Thinking about the Name = STAN)」というのを劇団名にした、とのこと(tgはベルギーで使われるオランダ語で「劇団」という意味です)。戯曲を上演するときには、みんなで手に入る限りの翻訳を持ち寄って、何ヶ月も議論して、みんなで上演台本を作っていきます。そのうえで、あまり稽古しすぎないようにして、本番でそれぞれが自分の解釈を相手にぶつけていきます。「今日はそう来たか!」というのを楽しみながら、俳優たちがその場その場で上演を作っていくわけです。20世紀は「演出家の時代」と呼ばれましたが、1980年代から、オランダ語圏を中心に、演出家という制度自体を問い直す動きもありました。今、このように非常に水平的で民主的な作り方が、改めて注目を浴びるようになっています。

この劇団はオランダ語・フランス語・英語など、多言語での上演でも知られていました。俳優は必ずしも母語ではなく、その土地で多くの人が話している言語で演じることになります。ティアゴも長年、フランス語や英語やスペイン語でも演じてきました。ティアゴにとって演劇は、国境を越えて人に出会うための手段でもありました。ティアゴがあちこちで他者の言語を話してきたのは、舞台は観客と一緒に作るものだと考えているからでもあります。ティアゴはその時、その場にいる観客のために演じることを大事にしています。

ティアゴは2003年に劇団ムンド・ペルフェイト(ポルトガル語で「完璧な世界」)を設立し、俳優たちと対話を重ねながら劇作・演出に取り組んできました。ジャーナリズムにも惹かれていたティアゴは、古典を題材にした作品でも、つねに今日の世界で実際に起きたことに取材しています。『〈不可能〉の限りで』は、人道支援組織の拠点がいくつもあるジュネーヴで作られた作品です。ティアゴはこの作品を初演した俳優4人と一緒に、国際赤十字社や国境なき医師団のメンバーにインタビューを重ねて、戯曲を書いていきました。ティアゴは作品を書き進めるとき、よく俳優たちに「ラブレター」を送るといいます。午前中は戯曲と「ラブレター」を書き、午後の稽古で俳優たちがそれを読み上げます。こうして、そこにいる俳優たちのために書かれた台詞が、俳優たちのフィードバックを経て形を変えながら、作品になっていくわけです。

この作品では紛争地域が〈不可能〉と呼ばれています。人道支援に従事する方々は、そこで行うことが「人類の苦しみに対する小さな絆創膏」に過ぎないことを知っています。それでもなお、それに意味があると信じているから、行かざるを得ないのでしょう。ティアゴが演劇をやっているのも、また私たちが劇場をやっているのも、きっと同じようなことを信じているからだと思います。絆創膏を一枚貼るために必死で出かけていく人がいれば、きっと世界は変わります。こことは違うどこかで起きていることをみんなで想像できれば、きっと世界を変える人が増えていきます。少しでも、少しずつでも。そんなことを、劇場で体感していただければと思っています。
 
SHIZUOKAせかい演劇祭

『〈不可能〉の限りで』  

作・演出:ティアゴ・ロドリゲス
製作:コメディ・ドゥ・ジュネーヴ(スイス)https://www.comedie.ch/