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2011年10月31日

アメリカツアー日記番外篇 アリストテレスのアイロニー、あるいは演劇の見方・見せ方

アメリカツアー日記番外篇 アリストテレスのアイロニー、あるいは演劇の見方・見せ方

SPAC文芸部 横山義志

以下、アメリカで考えたことのメモです。誰も待っていなかったとは思いますが、遅くなってすみません。日々の雑事に追われているうちに、ほとんど忘れかけていましたが、『ガラスの動物園』を何度も見ているうちに、ふと思い出したので、今更ですがアップしておきます。

10/4(火)

マーシャル大学で日本文化を知ってもらう活動をしているやまださんが、夜遅くまで『メデイア』公演の準備と稽古についてくれた。その稽古の合間に、「今日見てしまうともったいないから」とおっしゃっていて、「いや、稽古を見てから本番を見た方が楽しいんですよ」と言おうと思い、どう説明しようかと思っているうちに、いろいろ考えてしまった。以下に走り書きをしてみたが、結局ツアーとは直接関係のない、ややこしい話になったので、ご興味のある方は・・・。

「ネタバレ」といった言葉に象徴される「話が分かってしまうとつまらない」という発想は、アリストテレスの発明だと思う。でも、このアリストテレスのおかげで、演劇文化が貧しくなってしまった部分があるのではないか。というのは、同時代のアテナイ人からすれば、異邦人だったアリストテレスは、言ってみれば、演劇というものの見方を知らない人だったはずなのである。

アリストテレスという人はマケドニアの出身で、17歳のときにアテナイにやってきた。当時、演劇(悲劇・喜劇)というものをやっていたのは実質的にアテナイだけなので、アリストテレスはそれまで演劇というものに触れたことがなかったわけだ。一方でアテナイの人たちは、毎年祭礼の際に演劇を見るのが義務で、また子どもの頃から何年に一度かは「合唱隊(コロス)」として参加しているので、演じ手の視点も含め、演劇というものをかなり実践的なレベルで知っていた。また、そこで上演される物語は基本的に誰もが知っている神話のバリエーションなので、観客の関心は、物語自体よりも、それをどういった芸で「調理」するかにあったのだろう。マイルス・デイヴィスに、まさに『クッキン』と名付けられたアルバムがあるが、この意味ではジャズの演奏を思い浮かべてもいいかも知れない。

アリストテレスは、きっと悲劇の上演を(祭礼の実行者ではなく異邦人として)何度かは見ていたのだろうが、『詩学』では同時代の作品はまず扱わず、当時のアテナイ人はほとんど読んでいなかったらしい一時代前の作品のテクストを発掘して読み、それをもとに話を進めている。つまり、『詩学』の議論は、観劇体験よりも読書体験に基づいている。

(さらに言えば、当時のギリシア世界では、楽しみとしての読書というものは基本的に存在せず、「文字を読む」というのは苦労を要する体験として捉えられている。楽しみとなり得るのは「聞く」あるいは「見る」という体験であって、ある学者によれば、この当時のギリシア人にとって『オイディプス王』の台本を見ながら一夜を過ごすのは、ミュージシャンでない現代人がワーグナーのオペラの楽譜を見ながら一夜を過ごすのと同じようなものだっただろう、という。つまりアリストテレスはかなり奇特な人だったのであって、アリストテレス以外の人が古い悲劇の台本を読んでいなかったのは当然とも言える。多くの人が関わる悲劇の上演では台本というものを作る必要があったのかも知れないが、それはあくまで一回限りの上演という目的のための道具であって、必ずしもそれが文字通り上演されたとは限らない。当時の識字率からすれば、台本を「読んで」演じることが出来た参加者はごく少数だっただろうから、台本というのは備忘録的なもので、むしろその場の「ノリ」で適宜改変されていたと考える方が自然だろう。)

ここで面白いのは、アリストテレスが古い芝居の台本を読みながら「驚いている」ということである。『詩学』では「あれは実はこれだったんだ」という「認知」という体験にこだわっているが、これはきっと、アリストテレスの読書体験における「そうだったのか!」という「驚き」を反映している。そして劇作家にも、読者を驚かせることを要求している。ただ、これはある意味で異邦人であるアリストテレスの特権的な体験であって、他のアテナイ人たちにとっては基本的によく知っている物語なので、多少新味のある部分はあったにしても、結末はだいたい決まっているのだから、それほどの驚きはなかっただろう。たとえば『オイディプス王』であれば、その上演を観る観客のほとんどは、オイディプス王は母親と交わり父親を殺した、ということをあらかじめ知っているわけで、上演の終盤になって「そうだったのか!」と驚く観客はまずいなかったはずである。

だとすればアテナイ人にとって、悲劇を見るというのはどういう体験だったのか。ここでもう一度ジャズの演奏を思い浮かべてみれば、ジャズを聴きに行く人が関心を持つのは、誰もが知っているようなテーマを、演奏者がどう展開し、そこでどのような技巧を見せるか、ということだろう。これを悲劇の上演に当てはめてみれば、観客は、もちろん話をどう持って行くのか、ということにも興味は持つだろうが、役者がそれをどう演じ、どう歌い、ミュージシャンたちがどう演奏するか、ということにかなりの興味が向けられていたことは想像に難くない。観客が同時に演じ手としての経験も持っていたとすれば尚更である。つまりここでは、物語への興味とそれを上演する技巧への興味が複眼的に存在していたはずであり、そして後者の比重がかなり高かったはずなのである。

あるいは、神楽や村歌舞伎に親しんでいる方であれば、そういったものを思い浮かべてもらってもいいかも知れない。話はだいたい知っていても、村によって多少話も異なるし、年によって演じ方や演じ手が異なるが、そこにはやはりこの複眼的な見方があるだろう。

この「物語とそれを演じる技巧を同時に観る」というのが、演劇を定期的に観ている観客(必ずしも「通」という意味ではない)の見方であったのに対して、近代の西欧演劇は、アリストテレスの『詩学』に基づいてドラマの理論を練り上げ、物語に没入し、物語に「驚く」という体験を特権化していった。ピッツバーグ・パブリック・シアターの『エレクトラ』で、オレステスが生きていたのが分かって「オォ!」と思いっきり驚いていたお客さんがいたが、これはある種典型的な「近代ドラマ的」見方であろう。便宜的に前者のお客さんを「複眼的観客」、後者のお客さんを「ドラマ的観客」と呼ぶことにしよう。

「複眼的観客」は、話を知ってるから面白くない、とも言わないし、ある程度演劇の仕掛けというものを知っているので、仕掛けが分かると面白くない、ともあまり言わない。むしろ、仕掛けの巧妙さに興味を持つわけである。だから、同じ物語が舞台にかかっても、何度でも楽しむことができる。だが、「ドラマ的観客」は、原理的には同じ物語の上演を一回しか楽しむことができない。どちらが演劇という文化を豊かにするかは明らかだろう。

しかし皮肉なことに、テクストを出発点とする上演形態が生まれたことによって実際に古代ギリシアで起きたことは、アリストテレスの意図とは大きくかけ離れていた。

この時代(紀元前330-340年代)に「古い悲劇の競演」というものがはじまり、それまで顧みられることがなかった一時代前の悲劇の台本が、いわば「聖典」として神殿に納められるようになる。このときに選ばれたのが、今でも残っているアイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスという、いわゆる「三大悲劇作家」の作品である。この過程にアリストテレスがどこまで関わっていたかは定かではないが、少なくとも『詩学』に見られるテクスト中心主義は、紀元前4世紀半ば頃から起きたこの新たな流れのなかに位置している。

それまでの「悲劇の競演」で上演される作品はつねに一回限りの上演のための新作で、劇作家は演出家でもあり、上演全般の指揮を執っていた。この「競演」では劇作家兼演出家の技巧が競われることになる。ところが「古い悲劇の競演」では劇作家はもう死んでいるので、上演に立ち会うことはできないし、今更ソフォクレスやエウリピデスの作品に順位をつけても意味がない。「演出家」というものもこの時代にはまだいないので、結局ここで競われるのは、主に俳優やミュージシャンの技巧になる。そしてエウリピデスの時代以降、悲劇の音楽が極めて技巧的なものになっていき、紀元前4世紀の末には、アテナイにおいて、アマチュアの市民が悲劇を演ずる、という慣習が失われ、悲劇の上演は完全にプロ化することになる。つまり、テクストの固定によって、観客の興味が物語から俳優の技巧(とりわけ歌唱力)に移行していったのである。新作も書かれつづけるが、この時代以降に書かれた悲劇はわずかな断片しか残っていない。この意味で、ヘレニズム時代の演劇状況は今日の能・狂言・歌舞伎の状況と近いのかも知れない。

だが一方で、演劇の楽しみが単に技巧への興味のみになってしまえば、同時代の現実から切り離されたものになってしまう。作品をつねに現在起きていることとして、驚きとともに経験させる「ドラマ」という形式は、常に変容する現在に生きる近代人が必要とした形式でもあった。今後演劇という文化を発展させていくには、この「ドラマ」という形式を選択肢の一つとして取り込みつつ、それも含めて複眼的視点で見せることができるような仕組みをつくっていかなければいけないのではないか。

【追記】夢幻能の形式を取り入れて上演されたダニエル・ジャンヌトー演出『ガラスの動物園』は、この試みのいい例になっているかもしれない。