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2012年3月15日

<語る会>グリム童話『少女と悪魔と風車小屋』『本物のフィアンセ』について好き勝手に語りました!

『ガラスの動物園』『オイディプス』に続き、第3回目となる「語る会」
同じ舞台を観たお客さん同士で自由にじっくり感想を言い合うことで、観劇体験がより面白くなるのでは・・・と思い、立ち上がった企画です。
今回は、1月から3月にかけて上演されたグリム童話『少女と悪魔と風車小屋』『本物のフィアンセ』(演出:宮城聰、出演:SPAC)について語りました。
場所はおなじみスノドカフェ
話は哲学や教育論、芸術論にまで及び、今回の舞台の奥深さをあらためて感じさせられました。ここではその一端をご紹介します。

kataru-kai_20120311
語る会の様子(2012.3.11)

日時:2012年3月11日(日)19:00~22:00 場所:スノドカフェ 参加者:10名

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【全体について】

・フランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」の原題“Poupée de cire, poupée de son”の“son”は「音」と思われがちだが、ひえや粟などの「穀物類」を意味する。
つまり、これは「蝋と音の人形」ではなく、「蝋の人形、穀物を詰めた人形」という意味になる。今回の『本物のフィアンセ』をみて、なぜかこのことを思い出した。

・ファンタジーには「出口」を用意してあげなきゃいけない。こどもが夢の国に行きっぱなしになるとキケン。現実の世界に引き戻してあげる仕掛けが必要。
そういった意味では、今回の『本物のフィアンセ』はうまくできていた。

・こどもに悪の部分を見せないようにしすぎてはいけない。人間には闇の部分もあるということをしっかり見せないといけない。

・『少女~』と『本物~』は真逆のことを描いている。『少女~』では「奇跡はわたしたちのまわりですでに起きている」ということでテーマだったが、『本物~』では、継母の魔法が効かない=奇跡はおきない、という構図になっているのでは。

・『本物~』のテーマは突き詰めれば、存在論(デカルト/ハイデガー)に行きつく。「世界の中に自分がいるという形で世界がある」という形に気づく奇跡の話といえるのでは。

・冒頭で、庭師の胴体にバラの影が映し出される。そして最後は庭師がバラそのものになる、という表現が上記のことをあらわしているのでは。

・「美」は、独立したモノとして存在するのか、それとも私が美しいと思うから存在するのか・・・この問いは芸術とは何かという問題に通じる。

【登場人物について】

・『本物~』には「いじわるな継母」というグリム童話のてっぱんが登場するが、この継母を完全なる悪としてではなく、どこか同情できる人物(人は誰しもこの継母になる可能性がある)として舞台上で表現されている気がする。これは、ピィの脚色、宮城さんの演出によって立ち現れたものだろう。

・『本物~』の王様の「おそれ」という言葉が印象に残っている。「おそれを知らない」ということが一番こわい。王様のおそれ=自分の存在に対して疑問を持たないということ(自分がいつか死ぬと思っていない)。

・庭師と少女の関係が面白い。『少女~』では少女は王様よりも庭師のことを心配している。

・『本物~』の少女と人形は本当は同一人物では。

・『本物~』の人形が影としても実態としても平面(スーパーフラット)として表現されていた。

・『少女~』では、少女に手が生える=女性はこどもを産むことができる、と読むことができるのでは。

・『少女~』では、最後、少女は父親とは再会を果たすが、母親とは会わない。母親に何かあったのだろうか?
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今回の「語る会」も非常に刺激的なものでした!「本物とは何か」「自分とは何か」「世界とは何か」という答えのでない問いかけは一見無駄なことのように思われますが、こういった思考をもたらす演劇(芸術)はやっぱり必要だ、と個人的には思います。
あらためて、ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!それから、超多忙ななか会場を提供してくれたスノドカフェオーナーの柚木さんにもこの場を借りて御礼申し上げます。(丹)