劇場文化

2012年6月25日

【キリング・フィールドを越えて】カンボジア古典舞踊の周辺(山中ひとみ)

カンボジア古典舞踊の歴史と現在

 カンボジア古典舞踊を一言で説明すると「アンコール・ワットに伝えられる踊り」ということになる。王立プノンペン芸術大学芸能学部長(当時)のプルン・チアン教授は「カンボジアのすべての芸能のもとは宗教だ」と言う。そして、その宗教は、日本と同じく緩やかで複合的な要素を持つものであり、インドから伝わってきたヒンドゥー教、仏教、そしてアニミズムの信仰と慣習が結合したものである。アンコール王朝時代、踊り手はすべて女性で、人間と神の媒介の役割を担っていた。14 世紀アンコール王朝がタイのアユタヤ王朝に敗れたことにより、この古典舞踊の黄金期は終わり、舞踊教師と踊り手たちはタイに連れ去られたと碑文にある。
 その衰退してしまった文化が再興されたのは19 世紀、アンドゥオン王の時代である。アンドゥオン王はタイの宮廷文化と、カンボジアの宮廷で伝えられていたものを合わせ、カンボジアの古典文化を再興した。19‐20世紀前半、踊り手は宮殿の中に住み、王族の儀式のために踊り、フランス植民地支配下では外交儀礼でも踊っていた。第二次世界大戦後シアヌーク殿下がカンボジアを独立させた時代には、殿下の母君コサマック王妃が古典舞踊を興隆させた。(エン・ティアイ先生の青少年期)
 その後1975年から4年間続いたポル・ポト政権下での状況はこの作品にある通りだが、政権崩壊後の1980年、本作品の3人の舞踊家を含む生還した舞踊関係者達が、芸術学校と政府の芸能局で舞踊復興に取り組み始める。この社会主義時代、舞踊団は国立となり、歌詞の言葉遣いや内容も政治の影響を受けたが、1991年の和平協定以降、国が立憲君主制となるに伴い、舞踊も再び王制と関わりを持つようになった。そして2003年、カンボジア古典舞踊は、ユネスコの「人類の口承及び無形遺産の傑作」に登録された。

踊りが表わす壮大な宇宙観

 代々の舞踊の師匠の魂や神々へ礼を捧げるソンペア・クルーという儀式が、公演前や毎週木曜日に必ず行われる。冠やお面には魂が宿ると信じられ、敬意は良いものだけでなく悪いものにも捧げられる。それは善と悪、知性と荒ぶる力が永遠の闘いを繰り広げるという、彼らの宇宙観に基づいているようだ。そして舞台上の物語は必ずハッピーエンドで終わらなければならず、それは善が悪に打ち勝つよう願いを託しているからだと考えられる。
 舞踊の主要なモティーフは、リアムケー(カンボジア版ラーマーヤナ物語)や天女アプサラであり、高貴な主人公、柔和な女主人公、夜叉(エン・ティアイ先生、トン・キム・アン先生の役)、聖なる猿の4つの役がある。
 身体の動きの特徴は、まず手指で、「種を植える→芽→葉→花→果実が弾けて落ちる」という植物の命の循環を表現する。そして、指が反り返るのは大蛇ナーガの尾を表していると言われる。蛇はカンボジアの文化と深い関わりがあり、前述のチアン教授は、カンボジアの建国神話にも蛇姫ナーギーが登場することを取り上げ、「我々は蛇人間だ」と語る。また、天男天女が空を飛んでいる様子を表現するために、重心を下に押し付けながら、時々足を上に上げたり重心を緩めたりもする。
 衣装、冠、装身具も彼らの宇宙観、即ち、宇宙の中心に神々の住む須弥山(メール山)があり、その周りに我々人間の住む大地、そしてその果てを大海が取り囲むという神話や、聖なるものをお守りする大蛇ナーガを表現している。
 音楽は「ピン・ピアット」と呼ばれる古い形式の合奏で木琴、ゴング、笛、太鼓等の7つの楽器から成り、これに3人の唄い手がつく。(エン・ティアイ先生は唄の先生でもある)
 千年もの間、カンボジア古典舞踊は口伝で伝えられてきた。単に1つの役ができるだけでなく、すべての唄を正確に覚えているということは、失われかけた舞踊作品全体を蘇らせる原動力となったに違いない。エン・ティアイ先生が舞踊界の重鎮であるのは、年齢もあるが、その復興への貢献度にもあるのだ。
 

今、思うこと

 私が芸術学校に5年間留学していた頃、エン・ティアイ先生やトン・キム・アン先生には、よくお目にかかっていた。しかし、専門の役が違うこともあり、あまり深い話をしたことはなく、ポル・ポト時代のご自身の人生を伺うのは、本作品が初めてである。私には、とても彼女たちの壮絶な経験を引き受ける度量がなく、カンボジア語が得意でないことを理由に、直接の自分の先生以外とは深い話は避けていた。それを思うと、演出家オン・ケンセン氏の力には脱帽である。
 そして、内乱や社会主義時代の面影が残る1997年から、東南アジアの新興国として勢い付く現在まで、カンボジアに私が関わって思うことが2つある。
 1つは、私たちが生きている現在の日本社会から一旦離れて、欧米先進諸国だけでなく、広くアジア全体の様相を、多くの日本人に知ってもらいたいということ。例えば、こういった作品を通じて。すると、日本が敗戦とはいわずに終戦と呼ぶことで、手に入れたものと失ったものが、戦争を知らない世代の日本人にも見えてくる。アジアの他国の現状と、自分の親や祖父母の人生や考え方を照らし合わせる時、私達がこれから世界の中で、日本人としてどう偏狭なナショナリズムに陥らず、しかし自信を持って生きればよいのか、日本をどんな国にしてゆけばよいのか、きっと新しいビジョンが得られるはずだ。
 もう1つは、現代に生きる日本人は、必ず自分自身を幸せにしなければならない、ということ。ポル・ポト時代が終わったカンボジアで、芸術大学の先生達によく言われることは、「経済的な支援をしてほしい」ということだ。トン・キム・アン先生の後を継ぐ娘、つまりエン・ティアイ先生の孫娘も、現在大学を卒業して、踊りを続けながら別な勉強もしているらしい。将来を嘱望される先生の娘ですらそうなのだから、踊りで生き延びていくとは、大変なことなのだ。そして、一般の人には「日本に生まれて、あなたは幸せね」と言われる(少なくとも震災前までは…)。
 ポル・ポト時代を脱したカンボジア人の望みは、日本人のように経済的に豊かになること。だとしたら、その目標とされている私達が、自分自身を幸せだと感じられるようにできなければ、世界はどこへ向かえば良いのだろう。
 そんな思いを、この作品をご覧になった多くの皆様と共有し、発展させることで、苦難の中でもより良い未来を信じて、それぞれがご自分の道を歩まれることを、私は願っている。
 この作品が静岡で上演される運びとなった、全ての関係者の皆様に感謝しつつ。

【筆者プロフィール】
山中ひとみ YAMANAKA Hitomi
お茶の水女子大学卒業。1997年からカンボジア王立プノンペン芸術大学付属芸術学校古典舞踊科にて学び、2003年日本人として初めて卒業。その後も更に研鑽を重ね、アンコール遺跡、愛・地球博カンボジア館、大使館、国立劇場などで舞台を務めている。カンボジア舞踊企画・教室SAKARAK 主宰。