第二次大戦終戦後のフランスで、サミュエル・ベケットという人が、小説執筆の息抜きに芝居を書いた。『ゴドーを待ちながら』という題名で、1953年にパリのバビロン座で上演された。不思議な芝居で、タイトルロールのゴドーさんは登場せず、二人の男が木の下で待っているだけ。それが二幕にわたってくりかえされる。留学中この上演にたまたま出会い、のちにこの戯曲を日本に紹介することになる安堂信也によると、「一幕が終ったところで半分ぐらいの客は帰ってしまった。残った客は狭苦しい入口で二派に分れて口角泡をとばして言い争っていた。(……)芝居でも笑ったが、観客の議論が面白かった」という。
ハムレットの出てこない『ハムレット』など考えられない。ふつうなら主役のはずの、不在のゴドーさんの正体は、さまざまな解釈をさそった。神、ゴッドのもじりだというのがポピュラーな意見で、だから二人の男は救済を待っているんだとか、あるいは逆に世界の破滅だとか、いやいやじつはツール・ド・フランスの選手なんだとか、いろんなことがまことしやかに語られた。ベケット自身、「わかっていたら書いている」といっていた。正体がなんであれ、大戦後の荒廃したヨーロッパで、けっして来ないゴドーさんを待つことには、たぶん圧倒的なリアリティがあった。ロラン・バルトの書いた記事を読むと、芝居はパリの観光名所さながらの人気で、一年半で約400回上演され、10万人の観客が見たらしい。「社会学的にいって、『ゴドー』はもはや前衛作品ではない。」
「何も起こらない、しかも二度も」(新聞のレビュー)。その後この戯曲は世界中の演劇の地図を書き換えてしまった。なにより作劇の文法が変わった。こんなに自由でいいんだ、とたくさんの作り手がはげまされた。われわれの生きている世界そのものだ、と思った(たぶん)。日本でも別役実を筆頭に、転用やパロディも含め、この時期以降、影響を受けていない人を探すほうがむずかしい。唐十郎の『腰巻お仙』のラストなども、明らかに『ゴドー』が下敷きになっている。
もうひとつ、大事なことがある。この戯曲でベケットは、〈事件〉ではなく〈状態〉をつかまえていた。時代や社会を、事件をとおして物語る演劇があるとしたら、それにたいして、状態を見せることで描く演劇がありえる。事件/行動ではなく、状態の演劇。どんな体で、どんな姿なのか。ベケットはシンプルで強烈なイメージと象徴性をもって、そういう演劇の道をこじあけた。地面に埋まって暮らす女の登場する『しあわせな日々』(初演1961)なども、そういう作品だといえる。
どんな行動をするか、どんな事件が起こるか、ではなく、(われわれはいま)どんな状態か。『ゴドーを待ちながら』はそれを確認するのにうってつけの戯曲となった。1993年には、作家のスーザン・ソンタグが、民族紛争で空爆の続くサラエボで、地元の人々と上演した。さすがに二度もゴドーさんが来ないのは耐えられない、と、一幕だけの上演だったという。また2005年には、現代美術作家のポール・チャンが、超大型ハリケーン・カトリーナに襲われたあとのニューオリンズで、やはり地元の劇団と上演した。建物も木も根こそぎさらわれた、がれきだらけの下町地区の路上で、観客もいっしょにゴドーを待った。2011年8月には、日本のかもめマシーンという劇団が、福島第一原発の20キロ地点で上演を敢行している。
ところで話は変わって、バブル崩壊後の日本では、中野成樹という演出家が〈誤意訳〉ということを始めていた。誤訳で意訳、ちゃんとした翻訳じゃありません、というのは一見謙遜のようでいて、じつは強い批評性をもっていた。海外の戯曲を、いまの日本に暮らすわれわれの体や声に落とし込むには、ふつうの翻訳の作法じゃ足りず、あえての誤訳や意訳が必要になる。言葉や文化の壁にけっこう誠実に向き合おうとすると、どうしてもそうせざるをえない。中野成樹+フランケンズ(通称ナカフラ)の活動は、いつもそこにふれていた。
その中野成樹が、誤意訳ではなく創作で、もはや待つのもゴドーさんですらないところまで踏み出して、つくってきたのがこの作品。いまわれわれはどんな状態なんだろう。それに日韓共同のプロダクションで、われわれって誰だろう。
【筆者プロフィール】
長島確 NAGASHIMA Kaku
ドラマトゥルク/翻訳家。中野成樹らと組んで企画の立案からテキストの翻訳・構成まで幅広く。最近ではアートプロジェクト「アトレウス家」シリーズや「長島確のつくりかた研究所:だれかのみたゆめ」なども。