劇場文化

2013年6月21日

【母よ、父なる国に生きる母よ】『母よ、父なる国に生きる母よ』――原作者と原作について(久山宏一)

 原題をあえて奇妙な日本語に直訳すると、「母なるものと父国なるものについての作品」となる。「娘」がそれを書いた。
 Bożena(ボジェナ) Umińska(ウミンスカ)-Keff(ケフ) (1948- )は、詩人、作家、エッセイスト、映画評論家、文学史家として、多彩な活動を続ける女性。ポーランド語で執筆するユダヤ系女性として、民族・性・家族関係のステレオタイプ研究という、自らのアイデンティティに直接かかわる主題を取り上げてきた。ワルシャワ大学でジェンダー研究の教鞭をとる。
 大方の読者が彼女の存在を知ったのは、『影を持つ人物――19世紀末~1939年のポーランド文学におけるユダヤ人女性の肖像』(2001)によってだった。ウミンスカ名義で刊行された浩瀚な研究書である。2008年、今度はケフ名義で、戯曲『母よ、父なる国に生きる母よ』(以下、『母よ』)を発表する。
 『母よ』は、「文化的禁忌(タブー)とされる領域に土足で踏み込んでみる実験」である。「娘」が「母」を「くたばれ、ハイエナ!」と罵る場面を書いたとき、ケフは厚顔無恥な自分に我知らず恐れ慄いたという。
 ギリシャ神話における結婚と社会秩序の守り手デメテルとその娘コレ(ペルセフォネ)の物語が基になっている。デメテルは、冥府の王ハデスに連れ去れた娘を探して神界を離れ、人間界を放浪する。最終的に、ゼウスは娘を半年だけ冥界から出し、神界で母娘ともに暮らすのを許す……。
 本作では、「母」はデメテルDemeterを縮めたメテルMeter、「娘」はコレのポーランド語形コラKora、その愛称形のコルシャKorusia/ウシャUsia、またはペルセフォネPersefonaと呼ばれる。メテルは「母Mater」と、ウシャは、(母の嘆きを)「聞く」ことを象徴する「耳uszy(ウシ)」と響き合っている。
 ケフは、こうした神話的原型のうえに、別の次元の事象を塗り重ね、「母と娘の神話の遍在」を描き出そうとする。
 (1)ナット・ターナーの奴隷反乱(1831)などの歴史 
 (2)「トールキン作『指輪物語』のフロド・バギンズ、映画『エイリアン』のエレン・リプリー、ボニーMのヒット曲『バビロンの河』、ジョン・レノンの『イマジン』、ゲームが映画化された『トゥームレイダー』のララ・クロフトなどの文化」とする
 (3)反ユダヤ的発言など、ポーランド人が日常生活で無意識に発する言葉
 『母よ』は、コロスを伴うギリシャ演劇または合唱を伴う歌劇のような形式で書かれ、その中に、採集されたさまざまな言説・物語が(一見)雑然と投げ込まれている。しかし、舞台作りの素材としての魅力は、すぐに有能な演出家の注目するところとなった。2010年にはマルチン・リベラ、翌2011年にはヤン・クラタが舞台化する。
 リベラは、母と娘がテーブルに向かって対面し、背後のスクリーンにコロスが登場する形式にした。母娘のユダヤ性に焦点があてられている。
 クラタは、母・娘・コロスを6人の俳優(5人の女優と1人の女装した男優)に振り分け、場面ごとに役割を入れ替えるようにした。音楽と踊りを多用したミュージカル的な演出で、ユダヤ的要素は最小限にまで捨象された。
 例えば、原作者ケフは、「母親と家族の昔の物語/戦争前の/戦争中の歴史/逃亡し死を逃れ人間以下になるまでの屈辱を受けたユダヤ人/母親の幻想ではなく公文書・映画・記録がある」という作品冒頭の語りを、「ここだけは但し書きとして、おふざけなしに書いた」が、演出家クラタは、ポーランド東方ルヴフ(現ウクライナのリヴィウ)に住み、ホロコーストを生き延びたユダヤ人が繰り返すきまり文句として解釈した。
 ポーランド人の反ユダヤ的発言を並べた「エピローグ」は、視覚的に極めて過激なエンディングに変えられた(観てのお楽しみ!)。ジョン・レノンの『イマジン』を援用して、夢の理想社会を描き出す感動的な場面も削除された。
 原作者ケフはこれらの改変に必ずしも満足していないようだが、挑発的なクラタ演出のおかげで、文化と民族の境界線を越えて理解される舞台が誕生した。
 私は、「母」と「娘」が、臍の緒を連想させる長い髪で結ばれて引き合う場面(原作にはない)を観ながら大笑いし、やがて寒気に襲われたものだ。幼かったころ、母が、箪笥の奥から臍の緒を入れた木箱を取り出し、私に見せたときの衝撃を思い出したからだ。
 なぜ、母はそんなことをしたのだろう? 今、私の臍の緒はどこにあるのだろう?

【筆者プロフィール】
久山宏一 KUYAMA Koichi
ロシア・ポーランド文化研究、ポーランド語通訳。東京外国語大学など非常勤講師、ポーランド広報文化センター・エクスパートを務める。訳書にスタニスワフ・レム『大失敗』(国書刊行会)など。