劇場文化

2013年6月28日

【Hate Radio】ホロコースト・ジェノサイド・オウム ・・・声と情動、不可逆な死角 (伊東 乾)

 2008年6月、ルワンダ共和国大統領府の招きで同国に3週間ほど滞在した。1994年4月ルワンダで発生した大虐殺は市民が市民を鉈で攻撃し、3ヶ月の間に80万とも120万とも言われる命が奪われたものだ。ジェノサイドがラジオの音楽番組で誘導された経緯は映画「ホテル・ルワンダ」などで広く知られる。この事実を知った瞬間、いつか必ずルワンダに行かなければと強く意識した。
 戦争とメディア・マインドコントロールに対する強い疑問は、人間として、音楽家として、私のあらゆる問題意識の根底を貫く。私が小学校1年のとき早世した父は、かつて第二次世界大戦の戦時情宣の中で学徒出陣、関東軍の二等卒となり戦後はシベリアのラーゲリで4年の強制労働を強いられた。2つ年下の母は昭和20年大牟田空襲で焼夷弾の直撃を受け全身炭化の火傷を奇跡的に生き延びている。また幼時から私が教えられた第二次世界大戦後の欧州芸術音楽の倫理は、ナチス・ドイツのホロコーストへの徹底的な反問を基礎に置く。さらにオウム真理教のメディア・マインドコントロールを受けた私の大学時代の同級生、豊田亨君は地下鉄サリン事件の実行犯になってしまった。これらと全く同根の問題が、過去の歴史でなくルワンダの「いま・ここ」で起きている・・・行かなければ一人の芸術家として嘘をつくことになる。果たして虐殺から14年目、事件の現場に立つことになった。
 しばしば「フツ族・ツチ族」と呼ばれる対立二者は、実はトゥティが武士・牧畜民、フトゥが農耕民といった意味合い、社会的な違いであって民族に違いはない。差別は宗主国ベルギーの分割統治で齎された。1933年、時を同じくしてドイツではナチスが政権を奪取している。それから60余年の社会差別、積もりに積もった取り返しのつかない出来事の数々。内政の矛盾から目をそらせるため多数派フトゥ政権は少数民トゥティへ民衆の憎悪を煽り立てた。そんなフトゥのハビャリマナ大統領の暗殺を切っ掛けとして、準備されたジェノサイドが決行された。
 殺戮の3ヶ月間、ラジオの音楽番組は単に雰囲気に留まらず、虐殺のための極めて具体的な情報をリアルタイムで提供した。「どこそこ通りの奥の店の二階にトゥティのゴキブリ誰それが潜んでいる。行ってみんなで血祭りに挙げろ」といった内容がビートの利いたDJのトークで喧伝され、多くの人がそれに乗った=乗せられてしまった。
 古来ルワンダは素晴らしい詩の口承伝統を持つ。同時に20世紀初頭まで文字の文化を持たなかった。中高年齢層の識字率は今もって上がらない。客観的な文字での事態確認はヒトの認知に冷静な悟性の発現を促す。だがジェノサイドの現場では、ラジオが齎す扇動的な声に煽られ、憎悪の感情に流された人々が現場に殺到し、異常な興奮の中で集団殺人が実行されている。耳にまぶたはついていない。声はダイレクトに情動を掻き立て、悟性は常に情動に遅れる。衝動は人を不可逆な行動に駆り立てるが、そこには常に危険な死角が存在する。気がつくと行為は完了しており、後悔は決して先に立たない。
 虐殺犯を裁くガチャチャの場では、遠来の客として皆から歓迎された。被告たちからすら拍手を受けた。おかげで原告とも被告とも親しく話すことができた。誰も悲しいほどに澄んだ目を生き生きと輝かせている。まる二日の傍聴、最後はすべての人と握手して裁きの場を後にした。
 ジェノサイド鎮圧直後、隣国ウガンダのマケレレ大学医学部教授として難を逃れたエミール・ルワマラボ博士は戦後、ルワンダ国立大学学長として「マスコミュニケーション学部」を創設した。ここで医学部の教授も招いてメディア・マインドコントロールの生理と心理を学生たちとディスカッションしようと・・・日本を出る時点での自分は、見通し甘く・・・考えた。
 実際に教室で語り合った、内戦が長く続いたこの国の大学生たちは、平均年齢が20代後半だった。彼らは14年前、物心ついた思春期の少年少女として現場に居た当事者、しかも加害者被害者双方の子弟が教室を埋め尽くしていた。すべての質疑応答は一人称複数で突きつけられた。「あの時私たちは、あるいは私の両親は、どうすれば正気を保つ事が出来たのですか?」「もう一度同じ情宣があったら、私はどうすればいいんですか?」一つ一つの問いへの答えを、生理や認知に基づいてその場で誠実に共に考えた。私の答えのキーポイントは「笑い」だった。
 ルワンダ国立大学は学生ラジオ局を持っていて、セミナー終了後そのインタビューを受けた。その週末の日曜、別のガチャチャに赴いた私に運転手のトニーが車に戻って来いと呼ぶ。行ってみると、虐殺を呼びかけたのと同じラジオ塔から発信された「メディア・マインドコントロール再発防止」を語る私自身の声がカーラジオから流れている。何かに打たれた。ルワンダの問題が完全に自分の血肉と化した瞬間だった。

【筆者プロフィール】
伊東 乾 ITO Ken
作曲家=指揮者、ベルリン・ラオムムジークコレギウム芸術監督。松村禎三、松平頼則、高橋悠治、L・バーンスタイン、P・ブーレーズらに師事。2013年秋季は「トリスタンとイゾルデ」連続上演に取り組む。東京大学作曲指揮研究室准教授。