ピーター・ブルックがシェイクスピア記念劇場(現ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー[RSC])の演出家として招かれたのは弱冠21歳のときだ。その若さに驚く。1946年のことである。
オックスフォード大学在学中、仲間を俳優にして映画を撮っていたブルックは、当初は演劇でもフレーミングという概念を用いており、観客はプロセニアムアーチの向こうにある虚構の世界を覗きこむと考えていた。当時としては、それが常識的な考え方だったのであり、スタニスラフスキーの言う「第四の壁」によって観客席と舞台空間が区切られ、幕があくと観客の目を驚かせるような装置が舞台を飾っているというスタイルの公演が続いていたのだ。当初ブルックもそれを当然視していたが、やがて全否定するようになる。すなわち、役者は観客と空間を共有しなければならず、過剰な舞台装置はむしろ観客の想像力を制限するので、「なにもない空間」こそがよいのだという発想にたどりつくのである。
その後RSCでの『マラー/サド』上演(1964年)の成功によって革新的演出家としての地位を不動のものとしたブルックは、1971年には国際演劇研究センター(C.I.R.TのちにC.I.C.Tに改称)をパリに設立して、演劇を探求するという独自の立場を明確にした。ブルックは常に「探究者」なのだ。
そして伝説の『夏の夜の夢』(1971年)が世界に衝撃を走らせた(来日公演は1973年)。真っ白ななにもない空間のなかで役者たちがブランコに乗ったり、皿廻しをしたりして、演技者としてのアイデンティティーを強調しつつ、『夏の夜の夢』を演じるメタシアター性を前面に押し出したのである。
その後もピーター・ブルックの作品は世界を驚かせ続けたが、そのなかでも特に話題を呼んだのが上演時間9時間に及ぶ大作『マハーバーラタ』だ(来日公演は1988年、銀座セゾン劇場)。壮大な古代インドの神話世界が、その深遠な思想とともに描かれた。このたび静岡芸術劇場の「ふじのくに⇔せかい演劇祭2014」では、この作品の映画版(171分)が上映される。
この作品に出演したのみならず、ブルック演出の『アテネのタイモン』(1974年)以来何度もブルック作品に出演している女優ミリアム・ゴルトシュミットさんは、演劇祭中に演劇ワークショップを開催する。しかも、ブルックのブッフ・デュ・ノール劇場のアーカイブから彼女が出演しているお宝映像が発見され、それも演劇祭であわせて上映することとなった。
それはブルックがパリに国際演劇研究センターを設立した直後、役者たちを率いてアフリカへ演劇探求の旅に出たときの70分の記録映像だ。カーペット1枚持って、文化の差異を越え、臨機応変に観客とのつながりを作り上げていく現場のようすが垣間見られるかもしれない。若き日の笈田ヨシさんも映っている。
その後も、ピーター・ブルックの圧倒的な活動はとどまることを知らず、『ハムレットの悲劇』、『ザ・マン・フー』、『魔笛』、『ザ・スーツ』など現在に至るまで来日公演が続いている。 いったいブルックの稽古場はどうなっているのか?
その疑問に答えるべく、ついに禁断の扉が開かれた。ブルックは、映画監督である息子のサイモン・ブルックに、稽古場を撮影することを許可したのである。
『ザ・タイトロープ』と題されたその映画には、これまでのブルックの演劇的手法が凝縮して詰めこまれている。ブルックが手がけてきた様々な作品のエッセンスが盛り込まれているので、どのような作品を手がけてきたかを知ると一層理解が深まるだろう。
ここでは、ブルックの演劇を理解するために特に重要なコンセプトをひとつだけ解説しておこう。
人はなぜ演劇によって感動するのか。審美的判断の根拠はどこにあり、インスピレーションはどこからくるのか。探究者ブルックは、自伝『ピーター・ブルック回想録』のなかでひとつの答えを出した。すべてを決めるのはクオリティー(質)だ、と。2003年に私がブルックにインタビューしたとき、ブルックはこう語ってくれた。
河合
世阿弥にとって、「花」は、能の本質であるのみならず、人生の本質でもありました。世阿弥が「花」と呼ぶものは、あなたが「クオリティー」と呼んでいるものと同じなのではないでしょうか。どちらも、卓越性の追究、最高のレベルの芸術性の探究を指していますから。
ブルック
「クオリティー」という言葉の意味を理解し、それがとても簡単なイメージであることをわかってくれて私はとても嬉しいです。スペインにもフラメンコの歌手が同じようなイメージを言うのに、「ドゥエンデ」(不思議な魅力)と言いますが、「ドゥエンデ」というのも、限界を越えて、何か真実が見えて、「あ、これだ」というときの言葉です。「花」もそうです。説明はできない。言えるのは、「あ、これだ」ということだけです。インドの表現で、サンスクリット語で「ストゥーパ」というのもあります。「ストゥーパ」は、耳の聞こえない人が手話で、このような動き(一方の手のなかから、他方の手で作った花が咲く動作)で表わすもので、これも花なのです。日常経験という閉じた世界から、突然、何かが表われる点に達する――それが本質だと世阿弥が言ったのはそのとおりです。……私が「クオリティー」と呼び、世阿弥が「花」と呼んだのは、真実への反応なのです。
(『文学』2003年7・8月号に掲載。一部改変)
こうしたクオリティーは、「今ここ」の現場で観客とつながることで初めてその本質を発揮する。ブルックが、カーペット1枚持って世界を巡業したのも、臨機応変に観客とのつながりを作り上げていくためだった。
伝説的な『夏の夜の夢』の場合も最初から完成形があったわけではない。ストラットフォードの最初の試演では大失敗だった空中ブランコや竹馬を用いた公演を、観客の反応に合わせて稽古を重ねて試演期間中に作り変えていった経緯がある。しかもロンドンのラウンドハウスという、客席などない劇場らしからぬ空間で一旦ブランコもロープもすべて忘れ、即興で上演して観客と新たな関係を作り上げて役者たちの即興力を鍛え上げたというプロセスも重要だった。そうやって役者の役に対する想像力を十分に研ぎ澄ましておいたがゆえに、ブランコや曲芸を用いるメタシアター的効果が最大限に引き出されたのである。
「死守せよ、そして軽やかに手放せ」というブルックの有名な言葉は、こうしたことを指している。観客との関わりをしっかりと築き上げ、その結果できあがった完成した形にこだわらずに常に新たに作り続けなければならない。さもなければ、その瞬間にしか感じることのできない感動は生まれない。それがブルックの演劇の目指すところなのである。
【筆者プロフィール】
河合祥一郎 KAWAI Shoichiro
東京大学教授。ケンブリッジ大学及び東京大学より博士号取得。専門はシェイクスピア、表象文化論。角川文庫よりシェイクスピア新訳を刊行中。著書に『ハムレットは太っていた!』(白水社、2001)、『あらすじで読むシェイクスピア』(祥伝社、2013)ほか。2014年4月に新訳『から騒ぎ』演出。