南仏で毎年7月に開かれているアヴィニョン演劇祭は今年、7月4日から27日にかけて第68回が開催される。その起源となったのは、1947年9月4日〜10日にジャン・ヴィラールの手によって開催された「アヴィニョン芸術週間」である。それが、1200万ユーロ(2013年の数字、1ユーロ=140円として16億8000万円)の予算をもとに、フランスはもちろん世界各地から35から40作品が招聘され、全部で300回ほど上演され、のべ12〜14万人の有料入場者数を数える、ヨーロッパはもちろん世界でも最大級の舞台芸術祭となるに至った。これは、同時に開催され、1000を超える上演団体(演劇、ダンス、サーカス、大道芸…)が勝手連的に結集するアヴィニョン・オフとは完全に別個のフェスティバルである(「オフ」はエジンバラ・フェスティバルでいえば「フリンジ」にあたり、「オフ」と区別するときには演劇祭は「イン」と呼ばれる)。だが、両者の盛り上がりは共鳴し合って、7月のアヴィニョンは、南仏の容赦ない日差しのもと、ミストラルと呼ばれる強風にときに見舞われながら、街全体が演劇都市に変身する。
「イン」の観客のざっと3分の1は地元アヴィニョン圏から、4分の1はパリ圏から、1割は国外からやってくるといわれている。その中には500人のジャーナリストが含まれ、メディアを通じてフェスティバルの存在、アーティストとその作品とが世界に知られていくことになる。同様に、フランス全土、世界各地から3500人の舞台芸術のプロフェッショナルが集まり、将来の文化政策のあるべき姿を議論し、人脈が形成され、上演作品のツアー先、次の作品の共同制作の相手が決まっていく。さらに、来場者の宿泊・飲食や地元在住者の雇用などを通じて、「イン」だけで2300万ユーロの経済効果があることをフェスティバルは謳っている。芸術がつくり出され、観客の出会いと経験が生み出される場、文化と社会をめぐる議論が生み出される場、作品が売買される場、地元に雇用と経済効果をもたらす場としても、演劇祭はきわめて重要な役割を果たしている。
かつて1309年から77年まで、ヴァチカンからアヴィニョンに教皇庁が移されていた時期があった(「教皇のバビロン捕囚」といわれる)。その時代に建てられ、現在では世界遺産ともなっている教皇庁の中庭(2000席!)を筆頭に、市立オペラ劇場、サン・ジョゼフ高校の中庭などが、「イン」のメイン会場となっている。そこに、昨年完成した稽古場・レジデンス施設も兼ねた劇場ファブリカが加わった(今年の「ふじのくに⇔せかい演劇祭」で上演されるニコラス・シュテーマン演出『ファウスト』もそこで上演されたのだが、市立オペラ劇場を除いては一時的な場しか持たなかったフェスティバルにとっての悲願というべき施設である)。さらに、カルム修道院やセレスタン修道院の中庭、セレスタン教会やペニタン・ブラン礼拝堂の内部など、宗教と密接に結びついたアヴィニョンならではの歴史を感じさせる場が、演劇祭の期間中だけ劇場に生まれ変わる。さらには、ピーター・ブルック演出『マハーバーラタ』(1985)の上演のための場として「発見」されたブルボンの石切場も重要な会場のひとつであるが、ブルックの演出から30年近くが経つ今夏、宮城聰演出『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険〜』を迎えることになる。
アヴィニョン演劇祭は、アントワーヌ・ヴィテーズ演出『繻子の靴』(1987)、パトリス・シェロー演出『ハムレット』(1988)、ロメオ・カステルッチ演出『神曲三部作』(2008)など、数々の大作が上演され、現代演劇の歴史的瞬間が刻まれる舞台となってきた。パリで五月革命が起こった1968年は、ヴィラールの芸術的姿勢さえも旧体制の保守反動的なものと見なされて激しく攻撃されるとともに、リヴィング・シアターが『パラダイス・ナウ』を上演して、新しい演劇の幕開けを告げた年でもあった。2003年には、労働条件の改悪に反発したアンテルミタン(註 フリーランスで働く舞台や映画・テレビの芸術家・技術者のこと)の激しい抗議運動によって、フェスティバル自体が歴史上はじめて中止に追い込まれもした。
演劇祭の運営母体となっているのは非営利協会、日本的にいえばNPO法人である。予算の6割は公的助成金によっている。国・文化省(公的助成全体の56%)、プロヴァンス=アルプ=コート・ダズュール地方(8%)、ヴォークリューズ県(9%)、大アヴィニョン(広域行政体)(13%)、アヴィニョン市(13%)が資金を出し合っており、わずかではあるが欧州連合の支援も受けている(1%)。残りの4割を入場料収入、メセナ、作品の買いとりなどの固有収入が占めている。同非営利協会の理事会(国・地方・市の代表、および専門家から構成される)によって選出されるディレクターが、フェスティバルのプログラムと運営の双方に責任を負っている。ジャン・ヴィラール(1947〜71)、ポール・ピュオー(1971〜79)、ベルナール・フェーヴル=ダルシエ(1980〜84、1993〜2003)、アラン・クロンベック(1985〜92)、オルタンス・アルシャンボーとヴァンサン・ボードリエ(2003〜13)に続いて、2013年9月、ジャン・ヴィラール以来の演出家としてディレクターに就任したのが、SPACでのなじみも深いオリヴィエ・ピィである。
2014年は、新ディレクターのもとで組まれた最初のプログラムとなる。今年の開幕作品は、クライスト作、ジョルジョ・ベルベリオ・コルセッティ演出『ホンブルク公子』であるが、これは1951年にジャン・ヴィラール演出、ジェラール・フィリップ主演で同じ教皇庁の中庭で上演された作品でもある。昨年、クロード・レジ演出によってSPACで制作された『室内』も上演される。前ディレクターの時代には、領域横断的(ないしは領域逸脱的)、ポストドラマ的な作品が注目を集めていたのに対して、劇作家でも演出家でもあるピィのディレクションは、彼の作品も3本上演されることもあって、テクストの演劇への回帰と評されているようだ。(とはいっても、実際にはほかのジャンルが決して軽視されているわけではない)。今年、上演される37本の作品の大半は新作であり、5大陸17か国から招聘されるアーティストのうち、アラン・プラテルのようなアヴィニョン演劇祭の「常連」もいる傍ら、25人は初めての参加で、半分は35才以下の若手であるという。2014年の演劇祭は、舞台芸術の国際フェスティバルとしてのこれまでの役割と、驚きと発見を求める観客の期待に背くことなく、オリヴィエ・ピィならではの独自色を出すことに成功しているのではないだろうか。さらにピィは、前年よりも期間を(2日間とはいえ)延長し、1作品あたりの上演回数、子どもも大人も楽しめる作品数を増やし、入場料金も(とりわけ若者に対して)値下げして、チケットをとりやすく、観客が足を運びやすくし、観客層の若返りを図る意向を明らかにしている。これまでフェスティバルから遠ざけられていた層が足を運び、新しい出会いが生まれる場となることができるか、期待されるとともにその力量が問われているといえるだろう。
【筆者プロフィール】
藤井慎太郎 FUJII Shintaro
早稲田大学文学学術院教授。フランス語圏・日本を中心に舞台芸術の美学と制度を研究する。主な著作に『ポストドラマ時代の創造力』(監修)、『芸術と環境 劇場制度・国際交流・文化政策』(共編著)、『演劇学のキーワーズ』(共編著)など。