劇場文化

2015年4月28日

【天使バビロンに来たる】さまざまなテクストが織りなすタペストリー――『天使バビロンに来たる』の間テクスト性――(増本浩子)

 『天使バビロンに来たる』の原作者フリードリヒ・デュレンマット(1921-1990)は、ドイツ語圏スイスの20世紀文学を代表する劇作家である。まだ30代の若さで、ドイツの著名な批評家であり、学者でもあるヴァルター・イェンスから、「あの無比の存在だったブレヒトの死後、ドイツ語圏で最も優れた劇作家」という称賛を得たデュレンマットは、特に50年代から60年代にかけて発表した作品によって一世を風靡し、その名声を確立した。その主要な戯曲は、さまざまな言語に翻訳されて世界各地で上演され、スイスをはじめとするドイツ語圏の国々ではいまなお定番の演目となっている。
 デュレンマットは1921年1月5日、ベルン州エメンタール地方の小さな田舎町コノルフィンゲンに、プロテスタント牧師の息子として生まれた。14歳のときに父親の転勤で首都ベルンに引っ越し、1941年にギムナジウムを卒業した後は、ベルン大学とチューリヒ大学で哲学、ドイツ文学、芸術史を専攻した。キルケゴールに関する博士論文の執筆を企てる一方で文学作品の創作も始めたデュレンマットは、絵を描くのも得意で、早くから画家になる夢をもっていたため、将来どんな職業につくかでずいぶん悩んだようである。1945年に短編小説のひとつが初めて活字になり、翌46年には作家になることを決意して学業を放棄した。
 デュレンマットはその生涯に、シェイクスピアやストリンドベリ等の脚色の仕事を除くと、劇作家としてのデビュー作『聖書に曰く』(1945-46)に始まって『アハターロー』(1983-88)にいたる16編のオリジナル戯曲を舞台に載せ、そのほとんどすべてを喜劇と名づけている。デュレンマット研究においては、これらの戯曲は通常3つのグループに分けられる。すなわち、まだ「戯曲」というサブタイトルがついているだけの2作品(初期)、デュレンマットの名声を世界的なものにした『老貴婦人の訪問』(1955)と『物理学者たち』(1961)という代表作を含む、1940年代末から60年代にかけての喜劇群(中期)、そして、初演が大失敗に終わり、創作活動の転換点となった『加担者』(1972-73)以降の作品群(後期)である。中期はデュレンマット独特の喜劇のスタイルが確立した時期であると同時に、数多くの演劇論、小説、ラジオドラマが生み出された、最も多産な時期でもある。中期の戯曲は数多くの賞に輝き、映画化されたものも少なくない。だが、『加担者』のスキャンダラスな失敗以降、デュレンマットは創作の重点を戯曲から小説や自伝的散文に移して、リライトしたものを除くと、約20年間にわずか2つの戯曲しか発表していない。88年には演劇と別離して散文の創作に専念する旨を発表し、劇作家としての活動に終止符を打った。1990年12月14日、デュレンマットは心筋梗塞のためヌシャテルの自宅で亡くなった。
 『天使バビロンに来たる』は1953年に執筆され、同年12月22日にミュンヒェン室内劇場で初演された。その翌年の1954年にチューリヒのアルヒェ社から本として出版され、ベルン市文学賞を受賞している。邦訳は『天使がバビロンにやって来た』というタイトルで、『デュレンマット戯曲集第一巻』(鳥影社、2012年)に収録されている(木村英二訳)。この戯曲には「三幕の断片的喜劇」という副題がついているが、「断片的」と呼ばれているのは、この作品が1948年に執筆され、未発表のままになってしまった戯曲『バベルの塔の建設』の一部を書き換えたものだからである。このような成立の経緯を見ても、『天使バビロンに来たる』には先行するテクストが存在していることがわかるが、実際にこの戯曲は実にさまざまな先行テクストが織り込まれたタペストリーのような形で成り立っている。
 作品を読めばすぐに気がつくのは、この作品が旧約聖書と古代メソポタミアの英雄物語『ギルガメシュ叙事詩』をベースにしていることだろう。バベル(=バビロン)の塔の建設は、周知のように創世記で語られているエピソードである。聖職者として登場するウトナピシュティムの名は『ギルガメシュ叙事詩』の登場人物からとられているし、主人公である乞食のアッキが詩人たちと暮らしている場所もギルガメシュ橋の下ということになっている。また、神によって創られた世界が「よきもの」であることを確認するために天使が地上に現れるという設定は、「よき人」を探すために3人の神様が地上に降り立つブレヒトの戯曲『セチュアンの善人』(1938-1940)を明らかに意識している。
 これらの先行テクストはいわばテクストの表層に浮かび上がって見えるものだが、その他にも深層に潜む先行テクストがあることを、バベルの塔というテーマへのこだわりについて記したエッセイ『一連のテーマへの注釈』(1977)の中でデュレンマット自身が明らかにしている。まずひとつめは、カフカの短編小説『皇帝の使者』(1917)である。名もない一庶民にすぎない「きみ」に伝えたいメッセージがあって、臨終間際の皇帝が「きみ」のもとに使者を送る。使者はたくましい男で、勢いよく出かけるが、皇帝を取り巻く無数の人々に行く手を阻まれ、広大な宮殿から出ることすらできない。何千年もの苦闘の後に仮に宮殿から出られたとしても、今度は混沌としたありさまの首都が目の前に広がっている。だから皇帝の使者が目的地にたどり着くことは決してないのだが、「きみは夕暮れになると窓辺にすわって、伝言が届くのを夢見る」。
 この小説に影響を受けたデュレンマットは、まだデビュー間もない1946年にラジオドラマ『時計職人』の執筆を試みた。辺境の小さな町に住む時計職人(スイス人らしい設定である)のもとに皇帝からの使者がやって来て、王女の婿に選ばれたことを伝える。王女はすでに職人のもとに向かって旅の途上にある、と使者は告げる。わが身に何が起こったのかを把握できず、ぼんやりしている時計職人を残して、使者は立ち去る。事態を知った町の人々は時計職人を特別扱いするようになる。王女が職人のもとにたどり着くには長い時間が必要だったのだが、その間に時計職人はなぜ自分がこのような「恩寵」を受けるのかに思いをめぐらせる。「なぜならば、彼は時計職人だったから、正確にものを考えたし、世界のすべての物事にはそれなりの理由があると信じ込んでいたからである。」職人はなかなか納得のいく理由を見つけることができず、ついには、これは自分を陥れようとする皇帝の罠ではないかと考えるようになる。彼の皇帝に対する敵意や憎しみはどんどんふくれあがり、ついに王女が山のような贈り物を携え、愛と喜びに満ちて時計職人のもとに到着したとき、職人は怒りに燃えて王女を殺す。この未完に終わった作品を回想しながら、デュレンマット自身は次のような注釈を加えている。「カフカにおいては恩寵が到来不可能であるのに対して、私の場合は恩寵が災いを招くのである。」
 カフカの作品におけるメッセージをデュレンマットは恩寵と解釈したわけだが、それはデュレンマットが牧師の息子だったことと無関係ではないだろう。彼は第二次世界大戦中、残酷な戦争が繰り広げられているこの世界に神が存在するとはとうてい信じることができなかった。あるいは、もしも神が存在しているのなら、この大戦を許容している神はサディストに違いないと考えた。恩寵が災いをもたらすというのは、サディストとしての神と同じく、デュレンマットらしい逆転の発想である。
 デュレンマットは、『時計職人』の着想を得た後になって『皇帝の使者』と似たエピソードがキルケゴールの『死にいたる病』(1849) にも出てくることを知って驚いた、と記している。キルケゴールの場合は、神が救いを与えようとしても、その恵みが自分とはあまりにも不釣り合いに尊いものであるがゆえに、それを受け入れることができない(つまり、信仰者となることができない)狭量な人間のたとえとして、やはり皇帝の跡継ぎに選ばれた日雇いの話を書いている。小さな町に住んでいる日雇いのもとに使者が来て、彼を跡継ぎにしたいという皇帝の意向を伝える。皇帝の姿を拝むことが許されるといった、ほんの些細な幸運なら大いに感謝して受け入れられるのだが、皇帝の跡継ぎになるという恵みはあまりにも大それていて、日雇いは皇帝が本気だとすぐには信じることができない。しかし、皇帝が本気だということを裏付ける外面的な事実によって、日雇いは皇帝を信じることができるようになる。が、もしそのような事実が存在せず、ただ信じるしかなければ、日雇いはこの恵みを、あまりにも大きなものであるがゆえにばかげていると考えて退けてしまうだろう、という推論でキルケゴールはこのたとえ話を結んでいる。
 デュレンマットはこのカフカ/キルケゴールから得た着想を、塔の建設というモチーフに結びつけて発展させた。『天使バビロンに来たる』では、「いちばん取るに足りない人間」に神の恩寵のシンボルである少女クルービを渡すという使命を帯びた天使が、ネブカドネザル王にクルービを差し出し、「いちばん取るに足りない人間」とみなされたことに腹を立てた王が天を呪って塔の建設を決意するという話になっている。(「いちばん取るに足りない人間」が恩寵を授かるという設定は、もちろん「貧しきものは幸いなり」という新約聖書の思想に基づいている。)つまり、神の恩寵がバベルの塔の建設という災いをもたらす物語なのだ。興味深いのは、コミュニケーション不全がこの作品の潜在的なテーマとなっていることだろう。なぜならば、バベルの塔の建設が原因となって、神はもともとひとつの言葉を使っていた人間に異なる言葉を使わせるようにし、その結果人々は互いに意思疎通ができなくなってしまったからだ。デュレンマットの喜劇においては、神と人間との間のコミュニケーション不全が描かれているとも考えられる。神の使者である天使がその任務を十分に果たすことができず、ネブカドネザルは神から送られたメッセージの意味を理解することができないからである。神とコミュニケートしようとするむなしい努力は、結局、話し相手(=神)を暴力的に排除しようとする試み(=塔の建設)で終わるのである。

【筆者プロフィール】
増本浩子 MASUMOTO Hiroko
広島市生まれ。広島大学、テュービンゲン大学(ドイツ)、ベルン大学(スイス)で学び、広島大学で博士(文学)の学位を取得。現在、神戸大学大学院人文学研究科教授。専門はドイツとスイスの現代文学・文化論。