劇場文化

2015年4月27日

【盲点たち】メーテルリンクの闇と光――『盲点たち』上演に寄せて――(今野喜和人)

 1890年8月24日、フランス最有力紙の一つ『フィガロ』の第一面に、20代のまったく無名の劇作家に関する批評が掲載される。筆者は著名な批評家オクターヴ・ミルボー。普段の辛辣な彼の筆からは出たことのないような手放しの賛辞と共に、「シェークスピアに勝る」とまで評価されたこの作家こそモーリス・メーテルリンク(1862―1949年)であった。当時彼は郷里のベルギーのヘント(ゲント、もしくはフランス語読みでガン)に住んでいて、30部だけ印刷した戯曲第一作『マレーヌ姫』が、数年前のパリ滞在中に知己を得たマラルメを介してミルボーのもとに届けられた結果だったのである。この思いがけぬ評に力を得たメーテルリンクが、当時の自然主義から象徴主義への転換の潮流に乗るかのように、戯曲・詩・評論を発表して一躍名声を博し、1908年の『青い鳥』出版を経て、1911年、ノーベル文学賞作家となるまでのシンデレラ・ストーリーは、西洋文学史の中でも最も華々しいものの一つと言える。
 「マアテルリンク」(現地語で言えばこちらの表記の方が実際の発音に近い)の名声はほどなくして日本にも及び、上田敏は「欧州今日の諸文豪中、私の平生最も景慕する一人である」と持ち上げ、森鴎外、志賀直哉、武者小路実篤、北原白秋等々、数多くの作家・詩人に受け入れられて、熱心な一般の読者・戯曲の観客も獲得した。明治末期から大正年間における、おそらく西洋の状況をも凌駕するようなメーテルリンクの存在の大きさは、今となってはとうてい想像できないものがあろう。白樺派とその周辺の人々は、この白耳義(ベルギー)出身の巨匠を、同時代のトルストイ、ロダン、セザンヌなどと同列に置いて崇敬したのであった。
 メーテルリンクの何がそこまで日本人に訴えかけたかは一言で言い尽くせないが、そのひとつに当時の「大正生命主義」(鈴木貞美)と呼ばれるような、神秘主義への傾き、汎神論的な自然観の流行が背景にあったのは間違いない。実際、メーテルリンクはイエズス会系中学校で受けた厳格な教育に不満を抱き、そこで植え付けられた既成宗教に対する反感と、それでも消えない内心の宗教性との葛藤を経て、14世紀フランドルの神秘思想家ロイスブルークから、プロティノス、ベーメ、スェーデンボリ、サン=マルタン、エマソンに至るまでの神秘思想文献の中に慰めを見出している。作品にそれらの影響があることもしばしば指摘され、死後の生などについて扱った心霊科学的な著作(カトリックの禁書目録に入れられた)も早くから邦訳された。
 しかし、日本におけるそのような「メーテルリンクの季節」(今村忠純)はやがて過ぎ去り、戦後はかつてほど顧みられなくなった。作品の翻訳や、劇の上演もめっきり減ることとなる。そうした記憶の喪失は西洋についても言えることだが、時代を通じた落差は日本の方が甚だしいかもしれない。それでもなお、「青い鳥」と言えば即「メーテルリンク」と大人から子供まで、誰でも思い浮かべられる日本の状況は、フランスや、故国のベルギーにすら存在しないとも言われている。
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 さて今回、ダニエル・ジャンヌトーの演出によりSPACが上演するのは、1890年に発表されたLes Aveuglesである。これまで、『群盲』や『盲人たち』という訳語が与えられてきた初期の一幕劇で、今回の上演タイトルは『盲点たち』となっている。本作は前述のミルボーによる『マレーヌ姫』絶賛評が出た翌1891年の12月、パリの劇場で初演。興行的には必ずしも成功と言えなかったようだが、一部の批評家たちから再び激賞され、マラルメ的な象徴主義が舞台の上に具現されたという見方もあったとされている。日本でも既に明治36(1903)年、小山内薫によって翻訳され、その後昭和初期までたびたび翻訳・紹介がなされて、舞台化もされている。同作からインスピレーションを受けた詩人たちも数多くいた。
 SPACが2年前にもクロード・レジの演出でメーテルリンクの『室内』(1894年)を上演して話題を呼んだのは記憶に新しいところである(昨年はアヴィニョン演劇祭においても公演している)。この連続公演がヨーロッパにおけるメーテルリンクの何らかの再評価、復活と関係しているのかどうか、彼の地の演劇事情に精通していない私には判断ができない。しかし、『青い鳥』と、ドビュッシーがオペラ化した『ペレアスとメリザンド』とを除いて、メーテルリンクの戯曲がこうして舞台に幾度も続けて乗るのは、日本の戦後初めての現象と言って良いのではないだろうか。
 共にメーテルリンク初期の一幕劇である『室内』と『群盲』にはいくつもの共通点がある。そのひとつを単純化してしまうと、既に生じている重要な真実を「知らない」か「見えていない」人物たちが登場することだと言える。『室内』では愛する家族の一員の死(自殺かもしれない)、『群盲』では目の見えない自分たちを導いてくれている僧侶の死。決定的で取り返しのつかないこの「死」にまつわる真実を知り得ないのは彼らの責任ではなく、前者ではまだ報せが届いていないからであるし、後者では身体的ハンディキャップの故である。それらの登場人物に対して観客の方は、その真実を早くから知り得る立場に置かれていて、開示の時がいつ到来するか、固唾を呑んで待っている。
 ところが、今回の上演では日本平の夜の森が舞台になると聞いている。公演案内によると、観客自身も闇の中に投げ込まれ、「盲点の群れ」のひとつになるとされている。それはとりもなおさず、目の見えぬ舞台上の人物たちに対して観客が持っていた優越的な立場が一時(いっとき)にせよ奪われてしまうということである。このように、身体的な問題がなくとも、私たちは簡単に視力を失い得るのである(「盲人たち」ではなく「盲点たち」というタイトルにあえて変更した理由も、このことと関係あるのだろうか)。ちなみに、19世紀末における本作の上演時には、「盲目」が意味するものについて、メーテルリンクの個人的宗教観に絡めた解釈がいろいろと行われた。すなわち、救いをもたらすべき信仰の失墜と、霊的指導者の不在。あるいは僧侶の死にカトリック教会自体への断罪を読み込もうとした向きもある。
 しかし、21世紀の日本の観客にとって、そのような解釈は大して意味を持たないだろう。そもそも信仰問題に引きつけすぎた一義的な読み込みは、哲学書でなく戯曲という媒体を選んだメーテルリンクの意図にも反すると考えられる。強いて望むならば、現代における情報の氾濫の中で、目や耳に入りやすい情報のみを採り入れて、真実から目を背けようとしている私たちへの警告をそこに見ることも可能である。
 ただし、一つ明らかにしておきたいことがある。メーテルリンクが好んで読んだ神秘家たちはしばしば「神なき人々」を「盲人」になぞらえた。その比喩は無神論者たちへの非難攻撃としてもむろん使われるが、一方で何らかの「不可視性」が、そのものの「不在・非存在」の証明にはならないということを示す格好の例ともなった。言い換えれば、今はたとえ目に見えていなくとも、彼方にはあるべき真理が存在することへの希望を植え付ける材料ともなったのである。闇の中では誰しもが光を渇望するという事実にこそ、光の存在を確かに証拠立てるものがある、と彼らは主張した。さらには暗闇の中にいるとき、もしくは視力を奪われているとき、人は感覚が特別に鋭敏になるということも、忘れてはならない経験的事実である。
 『室内』や『群盲』を含むメーテルリンクの初期戯曲には、「死」にまつわる運命性や絶望が色濃く現れている。しかしそのようなペシミズムは中期以降の作品では徐々に薄れていって、運命に翻弄される人間を描きながら、暗く陰鬱な生にも何らかの希望を植え付けるような作風に変わって行く。長い遍歴の末、身近なところに幸福を発見するという『青い鳥』のテーマも、そのような方向の延長線上に置くことが可能だろう。こうした転換が、思想的葛藤や作劇上の工夫の末にのみ生じたのか、それとも実生活において出会った愛(1895年から20年以上にわたって続いた歌手・女優ジョルジェット・ルブランとの関係)も関与しているのかは窺い知れない。ジョルジェットに捧げられた彼のエッセー・評論集『貧者の宝』には次のような文章がある。「…どんな出来事にも光はある。そして、最も偉大な人々の偉大さの所以は、唯一つ、彼らが常にいかなる光にたいしても目を開いていたことなのだ。」(山崎剛訳)
 このようなメーテルリンクの一面、初期戯曲群の中にも含まれていたであろう光の萌芽の存在を頭の片隅に留めて、『盲点たち』の闇を体験されることをお勧めしたい。

【筆者プロフィール】
今野喜和人 KONNO Kiwahito
東京大学大学院博士課程修了。現在、静岡大学人文社会科学部教授(比較文学文化)。著書に『啓蒙の世紀の神秘思想――サン=マルタンとその時代』(東京大学出版会)、訳書にサン=マルタン『クロコディル』(国書刊行会)他。