劇場文化

2012年6月10日

【ライフ・アンド・タイムズ―エピソード1】『ネイチャー・シアター・オブ・オクラホマを見たときのこと』(岡田利規)

 2008年の夏、僕がやってるチェルフィッチュという劇団が、オーストリアのザルツブルクに公演をしに行きました。あまりにもザ・観光地、という街のしつらえにいささか辟易したのと、観光用の馬車がたくさん闊歩しているせいで街がとにかく馬糞くさく、しかし「美しい」町並みとそれとの組み合わせはなかなかチャーミングでいいぞと思ったのを覚えています。
 そんなザルツブルクで僕らが参加したのは、クラシックコンサートやオペラといった正統的な趣に溢れるものから、そんなことからはすっかり自由な現代演劇まで、とにかく多種多様なプログラムをやるフェスティバル。その中のひとつ、現代演劇の若手演出家コンペティションに出場したのです。
 4組の若手演出家がノミネートされて(そのうちの1人が僕だったというわけです)、それぞれの作品が週替わりに上演される、僕らはその第3週めにつつがなく上演を終え、そのまま次の巡業地へと移動したのですが、翌週末、僕だけザルツブルクに戻ってきました。4組めの上演が終わった翌日に行われる、コンペティションの結果発表に立ち会うためです。
 というわけで、最終組の最終日の上演を、僕は見ることができました。それがネイチャー・シアター・オブ・オクラホマの『ロミオとジュリエット』だったのです。そんなタイトルだからといって、シェイクスピアの有名戯曲を台本通りに上演するわけでもなければ、原作に大胆な解釈をくわえて、というのでさえもないのでした。このグループの中心人物、ケリー・コッパーとパヴォル・リシュカのふたりは、電話の会話を録音するのが好きみたいなのですが、『ロミオとジュリエット』で用いられたテキストは、彼らがいろんな友達に電話して「ロミオとジュリエット」のあらすじを話してくれと頼み、その録音が書き起こされたものでした。今回上演される『ライフ・アンド・タイムズ―エピソード1』も同様のコンセプトでテキストができあがってますね。実はみんな、ロミジュリのあらすじをあんまりわかってなくて、うろ覚えでいい加減なことを言います。その音声を舞台上の俳優はイヤホンで聞きながら、その通りのフレーズを話すのです。上演の途中でときどき、意味なくウサギだったかクマだったかの着ぐるみが踊るのでした。
 いい演劇だなあ、と思いました。肩肘張ったところがなにもなくて、ふにゃふにゃしていて。それでも押し出しの強いところはしっかり、ぐいっと押し出されてるから、アメリカっぽいなあ、いいなあ、と思ったりもしました。観客とのあいだに、リラックスした関係が形成されます。2人はこんなコメントをしたことがあるようです。「舞台上でやられることって基本的には私たちとお客さんが一緒の時間を過ごすための、ただの口実」。いいこと言うなあ。上演と観客の関係について明確な見解を持っていることがわかるコメントですからね。
 さて、そのときの若手演出家コンペティションは、ネイチャー・シアター・オブ・オクラホマのケリー・コッパーとパヴォル・リシュカが受賞しました。壇上に上がった2人は、はにかんだような雰囲気がある人たちで、僕はこの人たち好きだ、と思いました。2人は賞金と、モンブラン社特製のマックス・ラインハルト・モデルなる万年筆を賞品としてもらってました。あ、僕も参加賞で普通のモンブランを頂きました。
 授賞式のあと、ノミネートされていた演出家たち、コンペティションの主催者たちの会食がありました。屋外に並んだテーブルに一堂に会し、夏のザルツブルクの眩しい日差しをパラソルで遮りつつ、馬糞の香りもほのかに漂う中、おいしい食事とワインをごちそうになりました。2人が住んでる街ニューヨークで今度公演するよ、じゃあ見に行くよ、などと話してたのですが、結局当地で会ったことはなく、しかし今回静岡に来てくれるので、彼らにも彼らの舞台にも4年ぶりに会えます。

【筆者プロフィール】
岡田利規 OKADA Toshiki
演劇作家、小説家、チェルフィッチュ主宰。2005年『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。同作は世界27都市で上演され、11年12月には公演回数延べ100回を記録した。08年、小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』で、第2回大江健三郎賞受賞。