劇場文化

2012年6月2日

【スカラ=ニスカラ―バリの音と陶酔の共鳴―】対談 久保田麻琴×春日聡 『スカラ=ニスカラ』をめぐって

フィールドワーク ――美への共鳴として

春日(以下、春) まずは、この作品をご覧になってのご感想を教えていただけますか。

久保田(以下、久) 『スカラ=ニスカラ』を最初に観たのは、東京藝術大学の博士号授与に関する審査作品としてギャラリーで展示されていたときです。それを観て、まず非常に美しいと思いました。これほど審美的な作品が、学術的な作品として提出されたとき、学者たちはどう反応するのかと思ったぐらい、作品の審美性に驚きました。
 それでも、この作品はテーマとして、人間がトランスすることや、神に近づくという根源的な祭祀の行為を見ようとしている。そのためにバリという地を選んだことが、ちゃんと伝わってくるんです。そういう意味では、学術的な意味を十分持ちながら、それとバリの生活や概念の美が、作品の中で見事に両立しています。
 例えば、バリでワヤン・クリッと呼ばれる影絵芝居を夜通しライブで観ると、そこには尋常ではないトランス状態なんかがあって、非常にシャーマニックなものを感じるんですよ。それにみんな頻繁に日常の中でお供えをしたりと、神概念と一般住民がここではものすごく近いところにある。これはすごいところだなと思いました。そういうインドネシアに特有な感じが、この映画にはちゃんと詰め込まれています。それをおどろおどろしくも堅苦しくもなく、美的にきちんと人に伝えようとしている。何かを暴いてやろうとかというのではなく、バリの美と自分の心がシンクロしている様があるんです。だからこの映画は、そういう地元のプリミティブだけど、珍しくて高貴な信仰心なり精神性を、非常に美的な方法で、形や動きや音などで残している。そういう心あるフィールドワークなのだと思います。

 作品の中で、特に印象的だったシーンはありますか。

 サンギャン=ドゥダリ[二人の少女が眼を瞑ったままシンクロし優美なダンスをする儀礼]のシークエンスは特に完成度が高いですよね。

 ここはもう本当に震えながら撮ったんですよ。あまりにも美しくて。この儀礼に限らず、バリでは頻繁にそういう目に遭うのですが。

 やっぱりこの儀礼や場所そのものが、一種魔法にかかっているんですよね。

 そうですね。場所がもうマジカルですね。もしもカメラやレコーダーを持っていなければ、場のマジックに巻き込まれて一緒にトランスしてしまうのだと思います。

 それが撮り手を支配している感じがすごくあります。

 裏話をしますと、映像としてスムーズに流れてはいるんですけれども、このときの状況はボロボロでした。カメラは度重なるハードな取材で砂埃と湿気にやられて絶不調でしたし、録音テープのあちこちにマイクケーブルのタッチノイズも入っていて、編集はかなり大変でした。しかも、私の場合フィールドワークでの撮影や録音は、いつも1人でやっているんです。DATとマイクとビデオカメラとそのマイクと35ミリフィルムカメラを全部1人で操作していて、千手観音みたいな状態でした。しかも祭祀儀礼ですからリハーサルもなく、1回限りです。このシーンは本当に魔法にかかったようなところがありますね。

インドネシアの島々に咲き誇る文化

 無数の島々からなるインドネシアでは、インドの要素や、地理的に近い中国の要素などが、島ごとに多様な音楽や芸能、文化のヴァリエーションを作り出しています。インドネシアの伝承芸能は、同じ植物だけれども色や形が微妙に違う花のようで、本当に百花繚乱です。音楽ということで言えば、ワールド・ポップ・ミュージックになったブラジルやジャマイカに劣らない資源がある、文化的にはものすごい大国です。

現代における音楽映画の可能性

 様々なメディアが台頭する中、映像、特に音楽映画には、今後どのような可能性があるとお考えですか。

 かつて映画がテレビに替わったように、ネットメディアの出現によって、今や録音物を芸術作品として売るということは、産業として成り立ちにくくなっています。でも『スカラ=ニスカラ』や、私の関わった映画『スケッチ・オブ・ミャーク』の、宮古島の神歌という一種の宗教音楽にも顕著なように、世の中には残す価値のあるフォークロアはいっぱいあると思うんです。だから、そういうものを録音や映像で残すことは、まだまだ非常に有効で、そういう記録は、世界のいろんな人たちが、自分たちはつながっているんだ、自分たちは人間として生きているんだということを実感させる、非常に強力なツールになると思います。だから、産業としては成り立ちにくくても、こういう仕事はやらないわけにはいきません。

アイデンティティのツールとしての芸術行為

 私が記録してきた音楽をやっている人たちは、仕事は別に持っていることがとても多いです。宮古島の祭祀に関わる人びとは、サトウキビを作ったり、漁師の奥さんだったり。阿波踊りの人も、公務員だったり、現場工事やっていたり、いろんな人がいるわけです。そういう人たちが自分の心をひとつにまとめる、自分のアイデンティティを持つためのツールとして、音楽や踊りという芸術行為をやっているわけで、それは彼らの生にとっては非常にリアルなわけですよね。
 それは、人間性を取り戻すがために奴隷たちが歌っていたブルースやスピリチュアル(黒人霊歌)由来のロックにしても、プアホワイトと呼ばれるような、ヨーロッパからアメリカに渡ってきた人の音楽にしても同じです。宮古の人たちの神歌にしても、彼らが人頭税などの極限状態のもとで、生きるということはどういうことかという深い体験をしたからこそ、人を惹きつけるあれだけの強いものが残っているんだと思います。

【筆者プロフィール】
久保田麻琴 KUBOTA Makoto
学生時代に参加した「裸のラリーズ」を皮切りに「夕焼け楽団」、「サンセッツ」と音楽演奏グループで活躍。90年代以降はプロデューサーとして多くのアジアの音楽、近年では宮古島や阿波踊りの音楽を発表。宮古の神歌を活写したドキュメンタリー映画『スケッチ・オブ・ミャーク』はまもなく封切られる。『世界の音を訪ねる』(岩波新書)を出版。