2012年11月11日

【ロミオとジュリエット】ロミオとジュリエットは、笑いから悲しみへ向かう(河合祥一郎)

 オマール・ポラスの稽古場に立ち会って、彼の才能を確信した。付け耳・付け鼻やユニークな衣装を用いるオリジナルな演出は『ロミオとジュリエット』前半の喜劇性を効果的に強調するものであり、こんな突飛なアイデアはよほど深く作品を理解してないと出てこないからだ。ロマンティックな美しい影絵に目を奪われることになるが、これも喜劇性とのコントラストがあればこそ、一層効果的になっている。
 前半の喜劇性というのは、この作品の重要なポイントだ。『ロミオとジュリエット』がシェイクスピアの四大悲劇(『ハムレット』、『オセロー』、『リア王』、『マクベス』)のなかに入らないのは、この喜劇性ゆえだと言ってもいい。マキューシオや乳母が下ネタ満載のジョークを連発し、前半は悲劇どころか笑劇のようでさえある。
 実際、前半はロミオとジュリエットが出会って恋に落ちるのが話の大きな流れなのだから、悲劇的な要素はほとんどない。むしろわくわくする楽しい展開だ。事態が変わるのは、マキューシオが殺され、ロミオがティボルトを殺してしまう時点からだ。血が流れ、急転直下、ロミオは追放。笑いは凍りつき、悲劇へと変わる。喜びを期待しているときの悲しみほど衝撃的なものはない。だからこそ、『ロミオとジュリエット』はドラマティックなのだ。名作と呼ばれるものには、そのように後半で急に悲劇に転ずるものが多い。『オイディプス王』しかり、『リチャード三世』しかりである。
 ただし、四大悲劇はそのようには書かれていない。ハムレットは最初から嘆きながら登場するし、リア王はのっけから最愛の娘を追放してしまう。さらに言えば、四大悲劇の主人公たちは運命の矢弾を耐え忍び、おのれの力で憤然と運命と戦おうとするところがドラマの核心となっているが、ロミオとジュリエットの場合は「不幸な星の恋人たち」(star-crossed lovers)であり、「ああ、俺は運命にもてあそばれる愚か者だ」とロミオの台詞にあるように、運命と対決することがなかなかできない。ティボルトを殺して追放になってしまったロミオがロレンス神父のもとへ逃げ込んで泣き叫び、「女々しい」と神父に叱られるところなどは、まったく悲劇の主人公らしくない。そんなロミオもジュリエットの訃報を聞くと、「ならば、運命の星を敵に回して戦おう」と叫ぶ。この時点で真の意味での悲劇が始まるのだ。
 四大悲劇はシェイクスピアの「悲劇時代」(1600~1606年)に書かれているが、『ロミオとジュリエット』はそれよりもずっと早い「初期喜劇時代」の作品だという点も見逃せない。具体的には1594年から1596年のあいだ。初期喜劇とは、『恋の骨折り損』、『間違いの喜劇』、『じゃじゃ馬馴らし』、『夏の夜の夢』などだ。
 喜劇時代の作品であるため、道化の活躍も大きい。乳母の召し使いピーターは、当時の道化役者ウィリアム・ケンプが演じたことがわかっている。乳母自身もかなり道化的だ。
 観客を楽しませる乳母は、ジュリエットの心の友でもあるから、そんな「大事なばあや」が、「ロミオなんて忘れてパリス伯爵と結婚なさい」などと言うとき、ジュリエットのショックは大きい。
 ジュリエットはすでにロミオと結婚しているので、乳母が勧めているのは二重婚である。キリスト教では許されない恐ろしい罪であるから、ジュリエットは「心からそう言っているの?」と問い、「ええ、魂から、でなきゃ地獄落ちになります」という乳母の答えに「そうなりますよう」と返すジュリエットは真剣だ。泣いてばかりだったジュリエットは、このときになって泣くのをやめて決然と立ち上がる。そして、真の悲劇のヒロインへと歩み出すのである。あとは運命の導くままエンディングへ。
 なお、ポラス演出では(少なくとも稽古の時点では)ジュリエットの死とともに幕を下ろすエンディングとなっているが、これはバレエではおなじみの演出である。

【筆者プロフィール】
河合祥一郎 KAWAI Shoichiro
東京大学教授。専門はシェイクスピア、表象文化論。角川文庫よりシェイクスピア新訳を刊行中。著書に『ハムレットは太っていた!』(白水社、2001)ほか。共同台本執筆をした『家康と按針』(市村正親主演、グレッグ・ドーラン演出)が今年12月東京・神奈川再演、来年新春ロンドン上演予定。


2012年10月17日

【病は気から】演じる喜び=生きる喜び!? モリエール&シャルパンティエ『病は気から』について(秋山伸子)

 『病は気から』はモリエール最後の作品である。アルガン役を演じたモリエールは、4回目の公演を終えた後、自宅で息を引き取った。自分は病気だと信じ込む男の役を演じたモリエール自身が病に苦しんでいたという皮肉な状況にあったことが信じがたいほどに、この作品には病を跳ね返すほどの生命力が、生きる喜びがあふれている。
 モリエール作品では、多くの人物が「演じる」喜びに身を委ねる。『町人貴族』においては、貴族に憧れる主人公が自ら貴族の役を演じることで、深い満足感を得る。アルガンもまた、自ら医者に扮し、その役を演じることで病の呪縛から解放される。音楽とダンスの力がみなぎる儀式のうちにアルガンは医者の学位を授けられ、舞台全体が言い知れぬ至福感に包まれて芝居は終わる。
 処方された薬の代金を勘定するアルガンの独白で幕を開けるこの芝居において、薬漬けのアルガンの「病気」のもう一つの治療法、伝統的な医療や薬に頼らない治療法としてまず提案されるのは、芝居を見ること、とりわけ、モリエールの芝居を見ることである。だが、それ以上に効果的な治療法として示されるのが、アルガンを医者にするための音楽とダンスのスペクタクル(一種の音楽療法とでも言えようか)である。即興のこのお芝居でアルガンはじつに自然に生き生きと演じているのだが、その素養の一端は、自らの死を演じてみせる場面にすでに垣間見える。
 妻がどれほど自分を愛してくれているかを再確認するためにアルガンは自らの死を演じてみせる。むろんこれは、アルガンの財産を狙う後妻のたくらみを暴くために小間使いがこの演技に誘い込むのだが、死んだフリをするという演技によって妻の本心を知ることができたことに味をしめたアルガンは、この直後、今度は娘の本心を確かめるため、またしても自らの死を演じてみせる。妻相手の演技に入る前には、「死んだフリなんかして危なくないかな?」とためらっていたことが嘘のように、再び演技の喜びに身を委ねるのである。
 アルガンばかりでなく、小さな子供でさえも、演技の喜びには逆らえない。父親の怒りをかわすため、幼い娘は死んだフリをする。これを見るやアルガンは動転して嘆き悲しみ、自らが素朴で信じやすい観客であることを示すのだが、「ねえパパ、そんなに泣かないで。あたし本当に死んじゃったわけじゃないのよ」という娘の言葉に胸をなでおろす。
 恋の障害に直面した若い恋人たちは即興のオペラに託して互いの想いを伝え合い、その自由奔放な生命力の前に、医者の息子トマ(今回の上演では「トーマス」、以下同様。)の融通のきかない硬直化した言葉は敗れ去る。丸暗記した言葉を機械的に繰り返すことしかできず、アンジェリック(アンジ)への贈り物として医学論文を差し出し、(お芝居にご招待とかではなく)ある女性の死体解剖にご招待しましょうと申し出る珍妙な求婚者トマに対し、クレアント(ケロッグ)は音楽の先生に変装し、アルガンやトマの前で即興オペラをアンジェリックとともに歌ってみせる。「恋するふたりがやむにやまれず、自ら沈黙を破り、その場の気持ちに任せて語り合う様子を歌にした」この即興オペラは、ヒロインの悲愴な決意(意にそまぬ相手と無理やり結婚させられるくらいなら死を選ぶという)を歌い上げ、これを見た観客アルガンの反応を引き出す。「で、これに父親は何と言うんだね?」ナイーヴな観客としてこの「けしからんオペラ」に対して激しい拒否反応を見せたアルガンが、一線を踏み越えて、見る側から演じる側へと身を移し、自らの死を演じてみせるとき、そこに新たな地平が開かれる。
 死は再生につながり、アルガンは自らの演技による象徴的かつ通過儀礼的な死を通して、自分を取り巻く人たちの本心を知り、新たな人生の可能性に目覚める。最後にアルガンを医者にする儀式でコーラスが歌い上げるのはまさに横溢する生への賛歌にほかならない。マルク・ミンコフスキ指揮、レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルによるもの、ウィリアム・クリスティ指揮、レザール・フロリサンによるもの(ともに1990年)、どちらのCDもそれぞれ味のある演奏で、はじけんばかりの生きる喜びをたたえたシャルパンティエの音楽を聞かせてくれる。

【筆者プロフィール】
秋山伸子 AKIYAMA Nobuko
青山学院大学文学部フランス文学科教授。『モリエール全集』全10巻(臨川書店、2000-2003年)の翻訳により、第10回日仏翻訳文学賞受賞(2003年)。論文「宮廷祝祭における王の姿」(『身体のフランス文学』京都大学学術出版会、2006年、所収)等。


2012年9月25日

【夜叉ヶ池】夜叉ヶ池伝説(小松和彦)

 泉鏡花の戯曲『夜叉ヶ池』は、九頭竜川の支流日野川の水源となっている「夜叉ヶ池」にまつわる伝説から発想を得た作品だとされている。
 作品の舞台は、越前国大野郡鹿見村琴弾谷ということになっている。しかし、大野郡には鹿見という村はなく、南条郡にある。現在は福井県南条郡南越前町今庄地区(旧今庄町)に含まれている。金沢生まれの泉鏡花が耳にした夜叉ヶ池伝説は、おそらくこの今庄地区で語られた話ではなかろうか。
 たとえば、この今庄地区には、次のような伝説が伝えられていた。
 
 夜叉ヶ池に蛇が住んでいて、娘と母親が住んでいる家へ、蛇が男に化けて通った。娘がしだいに痩せてくるので、母親が心配して尋ねてみると、娘は「男が台所の水を流す口から来るのだ」と言った。そこで、夜、男が娘のそばで眠っている間に、男の着物の襟に、大針で麻の糸を縫いつけ、翌朝、糸をたどって行くと、夜叉ヶ池に着いた。そこで蛇が大暴れして死んでいた。その後、娘を熱い菖蒲湯に入れると、蛇の子をたくさん堕した。

 この種の話は特段珍しいものではなく、伝説というかたちをとったり、昔話というかたちをとったりしながら全国各地に広く分布している「蛇聟入」型の話である。もっとも古いこの種の話は、記紀神話に見える「三輪山」(奈良県の三輪神社起源)説話である。

 美しいタマヨリビメのもとに、容姿端麗な男が夜ごとに訪れ、ヒメは妊娠する。両親は男の素性を知ろうと、娘に麻糸を通した針を男の衣の裾に刺すように教える。夜が明けて、その糸をたどっていくと、三輪山の神社に至った。そこで両親は、男の正体が三輪の神(蛇の姿をしていると考えられていた)であることを知った。ヒメが生んだオオタタネコは、三輪の神を祀る神主となり、その子孫が鴨氏や三輪氏である。

 比べてみればわかるように、上述の夜叉ヶ池伝説が三輪山説話の変異形であることは、明らかである。しかし、両者の間には、大きな違いがある。それは結末部分で、現在の蛇聟入型の説話では、娘が生んだ子は蛇の姿をしており、人間世界から排除されているのに対して、タマヨリビメの生んだ子は人間の姿をしており、母に育てられて、古代の神職系豪族の祖となっていることである。
 この違いは、一言でいえば、古代から近代に至る時代の流れに応じて、神格化された蛇への信仰心の衰えの結果ということになるわけだが、その過程にはさまざまな信仰・伝説の段階があったと推測される。そしてまた、夜叉ヶ池伝説についても、その伝承の分布やその伝承内容をくわしく見ていくと、そのことがわかるだろう。
 夜叉ヶ池は越前国(福井県)・美濃国(岐阜県)・近江国(滋賀県)の境界域をなす山系に位置している。そのこともあって、山麓の地域には類似した内容の伝説が分布している。これらのなかには、「夜叉ヶ池」の名前の由来として、源義朝の子の夜叉御前の魂魄が宿った池であるとか、夜叉になった女が住み着いた池だとか、池の主が夜叉麿という名であったといったことを語り込んでいるものもある。
 ところで、これらの伝説を眺め渡して気づくのは、もっとも伝説が濃厚に分布しているのが美濃国の安八(あんぱち)郡であって、しかもその地域の伝承では、蛇の嫁となった娘の家を「長者」とか「大地主」と語り、さらにもっと具体的に「安八大夫」とか「安八大官(代官)」という者の家にまつわる伝承として語られているのである。さらには、近江の夜叉ヶ池伝説でさえも、その多くが安八郡の長者にまつわる話であると語っているのである。このことは、夜叉ヶ池伝説の発祥地が美濃国安八郡であったことを物語っていると言えよう。
 では、このあたりの夜叉ヶ池伝説は、どのような話なのだろうか。たとえば、『揖斐川町史』には、次のような話が載っている。

 平安時代のころ、安八郡安次(やすつぐ)というところに住む長者安八大夫は、日照りに苦しんで、自分の娘を嫁にくれてやるから雨を降らせてほしいと、蛇(夜叉ヶ池の主)に頼んだ。雨が降った翌日、蛇は山伏に姿をやつしてやってきて、長者の娘を一人連れて、夜叉ヶ池に帰った。ところが、この蛇には本妻がおり、夫が新しい妻を連れてきたことに怒って白石山に籠もり、そして里帰りする途中の新しい妻の上に八丈もの大岩を落として押し潰そうとした。しかし、岩は現在の場所に止まって成功しなかった。このため本妻はこの岩の下に隠れ住むようになり、そこには今でも深い穴があいている。また、安八大夫の子孫が雨乞いのために、夜叉ヶ池に行くときは、けっしてこの八丈岩の下は通らないという。

 この話では、今庄地区の話とは異なり、雨を降らしてもらった見返りとして娘をすすんで差し出したためだろうか、長者の娘はすすんで蛇の妻となって嫁入りし、池のなかで生活するようになり、蛇を厳しく排除していないのである。しかも、その子孫は、その縁で、雨が降らないときには、先祖が嫁入りした夜叉ヶ池に雨乞いに行っていた、というのである。さらには、「後妻(うわなり)妬み」の話まで入り込んでいるのだ。
 私たちは、この伝説から、もしかして、この伝説の背後には、雨乞いのために娘を生贄(いけにえ)に差し出す、という慣習があったのではないか、雨乞いをする特別な家筋があったのではないか、ということを推測することができるのではなかろうか。
 もっとも、かつて夜叉ヶ池に雨乞いのために生贄を出した、というたしかな記録も伝承も伝えられていない。だが、まことに興味深いことに、民俗学者の高谷重夫氏の調査によれば、右の伝承で語られている「安八大夫」の子孫と称する家が実際にあり、近世には、安八大夫の子孫ということで、安八大夫の書状をもって夜叉ヶ池に赴いて祈祷をすると必ず雨が降ったという。すなわち、右の伝説はこの家にまつわる伝説なのであった。
 それでは、この家は誰の家なのだろうか。この家は岐阜県安八郡神戸(ごうど)町の安次にある石原家であって、「安八太輔由緒申伝之記(あんぱちたすけゆいしょもうしつたえのき)」と題する文書を所蔵し、その文書には神戸町の氏神日吉神社との特別な関係が語られているのである。つまり、中世以降、石原家はこの地域の豪族・長者として名を知られるようになったが、もともとは氏神の神主・司祭者であったらしいことが示唆されているのである。
 こうした家とその伝承の構造は、すでにみた三輪氏や鴨氏の祖をめぐる伝承とほぼ重なっていることがわかるはずである。つまり、「三輪山の神」を「夜叉ヶ池の主」に置き換え、「妻問い型」の婚姻を「嫁入型」の婚姻に、「三輪の司祭者の家筋」を「石原家」に換えることで、夜叉ヶ池伝説は作られているのである。
 こうした美濃側の伝説に照らして、鏡花の『夜叉ヶ池』を読み直すと、「鐘楼守(萩原晃)」が「石原家」であり、「生贄(萩原の妻)」は「安八大夫(もしくはその子孫)の娘」に相当するのかもしれない。
 しかし、鏡花がはたしてこうした美濃側の夜叉ヶ池伝説を知った上で、この作品を作ったのかということになると、疑問が残るだろう。というのは、『夜叉ヶ池』では、雨乞いのための生贄としてだけではなく、洪水を防ぐための生贄という構想になっているからである。むしろ、洪水と生贄という関係に着目すれば、池の主(蛇)との約束を破ったためとか、山の木を伐りすぎて神を怒らせたためとかで洪水が起こったといった内容の、「蛇抜け」の伝承に目を向ける必要があるだろう。
 いずれにしても、『夜叉ヶ池』という作品に私たちが感じる神秘は、池の主が竜神(大蛇)であり、その竜神が「神」の末裔であり、また選ばれた「人」(神の嫁・巫女)の末裔でもあり、しかも洪水や日照りを起こす力をもっている、ということにありそうである。
 私はさらに、こうした伝承や鏡花の作品に、人間と自然との厳しい関係の痕跡を見出すとともに、環境破壊を繰り返す現代人への警鐘も読み取りたいと思っているのだが、それは深読みし過ぎだろうか。

【筆者プロフィール】
小松和彦 KOMATSU Kazuhiko
国際日本文化研究センター所長。専門は文化人類学、民俗学。著書に『妖怪文化入門』(2012年、角川ソフィア文庫)ほか多数。


2012年7月17日

【Nameless Voice――水の庭、砂の家】考える前に、観る前に(古川日出男)

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 Noism というカンパニーがその作品を成り立たせるために「不可欠」としている要素は、わずかに2つしかない。誰もが思いつける最小単位の2つだ。すなわち肉体と劇場。このうち、ダンスであるならば前者は必須だ、と即答できる。面白いのは後者で、そこが劇場であることを忘れることがこのカンパニーにはない。結局のところ、それは「Noism の芸術監督である金森穣には、ない」と言い換えられる。
 舞台芸術とは何なのか。
 それは当たり前のように、金森さんに問われつづけているのだ。
 しかし問うためにはツールが要る。どんなツールか。「舞台に立てるダンサー」がその回答だろう。踊る才能というものは、持てる者は持てる。だから優秀なダンサーはいかなる場所(現実の土地、現実の所属、アマチュアかプロフェッショナルかの区分)でも見出しうる、のだけれども、しかし全員が舞台に立てるわけではない。劇場とは異様な空間だ。その異様さは、「そこが異様である」と本能で感じ取っている人間にしか、解析しえない。だが舞台に憑かれて「それを(わざわざ)観たい」と思う人間は――私やあなたのような観客は――そこが普通の空間ではないから足を運んでいる。つまり日常を超える場としての、劇場。
 そこに、誰が立てるのか。
 このことは Noism の設立以来、シビアに問われている。訓練というもの、肉体への眼差しというものが、彼らに蔑ろにされることはない。ただし、ここまでは最小単位の2つ、ただの「不可欠」の要素でしかない。さらに要素は、足される。肉体と劇場はある作品を成立させるためのマトリックスでしかないのだから。照明であれ衣裳であれ音楽であれ、そうしたものも「付け足し」とはならないのが Noism(の作品群)だ。が、それ以上に金森さんのイメージというのがある。劇場があり、肉体があり、そこに作品のためのイメージ――または複数のイメージ、イメージ群――が掲げられて、そこから出発する。
 たとえば、今回の『Nameless Voice』でいうならば、ひとつには水。「水で何かを作れ」と言われたら、人は、水そのものを描出しようと足掻く。しかし、こう考えてほしい。本来水があるべき場所に、水がないとしたら、人はそこに水を連想するのではないか、と。そしてこの作品の冒頭には、まさに「水があるべき」何物かが大量に登場して(そして、それ/それらの内側には水がない)、イメージの圧勝といったものから発進する。題名にある Voice に関してもそうだ。声はある種、ダンス公演にとっては飛び道具で、それだけでメッセージ性を持ってしまうわけだが、しかし声があることで「声があるべき」何事かが連想されつづけるだけだとしたら。それだけだとしたら。すなわち、強烈に「ない声」=無声が意識されるのだとしたら。
 そもそも Noism を鑑賞するのに、じつは作品のコンセプトの理解やメッセージの咀嚼は、不要だ。演題やあるいはパンフレット掲載のさまざまな文章がメッセージらしきものを呈示するが、しかし、そこにある「主題」というものは作品ではイメージの屹立という形でしか表われない。それがわざとなのか無意識になのかは不明だが、金森さんは結局、メッセージなど届けていない。それらはイメージ群に転位されて、私たち観客に求められるのは、せいぜい「考えろ。答えはない」ということだけ。しかも、ここが Noism のすばらしさなのだが、私たちはじつは考えることすら必要ない。なにしろ、まずは感じなければならないからだ。イメージを感受すること、味わうこと。劇場と肉体という「不可欠」のプリズムにさらに多数の屈曲/分散のために要素を足して、私たちは「感じろ」と求められつづける。
 素敵な要求ではないか。感じろ、それから考えろ。答えなど出さずに、また観ろ。
 では、観よう。

【筆者プロフィール】
古川日出男 FURUKAWA Hideo
1966年福島県生れ。作家。98年に『13』で小説家デビュー。2002年『アラビアの夜の種族』で日本推理作家協会賞と日本SF大賞、06年『LOVE』で三島由紀夫賞を受賞。その他に『ベルカ、吠えないのか? 』 、『聖家族』等、著書多数。


2012年6月29日

【ソウル・オブ・ソウル・ミュージック】静岡公演に寄せて(金晶洙)

 韓国の伝統音楽である「国楽」は、正楽・民俗楽・創作音楽に分類されます。「正楽」は宮中を中心とする主に上流階級が楽しんだ音楽です。「民俗楽」は主に韓国の巫俗儀式で使われた音楽を根源に持つ土俗音楽であり、庶民に親しまれ伝承されたものです。そして1960年代以降この2つの音楽をもとに西洋的な作曲技法と楽器編成を融合させ、現代人の感覚に合うように再創造された国楽の新しいジャンルを「創作音楽」と言います。
 ソウル市国楽管弦楽団は、1965年に創設された韓国で最初の国楽管弦楽団です。韓国の伝統音楽の創造的継承につとめ、時代の感覚にあった現代創作曲を開発し、韓国創作音楽の新しい進化に日々はげむリーダー的な役割を担う韓国で最高の管弦楽団です。伝統音楽の普及を目指し、ソウル市の顔として国楽を世界へ伝えるために、他国の音楽であるジャズやポップスなどと共演したり、光と色彩を用いた斬新な映像音楽にも挑戦しました。これらの試みを通じて韓国伝統音楽の新しい変化と、ワールドミュージックの中心への融合を目指し、韓国音楽の未来のかたちを提示するため日々、変貌を続けています。 
 2012年6月30日と7月1日の2日間「WorldTheatreFestivalShizuoka under Mt. Fuji 2012」の一環として上演される『ソウル・オブ・ソウル・ミュージック(Experience the Strings of Korea)』には、ソウル市国楽管弦楽団のコムンゴ奏者のキム・ソンヒョさんと、カヤグム主席奏者のカク・ジェヨンさんが参加いたします。
 私はソウル市国楽管弦楽団の団長兼任常任指揮者として、日本の皆様にこの2人の奏者を紹介することができ、誠に誇らしく光栄に存じます。わが楽団のこの若い2人は、数多くの公演に出演し好評を得ており、韓国内でも優秀な演奏者として認められています。
 この2人は、伝統音楽の正楽の霊山会相(ヨンサンフェサン)から下弦還入(ハヒョントドゥリ)と、民俗器楽の代表的な楽曲である散調(サンジョ)を新しくアレンジした変奏曲や、最近作曲された最新の創作曲などを皆様にお届けいたします。韓国伝統音楽の2本柱と言える正楽と民俗楽。そして、韓国音楽の現在形と言える創作音楽を、一度に堪能できる非常によい機会であると思います。
 これらの曲はソウル市国楽管弦楽団で行われてきた新しい試みの断片、ほんの一部ですが、伝統と現代がともに舞台の上で1つとなり共存する「調和の場」になると、私は確信いたします。
 「Experience the Strings of Korea」のテーマは「韓国音楽の多様性」です。音楽の形式や楽器の持つ特性だけではなく、韓国音楽の過去と現在を表現しようとするからです。
 ソンビ(朝鮮時代の学者)が好んで演奏し、男性的な音色を持つ弦楽器のコムンゴと、同じ弦楽器だが対照的に女性的な音色のカヤグム。この2つの楽器が織りなす調和は、韓国伝統音楽の「陰と陽の思想」そのものだと言えます。また、古来から受け継いだ姿のままのコムンゴと、新しい音楽に対応するために25弦に改良されたカヤグムの合奏は、韓国音楽が現代に力強く脈打つ躍動美を感じさせる事と存じます。
 この公演を通じて、韓国と日本の多様な音楽的交流の新しい取り組みが行われる事を期待いたします。

【筆者プロフィール】
金晶洙 KIM Jung-Soo
ソウル市国楽管弦楽団指揮者、韓国国楽協会会長、秋季芸術大学大学院学長


【春のめざめ】「悲劇」と「喜劇」の匙加減(酒寄進一)

 ドイツの作家フランク・ヴェデキントの『春のめざめ』は1891年に出版されたが、15年後の1906年までドイツ国内で上演が禁止されていたといういわくつきの戯曲だ。副題は「子どもたちの悲劇」。悲劇といえばもともとは高貴な人の没落を描き、その落ち方の大きさに観客が涙したもの。しかしその観客が「市民社会」出身者で構成されるようになると、同じ市民の悲劇が描かれるようになる。つづいて19世紀の市民悲劇は同じ市民の中にさらなる悲劇の主人公を探すようになる。たとえば、女性の葛藤に目を向けたイプセン、過酷な労働者の惨状を描いたハウプトマン。抑圧に苦しむ子どもの姿を赤裸々に描いたヴェデキントもその系譜につながるだろう。
 ただしヴェデキントは、その「悲劇」をわざと過剰に描くことで笑いを誘う、つまり「喜劇」的な一面まで加味させている。作者本人、すべての場面に笑いの要素があるとまでいっている。この「悲劇」と「喜劇」の匙加減が、昔から演出家や出演者を刺激してやまないようだ。
 『春のめざめ』はドイツ国内で再演されない年がないほど人気がある。しかも若手役者の登竜門のように扱われているところがある。一昔前だが、ドイツの名優ブルーノ・ガンツ(主演映画に『ヒトラー ~最期の12日間~』)の舞台デビューもモーリッツ役(ペーター・ツァデック演出 1965年)だった。日本でも串田和美演出(1998年)で北村有起哉(モーリッツ役)がデビューしている。
 『春のめざめ』はブロードウェイミュージカルになり、2009年劇団四季のミュージカルにもなった。そうしたことも手伝ってか、ストレートプレイも昨年、3種類観る機会に恵まれた。
 ひとつは2月25日から27日にかけて文学座アトリエで公演された文学座附属演劇研究所第50期本科夜間部の卒業発表会(高橋正徳演出)。よく走り、よく飛び跳ねる演出で、それが「子ども」たちの焦燥感や歓喜をうまく表現していた。
 次は4月27日から5月1日にかけて恵比寿のエコー劇場で公演された劇団アルターエゴ第44回公演(田村連演出)。本来セリフが担う感情表現をダンスに置き換え、最後の場面で「仮面の男」が口にする言葉を複数の役者に振り分け、多声的にすることでより普遍的な意味づけをした演出が斬新だった。
 3つ目は12月15日から17日にかけて日本大学芸術学部演劇学科の舞台総合実習2Aとして公演されたもの(桐山知也演出)。場面の順番を入れ替える大胆な解釈が行われ、大人を白塗りにし、子どもを素面にしたり、意味深なBGMを使ったりと、「子ども」の内面世界を視覚・聴覚的に現出させる工夫が随所に見られた。
 ところで本家本元のドイツではどのような舞台がかかっているのだろう。とくに印象に残っている2本がある。ひとつはベルリンのベルリナー・アンサンブル(クラウス・パイマン演出 2008年初演)。舞台を前後に2分する回転パネル(表裏それぞれ白と黒)だけで構成されるミニマルな演出で、この回転パネルがあるときはドアになり、またあるときは激しい回転によって風を表現する。風はもちろん「子ども」たちの心象風景でもある。もうひとつはベルリンのドイツ座で市内の高校生たちを中心に演じられたもの(マルク・プレッチュ演出 2010年初演)。等身大のはじけるような演技が「演技」に見えなかった。この公演に使われた小ホールは1906年に『春のめざめ』が初演された場所。ドイツの百年を考えさせられ感慨深かった。
 さて、オマール・ポラスはどんな新しい仕掛けと世界観を見せてくれるだろう。観るのが楽しみで、ワクワクしている。

【筆者プロフィール】
酒寄進一 SAKAYORI Shinichi
和光大学教授、ドイツ文学翻訳家。訳書F・v・シーラッハ『犯罪』(東京創元社)で今年度本屋大賞翻訳小説部門1位。他にF・ヴェデキント『春のめざめ』(長崎出版)、ネレ・ノイハウス『深い疵』(東京創元社)など。


【おたる鳥をよぶ準備】鳥が人を葬るとき(島田裕巳)

 人はなぜ踊るのか。
 それは、飛ぶためである。
 人間には羽根や翼などなく、本来は飛ぶことができない。だが、人間は周囲に飛ぶことのできる存在があることを知り、それに強い憧れをもってきた。
 そして、飛ぶことをめざしてきた。飛行機の発明も、そこに発しているが、もう一つ、踊ることを通して人は地球の引力の影響から脱しようとしてきた。
 20世紀初頭に活躍した伝説的なバレエ・ダンサー、ニジンスキーは空中に静止しているようだと言われた。彼は人であるにもかかわらず、踊ることで鳥に近づいたのだ。
 私もかつて、踊ることを通して人が鳥になる場面を目撃したことがある。
 セゾン劇場(現在のル テアトル銀座)での山海塾の公演、『卵を立てることから―卵熱』でのことだ。舞台の上にあった台の上に仰向けになった天児牛大が羽ばたくと、そのからだは飛んだ。私は、たしかにその光景を「視た」。
 地を這うように踊る能楽のシテも、ときに鳥になる。『道成寺』の最後、飛ぶことで鐘のなかに吸い込まれていく。
 踊ることが鳥になることであるとするならば、その世界で何者かが葬られるとするならば、やはりそれは鳥の流儀にかなったものでなければならない。
 選択肢は「鳥葬」しかない。
 鳥葬は、今日でもチベットで行われている遺体処理の方法である。古代に栄えたゾロアスター教でも、鳥葬が行われていたと言われる。
 鳥葬する際には、遺体を草原に運んでいく。遺体は、鳥が食べやすいように切り刻まれる。そこには、血を流すことで、鳥を集める効果もある。すると、ハゲタカなどがやってきて、遺体を食べ尽くしていく。
 この鳥葬に立ち会うツアーもあるようで、ネット上にはそれに参加した日本人の体験もつづられている。
 チベットで鳥葬が選択されているのは、火葬にするための木がないからだとも言われるが、ならば土葬という選択肢もあるはずだ。
 それでも鳥葬が続けられているのは、遺体が鳥に食べられることによって、その魂が、天に昇っていくように感じられるからではないだろうか。
 鳥葬は、それに立ち会った日本人にはグロテスクに感じられるかもしれないが、日本でほぼ100パーセント近く普及した火葬だって、考えてみれば遺体を火で焼くわけで、もし私たちがその過程をこの目で見なければならないとしたら、まともには正視できないだろう。
 死というものが残酷であるように、人を葬るという行為にも残酷な部分がつきまとっている。チベットの人々は、その残酷な部分を鳥に担ってもらうことで、どこかこころを癒されているのかもしれない。
 日本では、鳥葬は法律に引っかかるので、実施は不可能である。
 しかし、火葬した遺骨を墓に収めたとき、私たちはからだはそこに葬られたかもしれないが、魂の方は墓から解き放たれ、天に昇っていったと考える。だからこそ、最近では、墓の前で、『千の風になって』を歌う人が増えているのだ。
 風になってしまうのであれば、墓など本当は要らない。私たちのなかに、どこか鳥葬に対する憧れがあるのも、死んでから薄暗い墓のなかにとどまらなければならないことに抵抗があるからだろう。
 鳥葬は、残酷さと爽快さを併せ持っている。物事というものはそういうもので、つねに両面を持っている。
 私たちは、鳥葬にインスパイアーされた舞台の上で、踊り手がこの両面を鮮やかに表現するのに接することになるであろう。

【筆者プロフィール】
島田裕巳 SHIMADA Hiromi
宗教学者、文筆家。 東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員などを歴任。著書に『葬式は、要らない』(幻冬舎新書 2010)、『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』(幻冬舎新書 2012)他多数。


2012年6月25日

【キリング・フィールドを越えて】カンボジア古典舞踊の周辺(山中ひとみ)

カンボジア古典舞踊の歴史と現在

 カンボジア古典舞踊を一言で説明すると「アンコール・ワットに伝えられる踊り」ということになる。王立プノンペン芸術大学芸能学部長(当時)のプルン・チアン教授は「カンボジアのすべての芸能のもとは宗教だ」と言う。そして、その宗教は、日本と同じく緩やかで複合的な要素を持つものであり、インドから伝わってきたヒンドゥー教、仏教、そしてアニミズムの信仰と慣習が結合したものである。アンコール王朝時代、踊り手はすべて女性で、人間と神の媒介の役割を担っていた。14 世紀アンコール王朝がタイのアユタヤ王朝に敗れたことにより、この古典舞踊の黄金期は終わり、舞踊教師と踊り手たちはタイに連れ去られたと碑文にある。
 その衰退してしまった文化が再興されたのは19 世紀、アンドゥオン王の時代である。アンドゥオン王はタイの宮廷文化と、カンボジアの宮廷で伝えられていたものを合わせ、カンボジアの古典文化を再興した。19‐20世紀前半、踊り手は宮殿の中に住み、王族の儀式のために踊り、フランス植民地支配下では外交儀礼でも踊っていた。第二次世界大戦後シアヌーク殿下がカンボジアを独立させた時代には、殿下の母君コサマック王妃が古典舞踊を興隆させた。(エン・ティアイ先生の青少年期)
 その後1975年から4年間続いたポル・ポト政権下での状況はこの作品にある通りだが、政権崩壊後の1980年、本作品の3人の舞踊家を含む生還した舞踊関係者達が、芸術学校と政府の芸能局で舞踊復興に取り組み始める。この社会主義時代、舞踊団は国立となり、歌詞の言葉遣いや内容も政治の影響を受けたが、1991年の和平協定以降、国が立憲君主制となるに伴い、舞踊も再び王制と関わりを持つようになった。そして2003年、カンボジア古典舞踊は、ユネスコの「人類の口承及び無形遺産の傑作」に登録された。

踊りが表わす壮大な宇宙観

 代々の舞踊の師匠の魂や神々へ礼を捧げるソンペア・クルーという儀式が、公演前や毎週木曜日に必ず行われる。冠やお面には魂が宿ると信じられ、敬意は良いものだけでなく悪いものにも捧げられる。それは善と悪、知性と荒ぶる力が永遠の闘いを繰り広げるという、彼らの宇宙観に基づいているようだ。そして舞台上の物語は必ずハッピーエンドで終わらなければならず、それは善が悪に打ち勝つよう願いを託しているからだと考えられる。
 舞踊の主要なモティーフは、リアムケー(カンボジア版ラーマーヤナ物語)や天女アプサラであり、高貴な主人公、柔和な女主人公、夜叉(エン・ティアイ先生、トン・キム・アン先生の役)、聖なる猿の4つの役がある。
 身体の動きの特徴は、まず手指で、「種を植える→芽→葉→花→果実が弾けて落ちる」という植物の命の循環を表現する。そして、指が反り返るのは大蛇ナーガの尾を表していると言われる。蛇はカンボジアの文化と深い関わりがあり、前述のチアン教授は、カンボジアの建国神話にも蛇姫ナーギーが登場することを取り上げ、「我々は蛇人間だ」と語る。また、天男天女が空を飛んでいる様子を表現するために、重心を下に押し付けながら、時々足を上に上げたり重心を緩めたりもする。
 衣装、冠、装身具も彼らの宇宙観、即ち、宇宙の中心に神々の住む須弥山(メール山)があり、その周りに我々人間の住む大地、そしてその果てを大海が取り囲むという神話や、聖なるものをお守りする大蛇ナーガを表現している。
 音楽は「ピン・ピアット」と呼ばれる古い形式の合奏で木琴、ゴング、笛、太鼓等の7つの楽器から成り、これに3人の唄い手がつく。(エン・ティアイ先生は唄の先生でもある)
 千年もの間、カンボジア古典舞踊は口伝で伝えられてきた。単に1つの役ができるだけでなく、すべての唄を正確に覚えているということは、失われかけた舞踊作品全体を蘇らせる原動力となったに違いない。エン・ティアイ先生が舞踊界の重鎮であるのは、年齢もあるが、その復興への貢献度にもあるのだ。
 

今、思うこと

 私が芸術学校に5年間留学していた頃、エン・ティアイ先生やトン・キム・アン先生には、よくお目にかかっていた。しかし、専門の役が違うこともあり、あまり深い話をしたことはなく、ポル・ポト時代のご自身の人生を伺うのは、本作品が初めてである。私には、とても彼女たちの壮絶な経験を引き受ける度量がなく、カンボジア語が得意でないことを理由に、直接の自分の先生以外とは深い話は避けていた。それを思うと、演出家オン・ケンセン氏の力には脱帽である。
 そして、内乱や社会主義時代の面影が残る1997年から、東南アジアの新興国として勢い付く現在まで、カンボジアに私が関わって思うことが2つある。
 1つは、私たちが生きている現在の日本社会から一旦離れて、欧米先進諸国だけでなく、広くアジア全体の様相を、多くの日本人に知ってもらいたいということ。例えば、こういった作品を通じて。すると、日本が敗戦とはいわずに終戦と呼ぶことで、手に入れたものと失ったものが、戦争を知らない世代の日本人にも見えてくる。アジアの他国の現状と、自分の親や祖父母の人生や考え方を照らし合わせる時、私達がこれから世界の中で、日本人としてどう偏狭なナショナリズムに陥らず、しかし自信を持って生きればよいのか、日本をどんな国にしてゆけばよいのか、きっと新しいビジョンが得られるはずだ。
 もう1つは、現代に生きる日本人は、必ず自分自身を幸せにしなければならない、ということ。ポル・ポト時代が終わったカンボジアで、芸術大学の先生達によく言われることは、「経済的な支援をしてほしい」ということだ。トン・キム・アン先生の後を継ぐ娘、つまりエン・ティアイ先生の孫娘も、現在大学を卒業して、踊りを続けながら別な勉強もしているらしい。将来を嘱望される先生の娘ですらそうなのだから、踊りで生き延びていくとは、大変なことなのだ。そして、一般の人には「日本に生まれて、あなたは幸せね」と言われる(少なくとも震災前までは…)。
 ポル・ポト時代を脱したカンボジア人の望みは、日本人のように経済的に豊かになること。だとしたら、その目標とされている私達が、自分自身を幸せだと感じられるようにできなければ、世界はどこへ向かえば良いのだろう。
 そんな思いを、この作品をご覧になった多くの皆様と共有し、発展させることで、苦難の中でもより良い未来を信じて、それぞれがご自分の道を歩まれることを、私は願っている。
 この作品が静岡で上演される運びとなった、全ての関係者の皆様に感謝しつつ。

【筆者プロフィール】
山中ひとみ YAMANAKA Hitomi
お茶の水女子大学卒業。1997年からカンボジア王立プノンペン芸術大学付属芸術学校古典舞踊科にて学び、2003年日本人として初めて卒業。その後も更に研鑽を重ね、アンコール遺跡、愛・地球博カンボジア館、大使館、国立劇場などで舞台を務めている。カンボジア舞踊企画・教室SAKARAK 主宰。


2012年6月24日

【THE BEE】自己を破壊する家族――『THE BEE』を家族から観る (芹沢俊介)

 子どもを虐待する親を責めたくなる気持ちをおさえて、そこで起きている事実に目をこらすなら、家族の自己破壊という像が見えてくる。自分の産んだ子を大事にいつくしみ、育てるのではなく、逆に苛むのだ。苛んだはてに、死に至らしめてしまう場合もまれではない。これを、自分で自分の家族を破壊する姿と言わずに、なんと捉えるべきであろう。
 そこで、問いが現れる。なぜこんなことが起きるのだろうか。
 説明抜きで私見を記せば、家族は内側に何かを抱え込んでしまったのだ。その抱え込んだ何かが、あることをきっかけに動き出し、ついに制御不能に陥ってしまうのだ。そうした手のつけられない暴走状態は、カタストロフィー(破局)を迎えるまで、終結することはない。
 家族が内側に抱え込んでしまった何かを、『家族という意志』という本のなかで、私は自己本位主義的志向であると考えた。要するにエゴイズムのことである。エゴイズムはいつも自分の欲望を最優先させようとする。したがってときに、目の前に子どもがいるという現実、妻がいるという現実、すなわち家族があるという現実は、どこまでも自己実現を目指すエゴイズムの前に立ちはだかる障害物として見えてくる。虐待をはじめとする家庭内に生じる厄介事の中心にあるのは、こうした独走しようとするエゴイズムの問題である。
 家族の個々は、このエゴイズムを飼いならすことによってしか、自らの家族を安定的に存続させることは困難である。これが、私たちが現に生きている家族の現状ではないか。そしてこれが、劇『THE BEE』が書かれなくてはならない背景ではないだろうか。
 劇は、飼いならしたはずのエゴイズムが、手綱を切って暴れ出し、制御不能と化し、家族を自己破壊するところまで突き進んでしまうまで終わらない、そういう進行をとる。
 ここには二つの家族が出てくる。一つは、主人公の井戸の家族である。劇は、刑務所を脱走した殺人犯小古呂が、井戸の留守中、井戸の妻子を人質に、井戸の家に立てこもったというところから始まる。もう一つの家族は、脱獄犯小古呂の家族である。井戸と同じ六歳になる男の子と妻がいる。小古呂の脱獄は、自分の妻子に会いたい一心からであり、会わせなければ井戸の妻子を殺すというくらい強い執心からである。
 人質になった妻子の救済が目的のはずだった井戸の行動がしだいに変容していく。一方は被害者、他方は加害者という関係からはじまる二つの家族が、井戸と小古呂、二人の、一歩も退かぬエゴイズムの激突を軸に、一方が他方の鏡像をみるような展開をたどることになるのだ。このダイナミズムが劇『THE BEE』の見所だと、家族論的には理解していいように思える。
 一方が他方の鏡像であるのなら、互いに引き返すことができないまま繰り返されるエゴイズムの応酬が何をもたらすか、その行方は誰にでも予測できるだろう。井戸が小古呂の妻子を苛む、すると小古呂が井戸の妻子を苛む。こうした応酬が、井戸にとっても小古呂にとっても、自分の妻子を苛むことと同じなのである。つまり、二つの家族が鏡像関係に入ったことによって、二つの家族に自己破壊が起きているのである。
 さて、THE BEE――蜂である。主人公井戸が蜂を苦手とするということは、やや強引にすぎるかもしれないけれど、蜂は井戸のエゴイズムに対する抑止力を象徴するものと言えるのかもしれない。井戸の加虐行為が後戻りできない状態でエスカレートするのは、井戸が蜂を殺した後であることに注目すれば……。少し解釈に傾きすぎたようだ。多謝。

【筆者プロフィール】
芹沢俊介 SERIZAWA Shunsuke
評論家。社会問題を中心に子ども、家族、教育に関する評論で活躍。著書に『親殺し』(NTT出版 2008)、『「存在論的ひきこもり」論』(雲母書房 2010)、『家族という意志』(岩波新書 2012)ほか多数。


2012年6月12日

【ライフ・アンド・タイムズ―エピソード1】<ドラマトゥルク・ノート(抄訳・ロングバージョン)>ルールのある自由 ケリー・コッパーとパヴォル・リシュカの演劇について(フロリアン・マルツァッハー)

 「ネイチャー・シアター・オブ・オクラホマ(オクラホマ野外劇場)」、これはカフカの未完の小説『アメリカ』に登場する怪しげながらも期待を持たせる劇団の名前である。この劇団は、締切日の深夜12時までに応募すれば、誰にでも適切な仕事を提供するという。この小説の主人公であるチェコ出身の移民者カルル・ロスマンもまた、このチャンスをものにして、新たな人生を目指し、すぐにオクラホマ行きの列車に乗り込んでいく。
 演出家で劇作家のケリー・コッパーとパヴォル・リシュカは、2003年に自分たちの劇団を立ち上げる日まで、ずっとこの劇団名を頭に思い描いていた。それまでのパヴォル・リシュカの人生は、小説のように波瀾万丈というわけではないにしても、このカフカの作品と驚くほど似ていたからである。スロヴァキアの小さな街で生まれ育ったリシュカは1991年、18歳の時に、うさんくさい短期の求人に応募して渡米することとなった。それまで一度も外国旅行をしたこともなく、兵役に就くはずだったのに、それから1週間もしないうちに、リシュカはオクラホマに降り立った。
 リシュカは仕事のない昼間に、大学で哲学と創作の授業に出るために、夜中必死に英語を勉強していた。成績が悪いと、学生ビザを失ってしまうからだ。オクラホマは、リシュカにとってのアメリカでの故郷だった。

 リシュカは1992年、ニューハンプシャー州のダートマス大学で創作と演劇を学んでいるときに、ケリー・コッパーに出会い、2人でニューヨークに引っ越して、イーストヴィレッジのワンルームマンションで長い間一緒に暮らし、作品を創っていくことになる。かつて「前衛の都」と呼ばれたこの街が生んだ近年の最も注目すべき作品のうちのいくつかは、2004年以降、この2人が「ネイチャー・シアター・オブ・オクラホマ」名義で創ったものである。[…]

 今ではとりわけヨーロッパで成功を収めているとしても(ここ数年でほとんどの重要な国際演劇祭に登場し、ザルツブルクでは「若手演出家賞」を獲得した)、2人の演劇には明らかにニューヨーク的なところがある。それは単に、ウィーン・ブルク劇場とアメリカの俳優を共演させた『ライフ・アンド・タイムズ』が「ミュージカル」というアメリカ独自の芸術形式を用いているから、というだけではない。この2人が影響を受けたのは、確実にマンハッタンの風土なのである。レディメイドの発明者としてのマルセル・デュシャン、日常生活をアートにまで高めたアンディ・ウォーホル、ジョン・ケージやマース・カニンガムに見られる偶然的選択、ケン・ジェイコブスによる映像の再使用、リチャード・フォアマンによる舞台や観客の操作、ウースター・グループに見られる完璧さの魅惑と過剰な要求、そして忘れてはならないのが、トラッシュとキャンプを賞讃するジャック・スミスの独自の美学である。これらの全てが、ネイチャー・シアターの作品のうちに影響を刻んでおり、ネイチャー・シアターはひそかに、歓びをもって、自らをこの伝統に属するものと見なしている。[…]

 『ライフ・アンド・タイムズ』は、単にクリスティン・ウォラルの人生を映し出しているだけではない。このテクストは、6人の俳優に振り分けられることで、複数の人物の伝記のようになっている。振付に関しては、リシュカはとりわけ自分の子供のころに見た動きや写真を使っている。「スパルタキヤード」というのは、チェコスロヴァキアで(また他の旧東欧諸国で)行われていた陸上競技大会の名前である。中でも、振付を伴った集団での体操が見ものだった。物語をより匿名的なものにするために、ウォラルの話に出てくる人名や地名のうちのいくつかは、ケリー・コッパーの似たような子供のころの想い出の人名や地名に置き換えられている。
 こういった戦略や技法はつねに(演劇よりもむしろヴィジュアル・アートや文学といった分野において)、いわゆる「 作者問題」を提起することとなる。だが、コッパーとリシュカが自分の作品について出した回答は、控えめなものではない。確かに2人は他の人が作った素材を使っているが、選択し、文脈を作り、形式を作ったのは、つまり素材から芸術作品を作ったのは、この2人なのである。芸術形式は、自分自身について考えていることよりも、何らかの意味で優れたものでなければならないのである。[…]

 ネイチャー・シアターにとって、演劇のライブ性について真面目に考えるということは、全く同じ公演は決してないということ、それぞれの公演は新しいものとして展開されるということである。初日が明けてからだいぶ経っても、演出家が全ての公演に立ち会うのは、このためである。惰性に陥らないように、パフォーマンスのルールについて、新たな指示や変更を(時には上演中に)出すこともよくある。[…]

 芸術的な手法としての偶然と自由は、明確に決められたルールがある限りにおいて意味を持つ。「何でもあり」では、美学的には大したものを生み出すことができない。コッパーとリシュカが劇作品のなかで使う制約やハードルは、特に重要な意味を持っている。パフォーマーにとっての自由と演出家によるコントロールのあいだ、予見できないものと几帳面さとのあいだのバランスを見出さなければならないのである。パヴォル・リシュカのカールした口ひげや、往々にして造花や小鳥があしらってあるケリー・コッパーの装飾的な髪型といった2人の外見は、まさにこの原則を表すものでもある。2人が自分たちの活動を真面目なものと捉えてほしいと思っているとすれば、それは自分自身に対しても、相手に対しても、特別な努力を要求することになる。この2人は、人生においても演劇においても、あまりに容易なものには価値があるとは思っていない。また、一見やすやすとやっているかのように見える名人芸にも興味がない。これは彼らにとっては、自分に対する挑戦を十分にしていない証であり、まだ自分の限界に至っていないことの証なのである。マジックが面白いのは、それが本当の魔術ではないと分かっているときだけなのだ。
 両足を動かしながら妙な顔をしている俳優が、どうやって実存に関することを伝えうるのか。見るからにしんどい作業によってである。通常は台詞とともに俳優の最も重要な援軍となるしぐさや動きも、俳優の味方になってくれないどころか、敵対しさえする。大きな障害を持った人が、何かを伝えるために、唇の震えや窮屈な様子で、一生懸命になって、誇張された発声をしているのに似ているかも知れない。私たちも、その意味を理解するためには、集中して耳を傾けなければならないのである。[…]

 『ライフ・アンド・タイムズ』においては、俳優が直面しなければならない制約やハードルは多種多様である。[…]振付は台本の中身とは必然的な関係がなく、厳密な左右対称が要求され(必ずしもそれが成し遂げられるとは限らないが)、とりわけ俳優たちがダンサーでも歌手でもないこと(歌手であるジュリー・ラメンドラを除けば)を考え合わせれば、そのために高度の集中と相互調整が必要であることが分かるだろう。これに加えて、出演者の背景の多様性もある。ニューヨークのインディペンデントシアター出身の俳優たちが、ブルクテアターの俳優たちと一緒にパフォーマンスを行っているのである。これによって、中央ヨーロッパとアングロサクソンの演技の伝統のあいだの違い、音楽への対処の仕方の違いといった、言語問題に似た問題も起こりうる。
 俳優が保身のために一定のパターンに陥ったり、戦略を立てたりするたびに、そういった努力は裏をかかれることになる。保身は退屈であり、常にバーはより高く設定されなければならないのである。こうして、たとえば、つねに新たな振付が導入されることとなる。高すぎるハードルは(演劇においては往々にしてそう考えられているように)不完全さの表れでも欠点でもなく、ここではむしろ意図的に導入されている。「何百人もの人たちが君たちを見るために座っているんだ。君たちが楽をする必要がどこにある?」というわけである。
 ネイチャー・シアターの公演は観客にとってパズルのようである。どこに焦点を合わせるかによって、表面にばかり気を取られることもあれば、その裏にある物語に集中することもある。形式と内容はつねに紛争状態にある。台詞も、演技も、メロディーも、空間構成も、衣装も、特定の意味を表象するものではなく、演出家が1つの明瞭な解釈に興味を向けるためのものでは全くない。これらは贈り物であり、これらが結びついて文脈を決める要素となっていくが、そこから自分自身にとっての意味を導き出すことは、私たちの手にゆだねられている。そう、私たちにとっても、あまりにも容易であれば、自分が到達できるであろうところまで行くことができないのである。


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