SPAC文芸部 横山義志
メルラン・ニヤカムさんが静岡の子どもたちとつくった『タカセの夢』は、「アフロジャパニーズ・コンテンポラリーダンス」ということになっている。だけど、アフロジャパニーズ・コンテンポラリーダンスってなんだろう? これは、「コンテンポラリーダンス」ってなんだ?、という問いでもある。
コンテンポラリーダンスというと、ふつうはヨーロッパのバレエやモダンダンスをベースにしたダンスを思い浮かべる。だけど、コンテンポラリーダンスという言葉自体は「今のダンス」という意味で、ここには別に「ヨーロッパの」という限定は全く含まれていない。実際にこの「コンテンポラリーダンス」というものが生まれたのがヨーロッパだったとしても、今のヨーロッパにはすごくいろんな人がいる。もし「コンテンポラリーダンス」というのが「今の身体(からだ)によるダンス」という意味だとすれば、当然それは、必ずしもヨーロッパのダンスの伝統を前提にしたものではなくなっていくだろう。
私がフランスにいた時には、アフロ・コンテンポラリーダンスというのが盛り上がってきた時期があった。アフリカ出身の振付家による、アフリカのダンスをベースにしたコンテンポラリーダンスだ。そんななか、「小さなアフリカ」といわれるくらい多様なダンス文化をもつカメルーンで国立舞踊団のエトワール(首席ダンサー)を務めたこともあるニヤカムさんが、『遊べ! はじめ人間(Récréation primitive)』を発表して注目を浴びた。最近はヨーロッパではなくアフリカをベースに活動する振付家も増えて、このジャンルもより深化していっているらしい。だとしたら日本にだって、日本人の身体(からだ)、日本の踊りによるコンテンポラリーダンスがあってもいいはずだ。この意味では、舞踏も「ジャパニーズ・コンテンポラリーダンス」の一つだといえるだろう。
ニヤカムさんが『タカセの夢』をつくるときに見つけたのは、ハナイチモンメやカゴメカゴメといった子どもの遊びだった。いわゆる日本舞踊を見たことすらない人でも、盆踊りに参加したことがない人だって、きっと一度くらいはこういう遊びをやったことがあるだろう。
ニヤカムさんの稽古場にお邪魔してみると、稽古が始まる前、中学生や高校生が芝生の上で、裸足になって手をつないで、本気でハナイチモンメをやっているのを見て、ちょっと驚いた。最近そんな風景を見たことがある人は少ないだろう。だけど、たしかにこれを見てみれば、日本人だってふつうに歌ったり踊ったりしながら遊んでいたんだ、っていうことに気づかされる。今の日本人だって、ハナイチモンメの歌を聴けば、オニゴッコで本気で「オニ」から逃げ回った高揚感を思い出す人も少なくないだろう。
「精霊信仰と結びついたアフリカの伝統的ダンス」などというと、あんまり縁のない世界のように思うかも知れないが、「オニーがいるから行かれない!」なんて歌いながら足を振り上げている日本人だって、そんなに遠いところにいるわけではないのだ。ニヤカムさんはカゴメカゴメを見て、カメルーンに伝わる昔話を思い出したという。この作品は、そんなところからできている。
今の身体(からだ)の底の方には、すごく古い身体も眠っていたりする。その古い身体のさらに底の方では、すごく遠いところの身体とつながっていたりする。そんな夢のような身体が詰まっているのが、アフロジャパニーズ・コンテンポラリーダンス『タカセの夢』なのだ。