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2025年6月2日

ジャネルのインターン日誌:SPACとの演劇体験 vol.5

フランスで演劇を学ぶ大学院生・ジャネルが約3か月静岡に滞在し、
インターンとしてSPACで体験したこと、感じたこと…。
SPAC新作『ラーマーヤナ』の立ち上げから本番まで、SPACの集団創作の様子を連載でお届けします!
フランス語・英語・日本語の3か国語でお読みいただけます。
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 野外で演じるのは、私にとって初めての経験でした。確かに、これまでも劇場ではない場所で演じたことはありましたが、星空の下で本格的に芝居をするのは今回が初めてでした。そして、やはり屋内で演じるのとはまったく違う体験でした!
 
 まず、檻のように舞台を囲む壁がないことによって、新たな自由が生まれ、舞台の境界を越えて空間を探求することができました。『ラーマーヤナ』は観客に360度の体験を提供する作品でした。俳優たちは観客の後ろや中を自由に移動でき、それによってシーンがより生き生きとし、没入感が高まりました。猿たちのデコトラも観客の背後から突然登場し、驚きの演出を加えました。この自由な感覚は、ランカーの戦いの場面で頂点に達しました。戦闘が舞台の背後約50メートルにある木々まで広がったのです。

 また、舞台裏は俳優たちを完全に隠すことができなかったため、常に「かくれんぼ」のような状態でした。つまり、舞台の外にいても常に役になりきっていなければならなかったのです。観客が舞台裏に目を向けた場合、そこで密かに展開されるシーンを目撃できることもありました。たとえば、ラーマが梵天に祈りを捧げて踊るとき、猿たちは舞台裏で彼の儀式を静かに見守っているのです。このような透明性は、より強いリアリズムを生み出し、他の観客が気づかない「隠された瞬間」に立ち会えたという満足感を与えてくれました。野外での上演は、雨や風、砂ぼこりなど、予期せぬ事態を伴います。それは俳優にも道具にも影響を及ぼします。しかし、私はむしろこうした「ハプニング」こそが、演劇という芸術の唯一無二で儚い本質を際立たせるものだと感じています。舞台芸術の豊かさは、ごく限られた人々との特別な瞬間の共有にあります。予測できない出来事こそが、そのひとときをより真実味のある、貴重なものにしてくれるのです。

 先ほども述べたように、野外で演じることで自然が舞台の一部、つまり共演者となるのです。フェスティバルの期間中、私はさまざまな天候の中で演じるという貴重な体験をすることができました。特に心配していたのは、雨の中で演じることでした。役に集中できなかったらどうしよう、水で目が開けられなかったらどうしよう、もっと悪ければ風邪をひいたり、滑ってケガをしたりするのではないかと、不安でいっぱいでした。

 しかし、いざ舞台に立って演じ始めると、自分の身体に思いがけない変化が起きていることに気づきました。全身がびしょ濡れになり、冷たい水が肌に薄いヴェールのように張りついていましたが、体の内側では血が沸騰しているような感覚がありました。最初は奇妙に思えたその感覚も、徐々に心地よいものへと変わっていきました。まるで自分の身体が理想的な温度の温泉に変わったかのようでした。役に入り込めないのではないかと心配していた私にとって、雨は意外にも助けになり、現実の猿たちが生きる自然の状況と私を結びつけてくれたのです。肉体的な感覚を超えて、私は雨が作品の叙事詩的な迫力をさらに高めてくれたとも感じました。気がつけば、こんな言葉が心に浮かんでいました——「雨が降ろうと、風が吹こうと、雹が降ろうと、私たちはシーター姫を救うために戦う! 何ものも私たちを止められない!」

 野外で演じていると、『ラーマーヤナ』の物語を聞いているのは観客だけではない、という感覚も湧いてきました。木々や動物たち、草、星、さらには月までもが、この瞬間を私たちとともにしているように感じたのです。戦いの終盤、インドラジットに押されて猿たちが劣勢になる場面で、私は一本の木にもたれかかりました。その体勢は安定しづらく、根が地面のバランスを崩し、雨の後であればさらに滑りやすくなります。しかし力尽きそうなとき、その木が私にエネルギーを送ってくれるように感じたのです。まるで無言の味方のように。

 『古事記-ヤマタノオロチ』のレポートの中で、私はSPACの俳優たちが死者や目に見えない力の存在を感じ取る能力について書きました。ヤマタノオロチのときにはそれを実感することはできませんでしたが、『ラーマーヤナ』の公演中に、ついにそれを体験する瞬間が訪れたのです。ある日、プラタナスの種(アケーン)が空から大量に舞い降り、風がそれらをまるでジャグリングするかのように遊んでいました。私は楽器のある舞台の下手側で、最初のシーンを見守っていました。まるでシーターが花を摘んでいるのを、木の上から見守る猿のように。アケーンは舞台に降り注ぎ、スポットライトに反射して金の雨のように輝き始めました。シーターが花を摘むために手を伸ばすと、その金のきらめきは彼女の周囲で舞いながら開き、まるで神の手が彼女を優しく包み込んだかのようでした。それは本当に美しい光景でした。アケーンによって俳優の動きが難しくなる場面もありましたが、こんな現象を目にしたのは初めてでした。その瞬間、私は「見えざる力がこの『ラーマーヤナ』の物語を私たちと一緒に語りたいのだ」と感じました。もしかしたら、ラーマ自身が戻ってきて、自らの物語を私たちの芝居を通して再び体験していたのかもしれません。芝居の最中、アケーンの雨は私たちに寄り添い続け、風がシーンごとにその形を変えていました。ハヌマーンがシーターのもとへ辿り着く場面では、それらはまるで庭に舞う花びらのように月の光を反射していました。ランカーでの戦いの場面では、それは金の雨から、灰と火花の雨へと姿を変えました。そしてシーターが姿を消すラストシーンでは、その黄金の花びらの雨が裂け目の中へと静かに流れ込み、まるで彼女の大地への帰還を見送るかのようでした。
 
 さまざまな年齢の俳優たちと一緒に同じ舞台に立つことは、とても貴重で豊かな経験でした。宮城さんはこの作品について、「劇団の創設当初と同じ創作プロセスを再現する、いわば原点回帰の試みだった」と説明してくれました。それぞれが自分なりの貢献をしながら、一つの真の共同作品を築き上げていったのです。『ラーマーヤナ』は、まるで一枚の大きな布に皆が一針ずつ模様を刺繍していったような作品でした。劇団で最も経験豊かな俳優たちは、自分たちの技術、方法、そしてエネルギーを、私や西出一葉さんのような若手に惜しみなく伝えてくれました。この「原点回帰」は、1995年(今から30年前)に上演された『エレクトラ』という作品の音楽を再利用した点にも表れていました。その音楽に合わせて、私たちは全員でジャンベを演奏し、心を一つにして打ち鳴らしました。それはとても感動的な瞬間であり、SPACの精神を象徴する美しいメタファーでもありました。すなわち、多様な俳優たちによって一つの声を奏でる、伝承と共同作業、そして多様性の豊かさを大切にする演劇です。
 

 
 若い俳優たちに猿の役が割り当てられていたのも、どこかユーモラスで興味深いことでした。というのも、能楽では、若い役者が最初に演じるのは「猿の役」だと読んだことがあるのです。この類似点をとても面白く感じました。それもまた、「原点への回帰」、もっと広く言えば、演劇そのものの起源に立ち返るような感覚を呼び起こさせました。
 
 この文章を書いている今、私はフランスへ帰る飛行機の中にいます(そして正直なところ、この揺れの中で書くのはなかなか大変です)。この特別な経験をさせてくれたSPACの皆さまに、心から感謝申し上げます。SPACの俳優の皆さんは、本当に素晴らしいアーティストばかりでした。特に身体の使い方において、多くのことを学ばせていただきました。この作品は、私にとって多くの「初めて」をもたらしてくれた特別なものです。そして、何よりも人間としての美しい冒険でした。

 言葉や文化の違い、日本語でうまく表現できないことがあっても、温かく迎え入れてくださったことに、深く感謝しています。創作期間中も本番のすべての回も、本当に楽しくて、毎回が純粋な喜びの瞬間でした。
 温かい歓迎、寛大な心、そして優しさを、本当にありがとうございました。私たちが共に過ごした時間を、私は決して忘れません!
 
 またすぐにお会いしましょう!

Janelle RIABI


 

 
これまでのブログはこちら
ジャネルのインターン日誌:SPACとの演劇体験 vol.1
ジャネルのインターン日誌:SPACとの演劇体験 vol.2
ジャネルのインターン日誌:SPACとの演劇体験 vol.3
ジャネルのインターン日誌:SPACとの演劇体験 vol.4
 
『ラーマーヤナ物語』
https://festival-shizuoka.jp/program/ramayana/
公演日時:4月29日(火・祝)、5月2日(金)、5月3日(土・祝)、5月4日(日・祝)、5月5日(月・祝)、5月6日(火・休)各日18:45開演
上演時間:90分(予定)
上演言語/字幕:日本語/英語字幕あり
座席:全席指定(予定)
原作:ヴァールミーキ仙
構成・演出:宮城聰