<病ブログ>ワン、ツーときて、今日はスリーです。
今回は、先日のファン大感謝祭にて行なわれた
≪芸術総監督宮城聰による「秋のシーズン2012」ラインナップ紹介」≫から、
『病は気から』の部分をご紹介します。
モリエールの『病は気から』には、そんな裏話があったとは。
嘘のようなホントの話です。
宮城から見たノゾエさん潤色の魅力もあわせてどうぞ。
モリエールはフランスのシェイクスピア
『病は気から』は、モリエールという17世紀の劇作家の作品です。彼はシェイクスピアより50年くらい後に活躍した人です。シェイクスピアがイギリスを代表する劇作家であるのに対してモリエールはフランスを代表する劇作家ですが、この2人はとても似ています。モリエールは劇団の座長で俳優、しかも劇作家。だから自分の劇団のために書いているんです。つまり、こういう若い俳優がいるとか、今この役者に人気が出てきたとか、そういう自分の劇団の状況に合わせて戯曲を書いています。しかも自分の役も書いている。これはシェイクスピアと、とても似ています。
モリエールは、今でもフランス演劇人のあいだでは、理想や憧れの存在としてみられています。フランスの俳優は誰もが異口同音に「いずれはモリエールのように自分の戯曲を書いて演出して、出演もしたい」と言います。そんな俳優にとっての憧れを、17世紀に実現していた人です。
医者嫌いのモリエールが、医者好きの男を演じる
『病は気から』の話に移りますが、モリエールという人自身は、医者が大嫌いだったんです。「医者嫌い」というと、医療そのものを否定しているとお考えになるかもしれませんが、彼の場合はちょっとちがうんです。彼は、免疫力や自分の体の中の自然治癒力みたいなものを信じていたようなんです。彼にしてみれば、医学というものは対処療法であって、病気そのものを治すんじゃなくて、症状を治すだけなんだということです。これは、割と今日の知見と似ていて、彼のような考え方は、今でこそそんなに珍しくないですよね。
けれども、17世紀の医者というのは、めちゃくちゃ偉いんです。医者は、あらゆる学問に最も通じている人間とされていたんですね。ですから、本来はギリシャ語やラテン語ができて、当時一番偉いとされていた牧師さんとかと、同列に並び称される職業なんです。誰からも尊敬されて、何を聞いても答えることができる、そういう立場だったのが当時のお医者さんです。モリエールはそういうお医者さんにはかかりたくないと思っているんです。
『病は気から』は、彼の最後の戯曲です。というのは、モリエールはこの作品の主役のアルガンという男を演じているんですが、4回目の公演後にモリエール自身が死んでしまうんです。作品の中で、モリエールはアルガンの弟にこんなことを言わせています。「自分は医者にかかりたくないので、たとえ病気になっても治してもらわなくて結構だ」と。「自分の体は、自分の病気と釣り合うくらいにしか体力がない。そこに薬までもらうと、その薬に耐える体力はないから、薬は飲めないんだ」と。面白いことを言っています。しかしまあ、モリエールは、自分の病気がどれくらい深刻かということを、分かっていなかったのかもしれませんが。
この芝居は、劇団のパトロンだった、当時のフランスの王様に捧げられていました。ところが、王様に観てもらう前に、自分が死んでしまった。モリエールにとっては、とても心残りだったと思います。
けれども劇の中のアルガンという登場人物は、それとは正反対で、全く病気ではないのに、お医者さんにかかりたくてしょうがない人として描かれています。何も病気がないのに常に薬を飲んでいないと心配なんです。これはすごく現代的です。もらった薬をこれを何錠、これを何錠と飲む。当時は飲み薬ばかりでなくて、浣腸っていうのも非常にもてはやされていたらしく、1日に12回浣腸をしたとか書いてあるんですね。「今日はまだ10回しかしていない。あと2回くらいしないと心配だ」とか。それくらい薬に頼っている主人公を、実は医者嫌いなモリエールが演じていたというのは、皮肉といえば皮肉ですし、人間というものは実に今も変わらないなあと思ったりします。
ノゾエ征爾さん潤色・演出の魅力
『病は気から』は、ノゾエ征爾さんが潤色・演出をします。今回の潤色では、台詞を少し今風に書き換えていますが、時代や場所の設定は変えていません。原作にある、あからさまなツッコミみたいなものを削って、もう少し「くすくす笑い」みたいなものを増やしています。どかっと笑うような笑いは消して、含み笑いをしたくなるような、そういう台詞を増やした潤色です。潤色台本だけを読んでいただいても、本当にノゾエさんの筆が冴えていることがわかると思います。今年、岸田國士戯曲賞をとったばかりの、まさに脂の乗ったノゾエさんの潤色・演出にご期待ください。