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2013年3月7日

『マハーバーラタ』 フランスツアー日記(22)最終回

2013年2月22日(金) カーン~静岡
SPAC文芸部 横山義志

午前11時半にカーンのホテルを出発。劇場で楽器など機内持ち込み荷物を回収してバスに連結されたトレーラーに積み込む。

今回舞台で働いてくれたクラウディオさんが手伝ってくれる。帰りがけ、「みんなに伝えてくれないか」と引き留められる。「こんなにハートがある人たちと一緒に働けて本当にうれしかった。この世界にもまだ人間的なものがあるんだ、と思って、みんなのおかげで、この仕事をつづける勇気をもらった。感謝の気持ちを伝えてほしいんだ」と、手をぎゅっと握りしめてくれる。

12時半ごろ、劇場に別れを告げ、パリの空港に向けて出発。

ノルマンディーとパリを結ぶ街道では、冬のこの季節、葉を落とした木々のなかに、鳥の巣のようなヤドリギをよく見かける。枯れ木のような枝の中に、思い出したかのように青々とした葉が茂っているのを見ると、なんだかちょっとうれしくなる。

ヨーロッパでは、外に出るのが億劫になるこの季節が演劇のハイシーズン。外は寒くてさびしい景色になっても、暖かい劇場で、せめて華やかな気分を味わおう、ということなんだろう。演劇というのは、ちょっとヤドリギのようなものなのかも知れない。ヤドリギというのは木の幹に寄生して育つ植物である。ただ、たいてい養分は光合成によって自前で作っているので、「半寄生植物」と呼ばれる。その季節外れの青々しさのためにクリスマスの飾りに使われたりもするが、暖と食料を求めてやってくる鳥たちの憩いの場にもなる。鳥についばまれた果実は別の木へと運ばれていき、ふたたび根を生やしていく。

寄生というのは共に生きることでもある。寄生者は宿主を大事にするほど長生きすることができる。進化の歴史は寄生の歴史でもある。人間の体だって、ミトコンドリアから乳酸菌まで、大きさも性格も似ても似つかない、さまざまな共生者によって成り立っている。「自分」は一人だと思いこんでいても、本当はいろんな共生者によって生かされている村のような存在なのかも知れない。この意味では、「個人」と集団というのは、それほど違うものではないのかも知れない。

ルヴァロワのローカルTV局のインタビューで、宮城さんは「私にとっては、このチームこそが作品なんです」という話をしていた。今回の『マハーバーラタ』は俳優・スタッフ合わせて総勢38名。誰一人欠けても成り立たない作品だった。病気をしたメンバーもいたが、とにかく最後まで予定通り上演できてよかった。

各劇場のスタッフもそうだが、何よりも演劇の上演に欠かせないのはお客さんである。とりわけ『マハーバーラタ』は、子どものおもちゃのような「見立て」の小道具がふんだんに使われていて、お客さんの想像力があってはじめて古代インドの叙事詩的世界が立ち上がるようになっている。そういえばクロード・レジさんも、「観客の想像力に勝る舞台装置はない」とおっしゃっていた。

今回のツアーでは本当にお客さんに恵まれた。ほとんどの公演で満席だったが、どの劇場でも、ふだんはなかなか満席にはならないものらしい。まずは呼んでくれた劇場の方々が作品を好きになってくれて、同僚や家族や友達にたくさん宣伝してくださった様子。太鼓の音に結ばれたつかの間の縁ではあるが、ここで出会ったいろいろな人たちと、なんだかまた会えるような気がしてならない。

ノルマンディーの空は青かったが、パリに入るとあっというまに灰色の空。16時前、空港に到着。荷物を下ろし、機材と一緒にチェックイン。今回のツアーをオーガナイズしてくださったザマン・プロダクションの方々ともお別れ。ツアーマネージャーのレイラさん、演奏隊として参加しながらお弁当の手配もしてくれていた仲村さん、衣裳と通訳で大活躍してくれたパリ在住の六本木さん。数え切れない出会いを頭に巡らせながら、静岡への帰途につく。

(終)