「ドラマトゥルク取材日記」では、
『グスコーブドリの伝記』でドラマトゥルクを担当するライターの西川泰功が、
宮沢賢治にまつわるネタを紹介していきます。
第1回は、小説家の花巻かおりさんに取材しました!
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宮沢賢治と言えば、誰もが知っている童話作家、詩人……と思いきや、意外と「読んだことはない」「よく知らない」「どういう人なの?」という声も多い。そこで、静岡の宮沢賢治ファンをたずね、その魅力をきく取材を始めた。賢治ファンたちは、熱く語ることでよく知られている。
焼津市出身の小説家・花巻かおりさんは、ペンネームからして賢治がらみ。「花巻」は、賢治の出身地、岩手県花巻市からとった。賢治との出会いは、小学校の図書室で見つけた『銀河鉄道の夜』の絵本。祭りの夜、主人公ジョバンニが銀河鉄道の旅へ出る幻想的な小説だ。川に溺れてしまう親友カンパネルラとの別れを描いている。
花巻さんは、『銀河鉄道の夜』に「男の友情」を発見した。「小学生くらいの女子は、表面的な事柄でつながっているから、ちょっとしたきっかけで仲間割れしてしまう。その点、男同士の熱い友情に憧れていました。その気持ちは、今も変わらず持っています」。
作家の人生を調べるにつれ、「男の友情」の背景に思い至るようになる。「賢治にとって重要だったのは、妹トシが死んでしまったこと。『銀河鉄道の夜』の友情は、兄妹の関係を表現しているとわかってきました」。
1922年、賢治は、最愛の妹トシを病気で亡くしている。24歳だった。その衝撃と向き合った結果、『永訣の朝』『無声慟哭』といった類い稀な詩が生み出された。旅立つ者と残される者の関係が、『銀河鉄道の夜』の世界観に投影されている。
花巻さんは、トシの死が、賢治にとって転換期になったと考えている。幼い頃から仏教に馴染んでいた「賢治は、人々を救済するという宗教的な考えを持っていましたが、妹を亡くして初めて、それが具体的な感情になったのだと思う。それはまた賢治自身にとっての救いでした」。賢治は、妹の死について思い悩んだ末、妹のことだけでなく、もっとたくさんの人のために祈ろう、と思うようになったのだ。
たった1人について思い悩んでいる内は苦しいものだ。その苦しみを、全ての人のために祈ろう、という発想に変えられれば、前向きな気持ちになるのかもしれない。
『グスコーブドリの伝記』にも兄妹の影がある。主人公グスコーブドリと妹ネリは、貧しい生活の後、生き別れになる。やがて再会するが…。妹の死を通して、万人のための救済を願うようになった賢治。その直接的な表現が、『グスコーブドリの伝記』に結晶している。
花巻さんは、『グスコーブドリの伝記』を、自然への期待と裏切りの物語と見ている。グスコーブドリが人生の舞台を変えるきっかけは、冷害、飢饉、噴火、日照り…つねに自然災害だ。
賢治は農科学者でもあったが、花巻さんも農業の仕事をしていた時期がある。「自然は思い通りにならない。いくら手間をかけて育てても、天候が悪かったり、野菜が病気になったり、動物に食べられてしまったり、“絶望”がたくさんある。賢治は自然を愛しているのに、自然の手強さを怖いくらいに描いている」。
一方で、「淡々と物語が進むので、感情移入しにくい。人の一生を描く伝記なのに、さらっと描いているのはなぜ?」と疑問もある。SPACの上演で脚本を手がけるのは、小説家の山崎ナオコーラさん。同世代の小説家として、「現代の作家が、どういう風に劇化するのか楽しみ」とエールを送った。
取材を終える頃、花巻さんが言った。「今日は、賢治の妹トシの命日なんですよ」。思わず、手元にあった賢治の生涯年表を確認すると、今から92年前のその日、確かにトシが亡くなっていた…。
2014年11月27日 静岡市葵区のスノドカフェ七間町にて
文・西川泰功
ライター。SPAC『グスコーブドリの伝記』でドラマトゥルクを担当し、原作の脚本化のサポートをはじめ、俳優や技術スタッフとディスカッションをしたり、広報用の記事を書いたりしている。SPACでは2009年より中高生鑑賞事業用のパンフレット編集に携わる。その他の仕事に、静岡の芸術活動を扱う批評誌「DARA DA MONDE(だらだもんで)」編集代表(オルタナティブスペース・スノドカフェ発行)など。
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SPAC新作
『グスコーブドリの伝記』
2015年1月13日~2月1日
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