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2015年2月24日

『ハムレット』 観劇レポート(清野至)

 2月20日金曜日、『ハムレット』を観た。上演時間は約100分。短い。昨今の映画が、軒並み2時間半とか3時間とか、果ては二部作三部作と化していることを思うと、シェイクスピアの古典劇が2時間弱で観られるというのは何だかお得な気分。
 今回、フライヤーを見て観劇を楽しみにしていた。主演俳優を前面に出したヴィジュアルはもちろんだが、僕は煽り文句に魅力を感じた。

――悩め!悩め!悩め!!
 「生きるべきか、死ぬべきか」。有名なセリフの通り、ハムレットといえば優柔不断な青年の身に起こる悲劇というイメージが強かった。そうか、悩んじゃうのかハムレット。なんて思いながら楽しみにしていたが、観劇後思ったことは、「それほど悩んでない」。元の戯曲はシェイクスピア劇の中で最も長く、登場人物も多い。それらを切り詰めたため(亡霊役がいないなんて!!)、そう感じたのかもしれない。SPACのハムレットは力強かった。時に荒々しく、時にユーモラスで、時に聡明。とても魅力的な人物だった。優柔不断な人間よりも単純に見ていて楽しい。しかし、ハムレットがそれほど悩まないとなると困ったことがあることに気づいた。
 『ハムレット』はなぜ悲劇的結末になったのか?僕は今まで、ハムレットが優柔不断だからだと思っていた。その方が解りやすくて助かる。ところがそうではない。となるとハムレットの悲劇的結末の原因はなんだったのか。例えば、『リア王』では年老いたリア王が聡明な末娘を勘当してしまう場面から悲劇は始まる。『マクベス』では、マクベスは魔女と夫人の甘言に唆され君主を暗殺してしまう。もちろんこれらだけが原因ではないだろう。しかし、極めてわかりやすい悲劇の引き金であると思う。一方、ハムレットは何をしたのだろう。ある意味では何もしていない。この悲劇には、盛者必衰坂を転がり落ちるようなマクベスの悲劇も、荒野を彷徨うリア王の巨大な絶望もない。ハムレットにあるのは復讐を果たすまでの逡巡と狂気だ。思えば『ハムレット』は物語の始まった時点で悲劇的状況だ。先王は亡くなってしまい、ハムレットは悲しみの底にいる。

 ――『ハムレット』は、解答ではなく、疑問を表現する芝居
 宮城さんの言葉を聞いて、少し腑に落ちる。悩め!というのは、観客に言われていたのかもしれない。『ハムレット』には劇中劇をはじめとして、芝居自体について言及したセリフも多い。最後、ハムレットが死ぬ場面を観ている時に、強くそう感じた。
 力強く魅力的なハムレットの身におこる悲劇は、悲しかった。彼が魅力的であればあるほど、孤独と悲しさが際立ち、悲しかった。そしてなぜ悲劇的結末になってしまうのか、僕は悩まずにはいられなかった。端的に言えば、ハムレットはそんなに悪くない。彼にこんな目に合うほどの落ち度があるとはどうしても思えなかったのだ。
 幕切れは唐突だった。今までのハムレットの苦悩を塗りつぶすように、大量の“敵国”が流れ込んできて驚いた。舞台上に溢れかえる大量のそれを見ながら、ハムレットのことを考えていた。ハムレットは復讐を果たすが、これは彼の望んでいた結末だったのだろうか。いや、この結末は多分違うのだが、ではどのような結末だったら良かったのだろうか。なぜこうなってしまったのか。

 悩み事にはなかなか答えが出ない。ないのかもしれない。しかし、だからこそ楽しい。世界中で愛される芝居の奥深さに、少し触れられた気がした。
 最後に、「生きるべきか、死ぬべきか」というセリフは劇中では「このままでいいのか、いけないのか」と訳されている。僕の手元にある文庫と訳が違うため、本屋に走った。日本でも愛されている戯曲だからこそ、翻訳もいろいろある。小田島雄志さんの翻訳で、これから戯曲を読み直すのが楽しみだ。
 わずか100分の芝居だったが、思いのほか時間を取られそうだ。

2015.2.21 

IMAG0013_2清野至(きよの・いたる)
1988.2.9生
静岡大学演劇部OB
2013年より、劇団静火に所属し第六回公演「三人姉妹」より同劇団で役者として活動中。



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SPACレパートリー
『ハムレット』
2015年2月16日~3月12日
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