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2018年6月2日

舞台は全世界 渡邊守章演出『繻子の靴』をめぐって(四方田犬彦)

★作品の内容に言及する箇所がございますので、事前情報なしに観劇を希望される方はご観劇後にお読みになることをお勧めいたします。

 東北フランスの小さな村に地方官吏の息子として生まれた少年が、パリで中学に進み、文学と演劇に目覚める。彼は東洋語学校に進学し、優秀な成績で外交官試験に合格する。ランボーの詩に強い衝撃を受け、世界は一冊の書物に収斂すると説くマラルメの「火曜会」に出席する。だが彼を魅惑してやまないのは日本美術だ。自分が生れた年に「維新」を決行し、西洋近代化を取り入れたこの国の文化に、彼は心惹かれてやまない。ポール・クローデル(1868~1955)のことである。
 渡邊守章が昨年(2016年)12月に京都造形芸術大学春秋座でクローデルの『繻子の靴』の演出に成功したことは、昨年の演劇界のみならず、日本文化全体にとって快挙であった。渡邊氏は、というより日本は、自分を愛してやまなかったクローデルの熱情と知性に、ついに応えたのである。戯曲のなかの言葉を用いるならば、およそ「地上においてはかなわぬ」とまでいわれたこの未曾有の大作が、とうとう完璧な形で日本の舞台にかけられた。以下に渡邊演出の意義について、マラルメの顰みに倣って鉛筆書きで簡潔に記しておきたい。とはいえ、これを書いているのは観劇の翌日であり、わたしはいまだに強い興奮に包まれている。

 クローデルが最初に日本を訪れたのは、齢30のときである。上海の領事館に駐在中の休暇旅行であった。本格的な日本探究が開始されるのは53歳。彼は1921年にフランス大使として東京に赴任し、(途中の一時帰国を含め)足掛け7年にわたって日本に滞在する。人生の半ば過ぎて、夢がかなった。思うがままに日本の伝統文化を渉猟する時が到来したのである。
 クローデルは狩野派の金碧障壁画と水墨山水画に感動し、『忠臣蔵』から『清玄・桜姫』まで、歌舞伎における死の表象=再現に異常な興奮を覚える。だが決定的な体験は、能楽においてなされた。『道成寺』『翁』『羽衣』、そして『景清』。彼は観能の印象を細々と記録し、「能、それは何者かの到来である」という卓抜な警句を記す。みずからを「黒鳥(くろどり)」と呼び、『朝日の中の黒い鳥』という、美しい日本文化論を執筆する。
 日本に滞在する以前から、彼は全世界を舞台とした演劇という夢にとり憑かれている。アイスキュロスの『オレステイア』3部作に道化芝居を加えた4部作、ワグナーの『ニーベルンゲンの指輪』に拮抗すべき4幕の戯曲を執筆できないものか。それは聖母と聖ヤコブの守護のもと、不運の恋人たちがはるか天上界を仰ぎ見ながら、東洋と西洋を股にかけて移動するという、壮大な規模の悲恋物語となるはずだ。名付けて『繻子の靴』。4幕の構成は往古のスペイン芝居に倣って、「4日間」の物語と呼ばれることだろう。
 気が急いてたまらない。第1日目は、早くも日本到着前に着手する。第2日目は大使としての執務の合間を縫って完成する。第3日目にさしかかったとき、運悪く関東大震災が勃発し、原稿が焼失。彼はただちに書き直す。完結編にあたる第4日目が完成したのは、1924年のことであった。
 まともに上演すれば9時間か10時間はかかるという、巨大な規模の芝居である。おいそれとは上演できない。コメディ゠フランセーズのジャン゠ルイ・バローが高齢の作者の協力を得、短縮版をなんとか舞台に挙げたのが1943年。もっとも悲恋物語に焦点を当てたため、4日目はあっさりと割愛され、3日構成とされた。その後も3日ヴァージョンが慣習となった。バロー本人がそれを4日構成にしたのが1973年。1987年にはアントワーヌ・ヴィテーズがアヴィニョン演劇祭で、9時間40分をかけ、完全上演を果たした。文字通り、夜を徹しての舞台である。
 ちなみにわたしは学生時代、1977年にルノー/バロー劇団が来日したとき、国立劇場で第4日目だけの上演を観ている。このときは「バレアル(ママ)諸島の風の下で」という題名が与えられていた。何もない舞台に光と影が乱舞し、そのなかで二人の少女がゆらゆらと軀をくねらせている。彼女たちはいつまでも対話を続けている。果敢にも夜の海に身を投げ、はるか遠くに停泊中の船に泳ぎ渡ろうとしているのだ。もっとも一人の少女は力尽き、いつしか闇のなかに姿を消してしまう。わたしは『繻子の靴』という物語をまったく知らず、人物たちの来歴についても不案内なままに、このパントマイムを目の当たりにし、その美しさには目を見開かされた。恐ろしく簡素な舞台にもかかわらず、そこに顕現しているものの崇高さに撃たれたのである。
 そこでただちに中村真一郎による戯曲の日本語訳を入手し、ヒロインにはイングリッド・バーグマンはどうだろうかなどと、たわいもない空想に耽ったものだった。バーグマンと考えたのにはまったく根拠がないわけではない。クローデルが『繻子の靴』の後に執筆した『火刑台上のジャンヌ・ダルク』がロッセリーニの手で映画化されたとき、主役を演じたのが彼女であったからである。
 それからさらに8年が経ち、1985年にはポルトガルのマノエル・デ・オリヴェイラが全篇を、ほとんど科白を省略せず、フィルムに纏めあげた。愚直なまでに誠実な映画化である。わたしはこの映画版『繻子の靴』を、1987年にニューヨークの現代美術館で観る機会があった。2日がかりで7時間に迫るフィルムを観終えたとき、わたしはようやくこの偉大な戯曲の全体を、曲りなりにも把握できた気になった。空恐ろしい芝居だった。それからさらに歳月が流れ、わたしは東京の日仏会館でオリヴェイラと言葉を交わすことができた。わたしが『繻子の靴』と一言、口にしたところ、彼は(その当時はとうに90歳は越えていたはずだが)、「お若いの、一言だけいってあげよう。神は存在している」とだけ答えた。

 前置きが長くなってしまった。肝心の戯曲について語らなければならない。
 『繻子の靴』では冒頭に、「この劇の舞台は世界」とロ上が述べられる。
 世界! いまだかつて演劇において、かくも大胆な言葉が、かくも率直に発せられたことがあっただろうか。作者は最初から『創世記』を向こうに回し、『人生は夢』のカルデロンに対抗するつもりなのか。ともあれ「4日間」の舞台の進み方を簡単に記しておきたい。
 舞台は16世紀の末、いわゆる「大航海時代」である。主なる登場人物は4人。新大陸の制覇に使命感を抱くドン・ロドリッグ。美しい人妻のドニャ・プルエーズ。その夫で、厳格な大審問官のドン・ペラージュ。彼はスペイン国のアフリカ北西部の総司令官でもある。最後に敵役として、ムーア人との混血と思しきドン・カミーユ。
 ロドリッグは、嵐で漂着した先のアフリカ西海岸でプルエーズに出会い、運命的な恋に陥る。だが人妻を相手にした恋は、地上では実らない。ロドリッグはそれでも彼女を追い駆け、そこにカミーユが絡む。三角関係ならぬ四角関係である。戯曲の根底にあるのは、悲恋の恋人たちが織りなす、すれ違いのメロドラマだ。にもかかわらず、驚くべきことに、この長大な芝居において舞台上で二人が対面するのは、わずか一度、3日目の最後の約10分間だけなのである。
 『繻子の靴』にはいたるところにバロック的な装飾的枝葉が控えている。剣(新大陸征服と対イスラム戦争)と音楽(芸術と愛)という、互いに対立しあう旋律が見え隠れし、最後に奇跡的な統合を見せる。主物語から分岐したいくつもの物語が逸脱と脱線を重ね、ときに主物語に絡みついて、複雑な文様を見せる。音楽姫とナポリの副王が、嘘のようにスラスラと進む恋物語を演じ、主筋の恋人たちの悲愴さを逆に浮かび上がらせる。主人公の召使たちによる卑小な茶番劇がそれに続く。最後にプルエーズの忘れ形見、七剣姫(セテペ)が、父ロドリッグのもとを去り、大海を泳ぎ渡って、オーストリア貴族のもとに駆け落ちを企てるという、勇ましい挿話までがついている。
 だがもっと眼差しを近づけて、4日間にわたる物語を詳しく眺めてみよう。
 第1日目で中心となるのは、ロドリッグとプルエーズの困難な恋である。プルエーズは夫に従ってアフリカに発たなければならない。だが出発の日取りが別々であると知って、ただちにロドリッグに手紙を認め、駆け落ちを企てる。もっとも音楽姫の駆け落ちの一件に巻き込まれ、それは成就しない。それどころかロドリッグは戦闘で深手を負い、看護を求めて母親の城へ向かう。プルエーズは夫の配下によって監視されているが、彼の恩情によって脱出に成功する。
 「繻子の靴」というかわいらしい題名は、このプルエーズがロドリッグのもとに向かおうとするとき、館の入り口に置かれた聖母像に願掛けをする挿話に基づいている。彼女は履いていた靴の片方を聖母の両手のなかに置き、自分が悪へ走ろうとするときにはかならず足が萎えておりますようにと祈りを捧げ、片方の靴だけで夫の館を後にしようとするのだ。
 第2日目。ロドリッグは母親の城で重傷の床にある。プルエーズが到来するが、二人は行き違いとなってしまう。そこにペラージュが出現し、彼女に向かって出し抜けに、モロッコのモガドール要塞で指揮官になるよう命じる。何とも荒唐無稽の展開であるが、この程度で驚いていては『繻子の靴』全体の物語と付き合うことはできない。ロドリッグは傷が癒えるとただちにプルエーズを追う。だが要塞に到着した彼女は、駆け付けてきた恋人に会うことを拒絶する。大西洋を別々の方角へと向かう二艘の船を、天上から聖ヤコブが眺めている。聖者は二人の恋は地上では実らないことを知っているのだ。月光のなか、二人の恋人は二つの影となり、神を呪っては互いの不在を嘆きあう。月がそれに言葉を加え、舞台はしだいに恍惚感に包まれていく。
 第3日目。10年の歳月が経過する。ロドリッグは副王閣下として新大陸に君臨し、パナマ運河の建設に携わっている。運河が開通すれば、二つの大洋は結合することができるのだ。プルエーズは夫の死後、カミーユと結婚して、モガドール要塞を離れようとしない。カミーユはモロッコの聖人(マラブー)信仰に帰依し、反キリストの立場を露骨に表明するようになる。二人の間には娘が一人いるのだが、不思議や不思議、その顔はロドリッグに似ている。
 ロドリッグはパナマの宮殿で、プルエーズが書いた手紙をようやく受け取る。手紙は10年間にわたって、世界中を経廻っていたのだ。真相を知った彼はただちに新大陸を放棄。配下の全艦隊を引連れ、大西洋を横断する。目的地はモガドール要塞だ。彼がモガドール沖に司令戦艦を停泊させていると、これは何としたことか、プルエーズが娘を連れ、小舟で到来するではないか。ロドリッグは10年にわたる別離の絶望を訴えるが、プルエーズはまたしてもそれを拒み、娘七剣姫を彼に託すと、小舟で去ってゆく。『繻子の靴』の主筋をなす悲恋物語は、ここでひとまず終わる。
 第4日目。この日は『源氏物語』における『宇治十帖』のごとく、後日談、それも荒唐無稽な後日談の連続からなっている。プルエーズが要塞で爆死を遂げて以来、ロドリッグは国王の寵愛を失ってしまう。彼は新大陸の副王の地位を追われ、フィリピンへと左遷される。日本人の捕虜となり、片足を喪失する。
 この最終日では、第3日目からさらに10年の歳月が過ぎている。ロドリッグは地中海にあるバレアレス諸島近海に船を停泊させ、すっかり零落の身である。彼は活計(たつき)のため日本人画家と組み、漁師相手に聖人画を製作している。スペイン国王は目下、イギリスと交戦中で、勝利の暁にはロドリッグをイギリス国王に任命したいと考えている。だがロドリッグはそれを拒み、イギリスとの戦争をやめ、永久平和を願うと発言して、宮廷全体を困惑させる(かつての新大陸征服者が何という豹変ぶりであろうと、思わず口を挟みたくなるが、まあいいとしよう)。彼は七剣姫にむかって、自分は世界を拡げるために来た。人間は天の下に、壁も障壁もあってはならないのだと語る。一方、お転婆の姫はオーストリアの貴族との駆け落ちを企て、肉屋の娘といっしょに夜の海を泳ぎ出す(わたしがバローの演出で、強烈に記憶している場面である)。王の不興を買ったロドリッグは奴隷の身分に落とされ、売り飛ばされることになる。そこに修道女が現われ、彼の身元を引き受ける。信じられないことに、この第4日目を構成している11の場は、ロドリッグの館はおろか宮殿にいたるまで、すべて海の上を舞台としている。

 渡邊守章はこの戯曲をどのように演出しただろうか。彼はかつて『サド侯爵夫人』でルネを演じた元宝塚の剣幸(つるぎ・みゆき)にプルエーズを、ラシーヌと鏡花の舞台で気心の知れた石井英明にロドリッグを演じさせた。大蔵流の狂言方である茂山七五三(しめ)とその息子たちに協力を仰ぎ、自分が育て上げた京都造形芸術大学の卒業生たちに出演を依頼した。音楽は基本的に藤田六郎兵衛(ろくろびょうえ)の能管だけに絞った。剣幸演じるプルエーズには一ヵ所だけではあるが、「わたしは剣(けん)よ!」と絶叫する場面があり、戯曲全体を貫く剣と音楽、戦闘と芸術の対立という主題に、はからずも(?)対応している。
 いくつか印象に残る場面をここに記しておきたい。
 今回の演出ではまず舞台全体が雛壇のように3層に分割され、それが左右の緞帳によって伸縮拡大の自在な空間へと作り変えられた。ダムタイプの高谷史郎がこの平面をスクリーンに見立て、銀河の横たう夜空から大海原、古城の石壁、ナポリの洞窟、さらに連合艦隊の甲板まで、思うがままに空間を変容させ、簡潔にして魔術的ともいえる手さばきで場面転換を行なった。高谷はこの舞台において、もう一人の隠れたプロスペローである。
 ひとまず舞台から奥行きを追放したことで、空間はプロテウスのように変幻自在なものと化した。登場人物たちはそれぞれの層において、基本的に平行移動を行なった。召使たちは最下層にあってバーレスクに興じ、恋人たちは中間の層にあって激情に駆られ、苦悶と絶望を語った。最上階では守護天使がはるか下方にいるヒロインを眺め、冷ややかな言葉を送った。ただ口上役の道化(野村萬斎)だけが幕の変わり目ごとに映像で出現し、忙し気にあらゆる層を廻っていた。3層の舞台は地上世界の無限に続く水平性を意味していた。それに対し、後半になってにわかに目立つことになる船の帆柱や聖者の杖は、天上と地上という、この戯曲の根幹にある垂直性を体現している。
 厳粛な場にあって人物たちは、譜面台を前に直立不動で朗誦を続けた。それは朗誦をよくなしうる者だけが芝居をよくなしうるという、フランスの古典劇から継承された演劇観の、みごとな実現であった。原作の台詞は一応は自由詩形ではあるが、それでも厳密に脚韻が踏まれている。わたしは演出家渡邊がこの10年近く、今回の舞台を実現させるための準備作業として、朗読オラトリオを重ねてきたことを思い出した。演劇の基幹となるのは朗誦であるという、ともすれば当代流行の日本の演劇界にあって蔑ろにされがちな真理を、根源的に確認するところから、『繻子の靴』の舞台は開始されている。
 もっと細かく演出を見てみよう。
 2日目の中ごろ、黒衣のロドリッグと白衣のカミーユが黒い垂れ幕の前で対決する。原作の戯曲ではモガドール要塞の中に設けられた拷問部屋という設定である。二人は強い緊張感のもとに対峙しているが、カミーユが少し軀を近づけると、二人の巨大な影が重なり合い、あたかも3本の手を持った一人の人物の影のように見える。彼らがプルエーズを媒介として、分身の関係にあることを如実に示している演出である。ここでロドリッグは初めてプルエーズの愛の熱情を知り、愕然とする。背景に蝶々の像が映し出されているのは、こうした劇がどこまでも魂(プシュケー)の次元での事件であることを告げている。
 メロドラマ的想像力が高揚を迎えるこの場面に続いて、きわめて夢幻的な光景が出現する。陰鬱な拷問部屋は一瞬のうちに波の揺蕩(たゆた)う大海原と化し、舞台の上層と下層にプルエーズとロドリッグとが別れて眠っている。彼らは大洋によって隔てられているのだ。下方からゆっくりと巨大な満月が登ろうとし、それに合わせて月の精が舞台中段に現れる。彼女はキラキラとしたラメ入りの服を纏い、棕櫚の葉を扇子のように携えている童子である。この間も打ち寄せる波の色調は微妙に変化してやまない。月の精が姿を消すと、プルエーズが起き上がり、純白の光に包まれながら、永劫にわたる愛をめぐって独白を続ける。満月がゆっくりと、舞台を大きく横切ってゆく。ふたたび月の精が登場し、下方で眠りこんでいるロドリッグに棕櫚の葉を向ける。彼がまだイヴと分離する以前の、無垢にして完璧なアダムとして、深い眠りにあることが示される。やがて彼は目覚め、プルエーズの創造した天国に自分が留まりえぬという絶望を語る。海の色はしだいに陰鬱な暗さを帯び、すべてが暗黒に包まれてしまう。
 ちなみにオリヴェイラの映画版では、この場面では暗闇に丸く刳り貫かれた穴から罪の女神が、メリエスの無声映画『月世界旅行』の月のように顔を覗かせ、独白を続けるという演出がなされていた。渡邊演出では背景に満月の映像を投影するとともに、光り輝く童女として登場させている。二つの影の背後に流れる長々とした独白は、演出家である本人が担当している。この長大な芝居のなかでもっとも神聖にして静寂感に満ちた光景が、こうした身体と声、映像とその色調の変化によって、多元的な力のもとに実現されている。
 第3日目の結末部、プルエーズとロドリッグが出会うことになる唯一の場面についても、やはり書いておきたい。
 新大陸を支配するロドリッグ副王の戦艦の甲板で、二人は出会う。プルエーズは最初、カミーユからの信書を手渡すという任務から緊張した姿勢を崩さず、ロドリッグも彼女に面と向かって対応をしない。彼はどこまでも正面を向き、不動の姿勢をとっている。二人の対話は強い調子の詰問とそれへの断固とした返答の形である。だが10年ぶりに再会を果たした恋人を前に、プルエーズの口調に少しずつ乱れが生じてくる。ロドリッグはそれを無視し、断固として拒絶の姿勢を崩さない。だがカミーユがかつてプルエーズを拷問したと聞かされた瞬間から、ロドリッグは我を失い、彼女に向き合う。プルエーズは愛娘を彼の前に差し出し、自分の代わりに育ててほしいと懇願する。ロドリッグはふたたび彼女と向かい合うことを止め、正面を向いて拒絶の姿勢をとる。二人はこうして別々に朗誦を続ける。だが最後に彼らはもう一度向かい合い、膝まずきながらしだいに距離を縮めていく。感極まって絶叫するにいたるが、最後まで抱擁や接吻がなされるわけではない。彼らは聖ヤコブが予言したように、地上においては絶対の乖離を生きる宿命にあるのだ。最後にプルエーズは死を決意して下船する。ロドリッグは彼女を止めることができない。置き去りにされた娘が母親を求めて泣き叫ぶところで、第3日目は幕を閉じる。
 日本語ではpassionという言葉は受苦と情熱という、二通りに訳し分けるのが常道とされている。だがこの二人の再会と別離、受諾と拒絶の重なり合いを目の当たりにすると、まさに受苦と情熱とが同一のものであると判明する。プルエーズを究極的に襲うのは、死を前にした歓喜である。ロドリッグにとってそれは、生涯にわたる悔恨と絶望の予兆である。渡邊演出はこの場を通して、メロドラマ的想像力から可能な限りの強度を引き出すことに成功した。整然としたオラトリオを基本様式とするこの舞台が、それを放棄して歓喜と絶望の絶叫に終わるのだ。

 先に、今回の演出にあたって画像の投射による空間造成が大きな意味をもっていることを指摘した。もしこれが半世紀前であったとすれば、場の転換に幾通りもの緞帳を準備したり、回り舞台を設定したりしなければならず、それでもこの大作の舞台である「世界全体」を表象するには追い付かなかっただろう。
 では高谷史郎による魔術的なスクリーンは、コンピューター時代における演出の新奇さ(ヌヴォテ)にすぎないのだろうか。実はそうとも断言できないのである。これはある意味で、原作者が夢想し、戯曲のかたわらに書きつけたヴィジョンを、今日的立場に立ってより進展させ、前景化した結果だと考えられるからだ。いや、もう少し強弁を重ねれば、クローデルは1920年代にはまだ新しい表象体系であったシネマトグラフ、すなわち映画を念頭に置きながら、いくつかの幻想的な情景を創造しているのである。
 第4日目の中ほどに、理解不可能な笑劇が挿入されている。漁師たちが2組に分かれて、地中海に浮かぶ不思議な島にロープを巻き付けると綱引きに興じるという件(くだり)である。本筋とはまったく関係のないこの笑劇については、インドの古代神話に有名な乳海攪拌の物語に始まり、能や歌舞伎まで、さまざまな源泉が考えられるかもしれない。だがこの劇で興味深いのは、漁師たちに命令を下す教授の一人が、この綱引きのさなかに探究を重ねている奇妙な魚のことである。教授がドイツの学術書で見たというその古代魚は、レンズと同じく一眼しかもたず、頭上に電気を通す映写機が取り付けられている。また胴体には、二重のロールが8の字の形に巻き付けられている。この魚は自分の眼で捉えた事物の姿を自動的にこのロールに印刷し、映像として無限に吐き出すことができるという。漁師たちが怪訝な表情を見せると教授は興奮し、この魚が「存在する! 存在する義務がある!」と怒鳴りまくる。
 これは端的にいって、映画の撮影と映写を同時に兼ねた装置ではないだろうか。クローデルがどうして悲恋物語が終わった後の、いうなれば大物語の残響だけが聴こえる第4日目にこうした荒唐無稽な挿話を置いたのかは詳らかでないが、少なくとも彼が映画という光学的な発明と映像投射によるスペクタクルに充分自覚的であったことが、ここから明確に窺うことができる。奇魚の単眼は、2日目にプルエーズの手にした水晶の数珠や、その変形としての地球とともに、壁面に巨大な形で投射されて、舞台全体の喩となる球体の主題的系列上にある。こう考えてみると、今世紀の当初にコンピューター処理によって舞台空間に魔術的な変容がなされることは、原作者の夢想を現実化してみせたことを示してはいないだろうか。もちろんこんなことについ目が向いてしまうのも、ひょっとしたらわたしが映画研究を長らく専門としてきた者であるからかもしれない。だが1920年代の時点で全世界の演劇化という壮大な野心を抱いた劇作家が、ベルグソンやフロイトの同時代人として、彼らと同様にシネマトグラフという装置に深い好奇心を抱いていたとしても、けっして不思議ではあるまい。

 ともあれ午前11時から午後8時半までをかけ、渡邊守章演出『繻子の靴』の舞台は終わった。わたしは20年ほど前にジョグジャカルタでワヤン劇『パラタユダ』の舞台を、それこそ夜を徹して観劇した体験があるが、それに匹敵するほどの長さである。4日目の舞台が七剣姫の無事を告げる大砲とロドリッグの魂の解放をもって幕を閉じたときには、疲労感を凌駕する解放感に襲われたと告白しておかなければなるまい。
 そのとき、不意に思い出されてきたのは、学生時代、すでに宗教学科に進学をはたしておきながらも、渡邊守章助教授が開講していたジャン・ジュネ研究の演習に参加していたときのことである。彼がフランス演劇と現代思想の専門家であるばかりか、観世寿夫の「冥の会」の演出家であると知り、あれは学生優待券というものであったか、ともかく何かの縁を頼って格安チケットを入手して、セネカの『メーデーア』の舞台を観に紀伊國屋ホールへ向かったことがあった。漠然とギリシャ悲劇風の書き割りを期待していたわたしは、舞台に突然に出現した老女に驚き、彼女が呪文のように唱える石牟礼道子の『苦海浄土』の一節に、また劇のなかで反復されるオノマトペアの呪術的効果にさらに驚いた。それがわたしの観た、最初の渡邊演出である。1975年のことであった。
 実はその同じ年、この演出家は800頁に垂(なんな)んとするクローデル評伝を上梓している。とはいうものの、その書物は主人公が37歳で『真昼に分かつ』を書き上げたあたりで、突然に幕を閉じている。その時点でクローデルはまだ大使として日本に赴いてもおらず、いわんや『繻子の靴』の構想も抱いていない。いったい評伝の第二部はどうなるのだろうと気にかかってもいたが、ラシーヌから三島由紀夫、能楽と、作者が演出家として華麗な活躍ぶりを見せているのを茫然と眺めているうちに、いつしかそのようなことは忘れてしまった。だがその間に、研究者渡邊守章は演出家渡邊守章として、クローデルに真剣勝負を挑むための準備を、着々と続けていたのである。彼は戯曲『繻子の靴』を翻訳し、いくたびかにわたってオラトリオの試みを重ねた。昨年の年頭には、クローデルが日本滞在中に深い感銘を受けた能楽の『道成寺』を演出した。かくして歳月が結実し、ここに『繻子の靴』全篇の上演となった次第である。実に慶賀すべき痛快事ではないだろうか。
 実のところ、わたしは(それが不可能なことであることは承知していたものの)密かに、あることを期待していた。それは2日目の中ごろ、満天の星空を背景に登場する老賢者、聖ヤコブを、ひょっとして渡邊寸章本人が演じることはありえないだろうかという期待であった。この戯曲の隅から隅までを把握し、膨大な註釈とともにそれを訳出したばかりか、ついに上演に漕ぎ着けた彼こそは、ホタテガイの殻を腰につけ、悲運の恋人たちの二艘の船が別れゆくさまを天界から眺めている聖者に匹敵する位置を、テクストとの間に結んでいるのではないだろうか。
 クローデルがフランス大使として東京に赴任してから、もうすぐ百年となる。今回の『繻子の靴』の達成が、どのような形で離火継承されていくのかを考えるのは愉しみである。

月刊『新潮』(2017年2月号)所収

【筆者プロフィール】
四方田犬彦 YOMOTA Inuhiko
東京大学で宗教学を、同大学院で比較文学を学ぶ。映画、文学、都市論、料理、漫画、音楽といった、幅広い文化現象をめぐって、批評の健筆をふるう。芸術選奨受賞。近著に詩集『親鸞への接近』(工作舎)がある。

syusu_front-392x550ポール・クローデル生誕150周年記念
『繻子の靴』 四日間のスペイン芝居
作: ポール・クローデル『繻子の靴』(岩波文庫)
翻訳・構成・演出: 渡邊守章

2018年6月9日(土)・10日(日)各日11:00開演
静岡芸術劇場
*公演詳細はコチラ