5月7日、静岡大学で宮城聰が講義をしました。
教育学部美術専攻の授業の一環として、宮城の講義と演劇鑑賞をセットにした授業を、静岡大学とSPACとで企画しました。演劇鑑賞はこれから、もちろん春の芸術祭でぞんぶんに味わっていただく予定です。
5月7日の講義のテーマは、ずばり、演劇とは何か。美術を専攻する学生の皆さんの前に立った宮城が直感で選んだテーマです。
「演劇に欠かせないものは3つある。それは、ことば、肉体、集団。どれも演劇には欠かせない要素。だけど、この3つは人を悩ませるものでもある。演劇はこの3つとまともに向かい合わないといけない。」
宮城独自の演劇論が率直に語られました。こんなに“語る大人”はちょっといない、というのは、宮城の話を聞いたことがある人なら誰でも思うところ。学生の方々にとっても刺激的だったのではないでしょうか。
話がひと段落すると、映像資料を使って、宮城の演出作品を少しだけ鑑賞。この映像の迫力で演劇に興味をもってくれた方もいると思います。映像でさえこの迫力、実際見るとどうなんだろう、と。
宮城の演出作品は、日本人だけでなく、海外の観客をも意識してつくられています。ことばを使わなければならないのが演劇ですから、当然、わたしたち日本人は日本語を使うことになります。とすると、どうしても、外国の観客にはとっつきにくいものになってしまう。これをなんとかしたい、という思いが宮城にはあります。その思いを形にするための素材が古典的な文学作品でした。古代ギリシアの劇詩だったり、インドの叙事詩だったり。こういう作品は世界中の人々に知れ渡っていますから、これを素材にすれば、日本語で上演しても話が通じる!
それにくわえて、日本人特有の見方を作品にこめたい、という思いも宮城にはあり、映像資料を使いながら、作品創造のヒミツを少しだけ解説しました。
思えば、こうした芸術家の欲求は、矛盾しているものでもあります。外国の方を楽しませたいという思いと、一方で、日本人独特の見方を示したい、という気持ちが、混在しているのですから。
芸術家はそうした矛盾した思いから離れられない存在です。だからこそ人々の共感を得られるのだ、とも考えられます。日頃わたしたちが抱くさまざまな思いは、そんなにすっきり割り切れることばかりじゃない。けれど、芸術家は、そうした、単純だけれど大切なこと、を思い出させてくれる存在です。SPACのように芸術家が運営する公共劇場は、日本ではまだまだ珍しいものですが、芸術を公的に支援する意味がこのあたりにもあるのではないでしょうか。
今日の授業を通して、学生の皆さんが演劇の力・劇場に魅力を感じとってもらえたらこんなに嬉しいことはありません。
5月23日には静岡大学の先生方が「世界の演劇文化の楽しみ方」と題して静岡芸術劇場で公開講座を行います。ひと味違った「楽しみ方」を受け取っていただければと思います。詳細はこちらhttp://spac.or.jp/news/?p=377