悪女というと現在では、男を誑(たら)して手玉に取る、そんな美女のことをいう。昔からの譬えでは「外面(げめん)如菩薩(ぼさつ)、内心(ないしん)如夜叉(やしゃ)」。見た目は美しい仏さまだが、心の中は怖い鬼。小悪魔というのは、その別名である。
ほんらいの悪女にも「外面」と「内心」があった。見た目が醜い醜女。性格が悪い女。後者はのちに、毒婦と呼ばれるようになる。
お岩のモデルも、悪女であった。外面は生れ付きではなく、重く患った疱瘡すなわち天然痘の後遺症であった。ワクチンの種痘が普及されるまで、疱瘡は子供たちの通過儀礼。お岩はそれが遅れた。大人になってから罹患して、醜い女になったのである。
「実録」と称された小説ではそれを誇張して、顔は渋紙のようになり、髪は白髪交じりで縮み上り、その声までがまるで狼のようだ。腰は曲がって松の古木に異ならず、片目が潰れてつねに涙が流れている姿は見苦しかった、とも記されている。
そのことと係わっていたのであろうか、お岩は心までが醜い女になった。その性格は、頑(かたく)なで奸(かたま)しい。「頑な」な性格は「石女」すなわち石になった女に譬えられ、心が拗(ねじ)けた奸しさからは、鬼女になったという巷説が生まれたのである。
『四谷怪談』で描かれたのは、まず外面であった。せりふの中にでてくる「悪女」は、すべて醜い女。それも片目が腫れあがって、渋紙のようになったお岩の顔であった。無理やりに見せられた鏡の中の自分を見て、お岩はこれが私の顔かいなア、と嘆くのである。
お岩の顔の原型は、羽生村の累であった。浄土宗に伝えられた仏教説話では、生れつきの醜女。江戸の歌舞伎ではそれを美女にした。殺された姉の怨霊が憑り付いて、美しい顔が悪女の相好に変った。そうとは知らずに器量自慢をする累。無理やり鏡を見せられて、真実を知らされるのである。『四谷怪談』でも残酷なこの演出が見せ場になった。
お岩が悪女になったのは、血の道の良薬と騙されて、顔が崩れる毒薬を飲まされたからであった。同じ悪女でも累は、死霊が解脱してなくなると、美しい顔に戻った。そのような救いすらないところに、お岩の悲しさがあったのである。
『四谷怪談』にはもうひとつ「ソウキセイ」という薬が出てくる。小仏小平が盗んだ薬である。貧困ゆえに膝が鶴の様に細くなる「鶴膝風(かくしつふう)」を患った主人、小汐田又之丞を助けるためであった。「ソウキセイ」と片仮名で書かれていたためであろうか、薬の正体は不明であった。「ソウ」に「桑」、「キセイ」に「寄生」という漢字を宛てると、よく知られた漢方薬になる。「猿の腰掛」の仲間で、文字通り大木に「寄生」して育つ菌類であった。
作者の南北は、毒薬をはじめ薬に拘った。漢方はもちろん、蘭方にも詳しい。蘭学者の平賀源内や森島中良との交流があったからであろうか。他の作者とは違う名の薬が自在に使われている。たくさん使われている薬の中で、名のない薬が三つ。そのうちの二つは良薬。三つ目の毒薬がお岩を悪女の顔にしたのである。
お岩が飲む毒薬は「粉薬(こぐすり)」。漢方の煎じ薬ではなかった。故郡司正勝先生はそのことに着目されて、南蛮渡来の毒薬だったのであろう、とイメージされた。怪談映画の最高傑作とされる中川信夫監督の『東海道四谷怪談』でも粉薬を飲むところが、いちばん怖かった。六代目中村歌右衛門は、飲むだけに十分近くの時間を費やしたのである。
お岩の「髪梳き」の原型は、南北の旧作『阿国御前化粧鏡』の阿国御前。大名の正妻ではなく、国元の側室である。そのお妾が若侍に恋をして棄てられ、病に臥して憤死するのである。病人が髪を梳くその訳は、恋しい男に会うため。衰弱していたからであろう、髪の毛が抜け落ちて生え際が禿げ上がった。怖ろしい姿になっても、美しい顔はそのままの美魔女であった。作者の南北はそれを悪女の顔に仕立て直したのである。
直接のモデルは、知り合いの奥さん。産後に髪を梳き、その櫛の歯で疵が付き、丹毒になった。見る見るうちに顔が赤黒く膨れ上がった、という。作者自身の創作秘話であった。
お岩の「内心」は生きているうちは貞女。死んでからの行動も「悪女」とは言えないであろう。それでも「内心」のどこかに底の知れない怖ろしさがある。そこに『四谷怪談』のほんとうの怖さがあるのかもしれない。
【筆者プロフィール】
古井戸秀夫 FURUIDO Hideo
昭和26(1951)年東京生まれ。東京大学文学部教授。著書に『歌舞伎入門』(岩波ジュニア新書)、『新版舞踊手帖』(新書館)など。鶴屋南北作 『天竺徳兵衛韓噺』 『誧競艶仲町』などの復活にも携わる。