劇場文化

2017年2月21日

【真夏の夜の夢】『野田版 真夏の夜の夢』——「知られざる森」の「知られざる物語」(田中綾乃)

 シェイクスピアの作品は数多あれど、その中でも『真夏の夜の夢』と聞くと、心躍るものがある。第一に、タイトルにもあるように、この作品が<現実>ではなく、<夢>の物語であるということ。第二に、作品の舞台であるアテネ近郊の森で活躍する悪戯好きの妖精パックの存在。第三に、この物語が二組の男女の恋の行方を描いていること。そして、幻想的な夜の森の舞台に散りばめられた美しい詩的な台詞と共に、妖精と人間たちが織りなす真夏の夜の夢。何ともロマンティックでファンタジーに溢れている。
 この作品が執筆されたのは1590年代の半ば。17世紀を目前にしたヨーロッパでは、自然科学の発展に伴い、理性に重きを置いた近代が幕を開けようとしていた。よく言われるように、『ハムレット』(1600)には、デカルトの近代的自我を先取りした悩める主人公が登場する。“万の心を持つシェイクスピア”は、人間の心に潜む欲望や野心、嫉妬からの悲劇を描写するが、そのような中で『真夏の夜の夢』は、妖精と人間との戯れという前近代的な雰囲気を色濃く残す宮廷喜劇として描かれたのである。 続きを読む »

2017年1月22日

【冬物語】 「奇跡」の軌跡・シェイクスピアの『冬物語』

 シェイクスピアのロマンス劇とは、晩年(といっても40代)に執筆された4作品『ペリクリーズ』、『シンベリン』、『冬物語』、『テンペスト』を指すが、これらの作品は当時から「ロマンス劇」と呼ばれていたわけではない。シェイクスピアの没後1623年に出版された初のシェイクスピア全集ファースト・フォリオには、歴史劇、喜劇、悲劇の3つの区分があるのみで、『冬物語』と『テンペスト』は喜劇に、『シンベリン』は悲劇に分類されている(『ペリクリーズ』はファースト・フォリオ未収載)。1608年頃に流行した「悲喜劇」(tragicomedy:例えばボーモントとフレッチャー共作の『フィラスター』など)のスタイルでシェイクスピアが執筆したこれら4作品を、現在ではロマンス劇と称している。
 「悲喜劇」はその名の通り、喜劇的な要素と悲劇的な要素が混在した作品である。そもそも、後世の古典主義者たちから「統一を欠いている」と批判されたシェイクスピアである。喜劇に悲劇的な場面を、悲劇に喜劇的な場面を混在させるなどお手のもので、ロマンス劇にも人生を織りなす悲劇と喜劇を思う存分盛り込んでいる。ロマンス劇では家族の別離と再会、罪の赦し、奇跡などが主なモチーフとなるが、物語の展開に飛躍があり、どこかおとぎ話的で古風な印象が漂う。  続きを読む »

2016年12月1日

【サーカス物語】幼ごころの君を求めて(河邑厚徳)

 ミヒャエル・エンデの戯曲が静岡芸術劇場で公演されます。東欧の陰影が色濃い『サーカス物語』をインドネシアの鬼才がどう演出するのかワクワクします。エンデは児童文学者という先入観で見られがちですが、幅広い才能にあふれ、近代西洋思想を批判する思想家でもありました。青年時代には舞台に立ち、戯曲も書いていましたが無名でした。エンデが世に出たのは『ジムボタンの機関車大旅行』。大ベストセラーになってドイツ児童文学賞を受賞しました。その後は『モモ』や『はてしない物語』など永遠に残る傑作を書き続けてきました。児童文学と並んで、エンデの創作の大きな柱が『遺産相続ゲーム』や『ハーメルンの死の舞踏』などの戯曲でした。葬儀にはエンデの仕事を代表して、ドイツ・バイエルン地方の方言で書かれた『ゴッゴローリ伝説』が上演されています。 続きを読む »

2016年10月29日

【高き彼物】マキノノゾミの類まれなる才能に惚れ込んで(衛紀生)

 マキノノゾミの舞台を初めて観たのは1994年の近鉄小劇場でのことです。『青猫物語』です。昭和8年の築地小劇場のすぐ裏にある「青猫」というカフェを舞台に、真面目な新劇青年八起静男を軸に展開する、彼の得意分野のひとつである疾走感あふれる青春群像劇です。ロビーで現在は私の妻になっている柴田英杞からマキノを紹介されました。180センチはゆうに超える偉丈夫で、演劇人にありがちな不健康さは微塵もない押し出しにいささか気圧された記憶があります。ちなみにその時あわせて紹介されたのが、その後マキノの重要なスタッフに名を連ねる舞台美術家の奥村泰彦で、彼は翌年の第1回OMS戯曲賞受賞作である松田正隆の『坂の上の家』で卓抜な舞台をデザインして、『青猫物語』に引き続きその舞台に接して、いつかは高く評価される美術家に数えられるだろうと予感しました。閑話休題。『青猫物語』での邂逅以後、私はマキノの舞台には、演劇評論家という肩書を外して、かなり熱心な観客の一人になりました。 続きを読む »

2016年9月28日

【東海道四谷怪談】悪女、それはお岩(古井戸秀夫)

 悪女というと現在では、男を誑(たら)して手玉に取る、そんな美女のことをいう。昔からの譬えでは「外面(げめん)如菩薩(ぼさつ)、内心(ないしん)如夜叉(やしゃ)」。見た目は美しい仏さまだが、心の中は怖い鬼。小悪魔というのは、その別名である。
 ほんらいの悪女にも「外面」と「内心」があった。見た目が醜い醜女。性格が悪い女。後者はのちに、毒婦と呼ばれるようになる。
 お岩のモデルも、悪女であった。外面は生れ付きではなく、重く患った疱瘡すなわち天然痘の後遺症であった。ワクチンの種痘が普及されるまで、疱瘡は子供たちの通過儀礼。お岩はそれが遅れた。大人になってから罹患して、醜い女になったのである。 続きを読む »