劇場文化

2017年1月22日

【冬物語】 「奇跡」の軌跡・シェイクスピアの『冬物語』

 シェイクスピアのロマンス劇とは、晩年(といっても40代)に執筆された4作品『ペリクリーズ』、『シンベリン』、『冬物語』、『テンペスト』を指すが、これらの作品は当時から「ロマンス劇」と呼ばれていたわけではない。シェイクスピアの没後1623年に出版された初のシェイクスピア全集ファースト・フォリオには、歴史劇、喜劇、悲劇の3つの区分があるのみで、『冬物語』と『テンペスト』は喜劇に、『シンベリン』は悲劇に分類されている(『ペリクリーズ』はファースト・フォリオ未収載)。1608年頃に流行した「悲喜劇」(tragicomedy:例えばボーモントとフレッチャー共作の『フィラスター』など)のスタイルでシェイクスピアが執筆したこれら4作品を、現在ではロマンス劇と称している。
 「悲喜劇」はその名の通り、喜劇的な要素と悲劇的な要素が混在した作品である。そもそも、後世の古典主義者たちから「統一を欠いている」と批判されたシェイクスピアである。喜劇に悲劇的な場面を、悲劇に喜劇的な場面を混在させるなどお手のもので、ロマンス劇にも人生を織りなす悲劇と喜劇を思う存分盛り込んでいる。ロマンス劇では家族の別離と再会、罪の赦し、奇跡などが主なモチーフとなるが、物語の展開に飛躍があり、どこかおとぎ話的で古風な印象が漂う。 
 悲喜劇であるロマンス劇の中でも、とりわけ『冬物語』で描かれる悲劇と喜劇は空中分解しないのが不思議なほど、振り幅が大きい。前半シチリアの場面で不可解な嫉妬に狂うレオンティーズの激しさと過剰さは、ギリシャ悲劇の主人公さながらで(アポロンの神託も登場する)、果たしてこの絶望の深淵からの救いは訪れるのかと観客は不安に陥る。しかし、一転して牧歌的で祝祭的な中盤のボヘミアの場面を経ての最終場面では、観客はおそらくシェイクスピア作品中で最も感動的で劇的な喜劇の極致に立ち会うこととなる。レオンティーズと供に観客がたどるのは、まさしく「奇跡」の軌跡である。
 『冬物語』のこの奇跡を可能にするのは、3つの力である。全てを癒す「時」の力。16年という時が「赦し」には必要だった。そして、ポーライナの智慧、パーディタの若い生命力、ハーマイオニの寛容さといった人間自身が持つ力。最後に、演劇の力である。今ここで詳しく書くことは控えるが、生身の役者の身体を通して現実を超えるリアリティを表現し共感を呼ぶ「特権的」な演劇の力こそが、この物語の信じがたい奇跡を得心させてくれるのだ。シェイクスピアは、五感をフルに働かせてその瞬間に立ち会ってこそ味わえる実に演劇的な感動を最終場面の奇跡の核心に据えている。
 イギリスでは、ロマンス劇は頻繁に上演されている。なかでも『冬物語』は、イアン・マッケラン、ジェレミー・アイアンズ、パトリック・スチュアート、アントニー・シャーなど名だたる名優がレオンティーズを演じた優れた舞台が多い。一昨年ロンドンのウェスト・エンドで上演されたケネス・ブラナー・カンパニーの『冬物語』では(日本でもブラナー・シアター・ライブとして各地の映画館で放映され、静岡では2月下旬を予定)、演出のブラナー自身がレオンティーズを、ジュディ・デンチがポーライナを演じていた。ジュディ・デンチと言えば、1969年にイギリスのロイヤル・シェイクスピア劇団が初来日した際に上演した『冬物語』(トレヴァー・ナン演出)でハーマイオニとその娘パーディタの二役を演じて話題をさらったが、半世紀近くを経て出演した今回の作品でも、圧倒的な存在感でポーライナを演じきり、シチリアの宮廷を取り仕切るのみでなく、「時」と肩を並べて、レオンティーズやハーマイオニの運命を操っているようにさえ見えた。一方、日本では、ロマンス劇はなじみが薄いためか上演回数は限られている。最近の『冬物語』では、2013年の劇団AUNの公演(吉田鋼太郎主演)と2009年の蜷川幸雄演出(唐沢寿明主演)が印象に残っている。
 この悲劇と喜劇の振り幅の大きな「奇跡」の物語を、今回のSPAC公演では「二人一役」のスタイルで上演するという。リアリズムを超えたロマンス劇の新たな切り口を見せてくれるに違いない。

【筆者プロフィール】
末松美知子 SUEMATSU Michiko
群馬大学教授。専門は比較演劇論。共著書に、Shakespeare in Asia: Contemporary Performance ほか。アジアのシェイクスピア上演映像を収めたウェブ・アーカイブ A|S|I|A共同代表。