劇場文化

2020年1月18日

【グリム童話 ~少女と悪魔と風車小屋~】8年前の記憶から(志賀亮史)

 8年前に観た演劇について、書いてほしいとの依頼があった。観劇したことはもちろん覚えている。しかし、いざ思い返してみると、観劇当初から時を経た劇の印象は、不思議な歪みをもって、私の中に残っている。強く鮮やかに浮かび上がってくるシーンがあれば、まったく思い出せないこともある。そのときの劇場に流れていた雰囲気や座った椅子の感触が思い出されたりもする(もっともそれは、幾度となく座った静岡芸術劇場の椅子のことを思い出しただけかもしれないけれど)。

 そんなことをとりとめもなく考えていたら、幼少時の記憶について、ふと疑問に思う。
 最初に出会った絵本、もしくは童話はなんだろう。
 覚えているのは、『ちいさいおうち』という絵本。のどかな場所にたてられた小さなおうち。やがて時がたち、まわりはどんどん発展し、変わっていく。いっぽう小さいおうちは変化からとりのこされ、忘れ去られ、都会のビルのなかにひっそりとさみしげに佇む。もう都会の中で誰にも見向きもされなくなったころ、小さいおうちを気に入った人(実はかつて住んでいた人の子孫)が現れて、おうちをまた昔のようにのどかな場所へ移築してくれる。
 幼い私はこの絵本をなんども母親に読ませたらしい。おかげで今でもその絵を克明に思い出すことができる。読みすぎてぼろぼろになって、テープで補修されたその本の外観や持ったときの感触まで思い出される。ページをめくったときの音、手触り、匂い。そういうものと不可分になって、蘇る。

 いっぽう、グリム童話について考えてみる。そこに収録されている話を私はいつ知ったのだろう。正直記憶がない。いつの間にか知っていたとしかいいようがない。
 もちろんグリム童話もいろいろな絵本になっている。しかし、グリム童話の数々のおはなし――『赤ずきん』やら『ヘンゼルとグレーテル』やら『ハーメルンの笛吹き男』やら――を頭に思い描こうとしたとき、そこに特定の絵本や感触などは思い浮かばない。しかしおはなしは知っている。いったい私はグリム童話をいつ、どこで目に、耳にしたのだろう。母親に読んで聞かされたのだろうか。それともテレビやラジオで触れたのだろうか。もしくは幼稚園や学校で先生に聞いたのか。まったく覚えがないけれど、いつの間にか私の中にはグリム童話が存在している。絵本の記憶の仕方と、グリム童話の記憶の仕方は、少し違っているようだ。
 理由の一つとして、グリム童話の成り立ちが関係しているように思う。グリム童話はグリム兄弟がドイツの伝承や民話を中心に収集、編纂したものらしい。文学、というよりも、人々の間で長らく語り継がれたもの。それがグリム兄弟によってまとめられ、時を越え、世界も越えて、幅広く人々に親しまれ、意識しないほど身近になっていった。そう考えると、いつのまにか私の中に入っている理由もわかるような気がする。
 おそらく私は数多くのグリム童話をいろいろな媒体を通して、いろいろな場面で知っていったのだ。そして、それらの断片を私のなかでつなぎ合わせ、想像し、自分自身のグリム童話としていった。だから、きっとこれという体験ではなく、浸み入るように、いつのまにか私のなかにグリム童話の登場人物たちは存在している。現にグリム童話といって私が最初に思い浮かべるのは、行ったこともない、写真などでみたことはあるかもしれないが、どこでみたかもわからない、暗いドイツの「森」なのだから。
 同時にもしかしたら、民話や伝承、昔話というのは、そうやって語り継がれていくのかもしれないとも思う。遠く、時代も違う人間たちが生きた感触を、今に生きる人間に伝える手段だったのかもしれない。

 SPACのグリム童話を観たのは、8年前だ。
その全容を思い出すのは、正直難しい。だが強烈な印象がやはり残っている。白い折り紙をモチーフにした美術、ささやきのような声と音楽、まるで絵のように立つ俳優たち。ひとつひとつのシーンが、まるで美しい絵本をめくっていくような体験だったと記憶している。そしてその絵本は自分が抱くグリム童話の世界(きっとそれはかつて自分が物語から想像した世界なのだけれど)、その感触、匂いにそっくりだった。
 観劇体験は幼いころ、絵本や童話、昔話を見聞きした体験と似ている。劇場でした稀有な体験は、様々な感触とともに私のなかに刻み込まれているのだ。
 ぜひ劇場で目をこらして、目の前で繰り広げられる舞台の息遣いを感じて欲しい。その体験は一生あなたのなかに残るに違いない。演劇もまた、遠い昔から人間が生きた感触を「今」生きる人間に伝えてきた芸術なのだから。

【筆者プロフィール】
志賀亮史 SHIGA Akifumi
百景社主宰・演出家。2000年、劇団「百景社」を旗揚げ。2009年利賀演劇人コンクールで優秀演劇人賞(演出)を受賞。2019年「第9回シアター・オリンピックス」に参加。2013年より茨城県土浦市に劇団アトリエを構え、そこを拠点に活動中。