8月16日、静岡芸術劇場にてSPACシアタースクール『青い鳥』の発表会を開催いたしました。
13:30、17:00の2回の公演に、参加者の家族の方々、またはお友達だけでなく、たくさんの一般のお客様にも来場いただきました。
いずれの回も、子どもたちの開演直前まで緊張した面持ちが印象的で、幕が開いた後は、セリフを間違ったり、ダンスの振りや演奏のミスなどもありました。しかし、何よりも1ヶ月の稽古の成果をこの一瞬にかけようとする子どもたちの真剣な姿勢にお客様みんなが感動し、大きな拍手が送られたことは、参加者にとって何よりも喜びになったのではないでしょうか。
各回、終演後は、劇場のロビーで出演者全員でお客様をお見送りしました。
1ヶ月という期間はやはり短いもので、加えて今年は新作の『青い鳥』に挑んだことで、参加者にとってはあっという間の1ヶ月だったことでしょう。
部活や塾に通いながら、または遠方からの参加者も多く、毎日劇場に通い稽古をするということは想像以上に大変なことだったと思います。しかし毎日笑顔で劇場に通う姿や、稽古の休憩中SPACの俳優やスタッフたちと楽しげに話している姿を見ると、きっと楽しく、そして充実した稽古の日々を送ってくれたのではないでしょうか。
また、演劇を通して多くのことを知り、学び、経験してくれたと思います。ご家族の皆様からも今回のシアタースクールについて、「有意義であった」、「参加させて良かった」、「毎日稽古を楽しんでいた」、などのご感想を、また次回も参加したいというお言葉とともにいただきました。
発表会の後、シアタースクール『青い鳥』で出会った仲間と、そして、ともに作品をつくりあげたスタッフと、最後まで別れをしのびました。
最後に、子どもたちからSPACスタッフへ寄せ書きを贈ってくれました。
手作りの素敵なサプライズプレゼントにスタッフ一同感激しました。
発表会パンフレットによせてのSPAC芸術総監督宮城聰のコメント
「人」という漢字は、ふたりの人間が背中を合わせてもたれあっているかたちから作られた象形文字です。
つまり人間というものは一人では生きられない動物なのだということですが、人が集団を作ればかならずそこには人と人の「関係」が生まれ、おのおのの「役割」が生まれます。
「関係」と「役割」――これ、演劇の基本とまったく同じですよね。
つまり、人が生きていくということは自分という「役」を演じるということで、つまり人生は舞台と同じだということになります。
「演じて生きる」というと、なんだか、「自然体で生きる」ことの正反対で、よくないことのように感じる人もいるかもしれません。たとえば「親の期待が大きかったので“優等生”を演じて生きて」きて、そのためにその子にストレスがたまってしまった、とかいう話、よく耳にしますね。
でもこういったケースはたいてい「無自覚に演じていた」という話で、実は「自分は、いま、演じているんだ」という自覚を持っていれば、それがストレスをしのぐのに役立っただろうと考えられます。
集団を作って生きれば、当然、人には大きなストレスがかかります。これは当たり前のことです。ものすごくたくさんのルールにしばられているのですから。だから、人間にはストレスがあるということを前提として、でもそのストレスとどうつきあっていくかが生きる上での知恵ということになるのだと思います。「演じている」と自覚することも、その知恵です。
演じていると自覚したら、次にはだれでも「うまく演じたい」と思うようになりますよね。でもこの「うまく演じる」ことをかんちがいすることもまた多いです。たとえば「いま、自分はうまく演じているだろうか?」と考えてばかりいると、実際にはヘタな演技になってしまいます。これは、舞台の上の俳優を見ていればよくわかりますよね。うまい俳優さんは、「いま自分はうまく演じているぞ」とか考えてはいないのです。
では、かんじんなことは何でしょう?
それは「関係」です。
うまく演じるためには、相手をよく見ないといけません。相手との関係に敏感でなければいけません。相手から出てくる情報をひとつも逃がさないで受け止めるために、自分の体のたくさんのとびらを開いていなければなりません。もしそれができれば、そのとき人の行動は素晴らしい演技になります。
舞台の上では、自分のことを考えてしまうと体のとびらが閉じてしまいますが、相手に敏感であれば、結局、自分のことも見えてくるのです。ひとことで言えば、自分と他人がいかにちがうかを体全体で感じることで、その場に自分がいるということの実感がわいてきます。そして、それを「楽しい」と感じることができたとき、舞台の上と、舞台の外の世界が、そのひとの中でつながるのです。
わたしたちがSPACで作ろうとしているのは、そういう舞台です。
きょうもきっと、出演するみんなが、おたがいのちがいを楽しんでくれることでしょう。そしてそれを目にするとき、客席と舞台もまたつながることでしょう。
―― 宮城 聰(みやぎさとし/SPAC芸術総監督)