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2013年3月14日

不定期連載 クロード・レジがやってきた(1) ~『室内』関連ブログ~

SPAC文芸部 横山義志

クロード・レジがふたたび静岡にやってきた。ようやく3週間の『マハーバーラタ』フランスツアーが終わったかと思うと、劇場では、帰国の二日後の2月25日から、クロード・レジと何度か仕事をしてきた女優ベネディクト・ル・ラメールによるワークショップを開始。そして先週末の3月8日にはレジ本人も来日して、3月10日からメーテルリンク作『室内』製作のためのオーディションがはじまった。

クロード・レジ
↑クロード・レジ

ベネディクト・ル・ラメール
↑ベネディクト・ル・ラメール

レジを日本に紹介することは十数年来の念願だったので、2010年に『彼方へ 海の讃歌』(フェルナンド・ペソア作)の静岡公演が実現したときには、劇場で働いていてこれほど幸せなこともないのではないかと思ったが、今度はなんとSPACで、日本人の俳優と一緒に作品を作るという話になっている。数年かけて準備してきた企画ではあるが、よく考えて見ると、ほとんど自分の頬をつねってみたくなるような話でもある。せっかくの機会なので、公演が実現するまでのあいだ、レジについて、少し書いておきたい。

レジがどんな演出家なのか説明するには、私がはじめて見た『だれか、来る』(ヨン・フォッセ作)の話からはじめるのがいいだろう。これはノルウェーの作家による戯曲で、1999年にパリ郊外のナンテール・アマンディエ劇場で上演された、レジの代表作の一つである。男女のカップルが、人が通りかかることもないようなところに家を買って、二人だけの生活をはじめようとしていたところに、家を売った元家主という男が訪ねてくる、という話。劇場に入った瞬間から、舞台も客席も薄暗く、フランスの劇場らしからぬ奇妙な沈黙が支配している。完全に暗転し、上演がはじまったらしいが、長い間ほとんど真っ暗で、物音が一つも聞こえない。しばらくすると、暗闇のなかにぼんやりと、ベンチに腰掛けているらしき男女が浮かび上がってくる。フランス人がしわぶき一つ洩らすのもためらうような静けさに耐えているのを見るのは、これがはじめてだったのではないか。やがて、女が一人で家にいるとき、元家主を名乗る男がドアをノックして、「ビールを買ってきたから」と、ビール瓶が入っているビニール袋をちょっと振るのだが、このビール瓶が触れ合う音が、劇場を震わす大音響のようにすら聞こえた。

(ちなみにこの作品はその後、太田省吾さんも上演していて、2004年発行の『舞台芸術』誌第5号に太田省吾さんの文章と合わせてレジの演出ノートも掲載されている。)

フランスの演劇人たちは、レジの話をするときに、冗談で「見えない、聞こえない、動かない」などという。まさにその通りで、これほど「何を見ていいのか分からない」作品をつくる演出家もなかなかいないだろう。にも関わらず、フランスの演劇人だけでなくダンスや文学関係者なども含めて、これほど多くのアーティストが敬意を込めて語る演出家も他にいないのではないか。一方で、レジの名はフランス以外ではほとんど知られていない。その最大の理由は、めったに国外ツアーをしたがらないことにある。その理由は二つある。まずは、字幕をつけたがらない、ということ。たしかにレジ作品の暗さでは、字幕の明るさですらかなり目立ってしまう。静岡公演ではなんとか字幕をつけさせていただいたが、スウェーデンでの『海の讃歌』公演では、字幕はなしで、なんと観客全員にスウェーデン語訳の本を事前に送らせたという。もう一つの理由は、俳優が疲れてしまう、ということである。これはできるだけ多くのところで公演しようとしている多くの演劇人にとってはちょっと信じられないような理由だが、レジはいたってまじめである。たしかに、極度に動きが制限されるレジの作品では俳優にかなりの集中力が要求されるために、それだけの集中が可能になる環境でしかやりたくない、ということだろう。レジは100回目の公演だろうと、必ず客席中央後方のいい席で、舞台をじっと見ている。自分が納得できる舞台しかやりたくない、というわけである。

では、なぜレジはそこまでして「見えない、聞こえない、動かない」作品を追求するのだろうか。そして、そこまで国外にすら出たがらないレジが、なぜあえて静岡で作品を作ろうと思い立ったのだろうか。

(つづく)