去る8月、静岡芸術劇場にて上演された、SPAC夏物語2009『走れメロス』公演。
観劇いただいた小学生から高校生まで、たくさんの方々に観劇感想文をお送りいただきました!
舞台の上で俳優の生の演技に向き合った1時間。
様々な視点から身体中で作品を感じとり、自由な、自らのコトバで表現してくれました。
本日、そんな感想文の中から、幾つかの文章を皆様にご紹介いたします!
今年生誕100年を迎える太宰治の名作『走れメロス』。
既にお話しをご存知の方も、ご存じでないという方も、
彼らの生き生きとした文章を読んで、是非、『走れメロス』という作品を身近に感じてみてください!
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『劇の中にまきこまれて』
静岡市立清水三保第二小学校六年 遠藤みのりさん
私は、友達にさそわれて、初めてSPACの演劇を見に行きました。舞台で、見させてもらいました。
始めるまでの時間が、とても長く感じました。舞台セットに、大きな黒い手や、白黒のマス目のようなゆか、俳優さんが、朗読をしているな、と思っていたけれど、本を持っていなかった。でも、そう見えました。
劇が始まると、出演者が二人だけだったので、びっくりしました。メロス役を演じていた人は、ずっとメロス役を演じていて、朗読をしていた人は、王様になったり、メロスの心のささやきになったり、山ぞくになったり、メロスの友人にもなったり、メロスの妹になったり、メロスの妹のだんなさんになったりしていました。こんなにたくさんの役を、二人だけでやっていて、すごいと思いました。
舞台の上で見せてもらったので、私は、どんどん劇の中にまきこまれていきました。メロスが、思ったことや、感じたことが自分と重なってきました。
劇の中で、メロス、王さま、友人の感情がいろんな展開をまき起こしていました。メロスと友人は、元々親友だったけれど、最後の場面で、疑ったり、あきらめそうになってしまったことを知って、なぐり合った時、もっと、お互いのことを、心底から親友になれたと思いました。王さまは、メロスという人が、分かり合ったことを見て、心から改まったと思います。きっと王さまは、人を殺したくなくて、本当は、町で、ワイワイと楽しく暮らす人々がうらやましくて、自分もその輪に入りたかったんじゃないのかな、と思いました。
8月7日観劇
『本当の友情』
静岡市立清水三保第二小学校六年 宮城嶋静加さん
「舞台の上に座っていいよ。」
と言われて私はびっくりしました。今までSPACの劇はロビンソンクルーソーや夜叉ヶ池などいっぱい見たことがあるけど、舞台の上に座って見るなんて考えたこともありませんでした。ずっときんちょうして体育座りでみていました。
自分で「走れメロス」の本を読んだときは王様は悪い人、メロスはいい人、と思いました。私にはそんな友達はいないと思いました。
劇を見ていたらメロスは意外に弱い人間でがんばるときはがんばるけどあきらめると自分に言い訳をしたり開き直ってしまったりしていた。メロスは最初強がっていたけど、やっぱり人間だから、弱さがあるんだと思う。
初めに王様が言っていたことは、まちがっていないかもしれない。メロスはと中で友人を見捨てそうになったし、セリヌンティウスは、メロスを疑いそうになった。王様の言う通りになってしまった。本当にあきらめないとか本当に疑わないということは、できないことじゃないかと思う。私だったら、友人だからこそ人質に推せんしたりしないし、断られたりしてもしょうがないし、自分だって引き受けない。だけどいろんな友達がいっぱいいて、みんな大事です。メロスとセリヌンティウスは、弱い所を認めあったからこそ本当の友人になることができたし、王様の心もかえることができたと思う。
8月7日観劇
『王様に足りないもの』
富士宮市立富丘小学校六年 鈴木優花さん
メロスは、友のために走り続け、力つきても走り続けた。骨折して、立ちあがれなくなっても、セリヌンティウスの命のことをかんがえると走らざるをえなかった。そこには、友のことを思いやる心があった。私は走れメロスのげきを見て、メロスとセリヌンティウスの友情に感動したと同時に、メロスと対照的な王様に、人を思いやる心と、人を信じる心が足りないと感じた。
王様は、人を信頼できなくて、気に入らない人は、ことごとく殺してしまう。だから、メロスはそんな王様が許せなかった。王様の考え方を改めさせ、人は信頼できるそん在であることを教えたくて走ることになった。セリヌンティウスの命にかえても。
人を信頼し、信頼されるという関係は、どこから生まれてくるのだろうか。なやみをうちあけたり、相談相手になってあげることで、いつも友の気持ちが分かりあえる、そんな人間関係を築くためには、何が必要なのだろうか。それは、まず、相手のそん在をみとめてあげることからはじまり、よく話をして、理解しあうことから生まれてくると思う。だから、遠くはなれていても友の気持ちがわかりあえる。友が今なにを考えているかわかり、それにこたえようとする気持ちがわきあがってきて、友のために何かしなくてはいけない気持ちになる、そんな関係が、絆、友情という言葉で表わされるものだと思う。だから、王様も身近にいる家来や国民に心を開き、話をして、相談相手になってくれる人づくりをしなくてはならない。王様は自分が一番えらい人だと思っていばっているだけではダメだと思った。
走れメロスを見て私は今の自分をふり返り、自分は仲の良い友達がたくさんいるけれど、本当に心の底から「信頼できる友」っていうのは、自分にはいないかもしれないと思った。だから私も、王様のようにならないように、心を開き、話をして、相談しあえる友達づくりをしていきたいと思う。
8月7日 観劇
『舞台の上から気がついたこと』
清水三保第二小学校六年 筑後真由さん
私は、毎年子ども大会に出ていたので、舞台のことは、よく知っていると思いました。だけど、反対側に客席があったり、ライトがとても近くまで下がっていたり、手があって、それは舞台の真ん中でした。バレエの発表会だと舞台道具は、はじにあるのに。
王様のはじめの泣いたような声をきいて、王様は本当は人を殺したくない、みんなで楽しく平和にくらしたい、でも、もやもやして、気持ちがおさまらなくて、殺してしまっているんじゃないかなと思った。本当は人を殺すことをくぎりたいんだけど、やめられないと思った。
メロスが友人をうらぎって、もうだめだと思ったときと、友人が、メロスをうたがって、くるのかと思った時は、同時だったんじゃないかと思った。だから、信じ合う、許し合うときも、心がつながったと思う。
メロスが、明るいときと、暗いときでは、ライトの色も、お客の顔もちがっていた。おどりや表現のしかたも、楽しいと、体をおおきく動かしていた。いろいろなところに移動しているときは楽しいときで、そのばで、ゆっくりと動いているのが悲しいと思った。
来年はわたしも演劇にでてみたいと思いました。
8月7日観劇
『走れメロス』
静岡大学教育学部付属静岡小学校四年 久保田怜奈さん
私は、走れメロスを見ていろいろなことを学びました。
メロスがほねがおれるまで走って本当は、走れないはずなのに走りました。
「どうしてメロスは走れたのかなぁ。」
それは、メロスがセリヌンティウスに信じられているからということと、王様は信じていないからメロスは、王様に思いしらせてやろう思っていたから走ったんだと思います。友人を人じちにしてまでメロスは、3日後に必ずもどってくると言ったのだから、もどってこれなかったり間に合わなかったら、セリヌンティウスもころされてしまうし、王様にうそをついたことになるからもどってこれなくてこうかいすることになったらいやだから走ったんだと思います。
セリヌンティウスとメロスはとてもきずながつよいんだと思います。だってメロスがいきなりセリヌンティウスに人じちになってくれと、たのんで人じちになってくれたのだから、そしてきずなが強い関係というのは、信じ合える関係でもあるのかなぁと思いました。
王様はさいごメロスとセリヌンティウスたちの心に負けました。それは、信じる力ややさしい心が強ければ、どんなに力の強い人でも負けてしまうんだなと感じまいした。
はいゆうさんも、始まってすぐにあせをながしていたからとっても心をこめて演じていたことが伝わってきたし、声が大きくてとても練習したんだなぁと思いました。
ありがとうございました。
8月7日観劇
『走れメロス』
学校組合立牧之原中学校一年 高塚咲さん
私は、今回、舞台の上で「走れメロス」を観劇しました。自分も一緒に演技をしているような気持でした。
私が一番印象に残った場面は、メロスが王城に向かう途中にあきらめようとする場面です。あきらめてしまえば自分は助かるけど、親友であり、メロスを信じて待っている、セリヌンティウスを裏切る事になるし、自分のかわりに殺されてしまうということになります。メロスは、川を越えて、山賊と戦い、体も心も限界だったと思います。もし私がメロスの立場だったら、あきらめる方を選ぶかも知れません。しかしメロスは、そこから立ちあがって王城へと向かって行きました。これだけ大変な思いをしても、絶対約束を守ろうとするメロスは、とてもかっこいいと思いました。私もメロスのように約束を守れる人になりたいと思いました。
また、床の色や客席の位置などにも、しっかり意味があるという事におどろきました。細かい所まで考えて構成されていてすごいと思いました。途中でお米が降ってきたシーンも、私は雨をイメージしているのかなと思ったけれど、本当は砂時計を表していると聞き、なるほどなと思いました。いろいろな所に、いろいろな考えがかくれていて、おもしろいなと思いました。
役者さんの演技はとても迫力があり、どんどん物語の中へ引き込まれていく感じでした。物語の中に実際に入っている気がしました。
私は、このような舞台をあまり見た事がなかったけれど、今回の「走れメロス」を見て、演劇って素晴らしいなと思いました。役になりきって演技をしている役者さんを見て、とても感動しました。また、他の作品もぜひみてみたいです。
8月7日観劇
『走れメロス』
静岡市立末広中学校三年 渡邊清楓さん
メロスは・・・激努した。メロスは激怒した、走った踊った叫んだ。そしてメロスの表現者はメロスのそれらを全身で余すことなく表現した・・・。
私は今までに二つの走れメロスと出会ってきました。一つ目は学校の教科書に載っていた小説、二つ目はSPAC冬物語で上演された舞台です。それらに共通した感想は、『メロスとセリヌンティウスの友情はすごい。こんなに強い友情は他にないんじゃないかなぁ。』と、いったものでした。私の中の走れメロスは『真の友情物語』に他なりませんでした。
しかし、今回の走れメロスは何かが違いました。『私の中の走れメロス』にどうしてもおさまりません。
もちろん舞台の内容は素晴らしく、斬新な舞台の使い方にとても驚きました。本の中から飛び出してきたメロスが舞台上を駆けまわり、読者や観客をいつのまにか走れメロスの世界へと引き込んでしまいます。メロスがイキイキとした顔で喜び踊れば私もウキウキと楽しくなってくるし、逆に悲しんだり苦しんだりすれば私まで辛く切なくなってくるのです。又、客席のおき方には本当に、「スゴイ!劇場ってこんな使い方もあるんだ、可能性は無限なんだ・・・!」と、思いました。私は舞台上席で見させていただいたのですが、予想以上の近さ。俳優さんの息づかいや瞳の色、独特の緊張感と精神力を文字通り肌でピリピリと感じます。今までで一番メロスを身近に感じることができました。
ただ、どうしてもメロスののイメージが変化したのがモヤモヤとしていて分かりません。確実に『私の中の走れメロス』はこれまでと違うのに、どう違うのかがうまく言い表せないのです。そして、そんな私のモヤモヤを一瞬で明確にしてしまったのは、演出家の安田さんの一言でした。
「走れメロスは単純な真の友情物語ではなかった」
私は雷に打たれたような衝撃をうけました。心の中の霧が嘘のように晴れわたります。そうだ、そうだったんだ!どうしても分からなかったモヤモヤは、今まで思っていたものと真逆の走れメロスを見つけたから、私の中では間違いなかった真の友情物語と真逆のメロスを私の体が感じたから起こったものだったのです。
安田さんは言いました。「本当の親友なら、相手は絶対に自分を分かってくれるという自分勝手な根拠で自分勝手な条件をおしつけたりはしないし、それをすんなりとうけ入れてしまったりはしない。現にメロスとセリヌンティウスは一度、お互いを裏切ってしまった。」と。確かにその通りなのかもしれないと思います。一度や二度読んだだけでは真の友情の物語。でも、何度も接しメロスに近づけば近づく程『真の友情に気づき手に入れる物語』というもう一つの顔を知ることが出来るのです。
正直私は、どうして走れメロスに対する気持ちが変わったのかが分かりません。ポイントで「これは!」とひらめいた訳ではなく、見ているうちになんとなく変化していったとしか言えないのです。ただ、一つはっきりしているのは今回の走れメロスだからこそ生じた気持ちだということ。メロスのことを、俳優さんを通して肌で感じたからこそ、変化は産まれたのだと思います。二時間にも満たない短い時間で人の心に大きな変化をもたらしてしまう劇場と舞台と俳優、そして演出家。とにかく全ての力が大きく素晴らしいということを深く感じました。
8月7日観劇
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来る11月、SPAC秋のシーズン「演劇入門!1時間劇場」として、
『走れメロス』が趣き新たにパワーアップして再登場!
舞台芸術公園の「BOXシアター」という空間で、
駆け抜けるメロスを、目で、耳で、肌で感じてみて下さい!
1時間にギュッとつまった友情のカタチ。
濃密なスペースで繰り広げられる熱いひとときに、
小説とはまた一味違うメロスと出会うことができるはず。
※SPAC秋のシーズン『走れメロス』
構成・演出:安田 雅弘
原作:太宰 治
出演:SPAC
日時 / 11月28日(土)、29日(日)、12月5日(土)、6日(日) 15:30 開演。
会場 / 舞台芸術公園 稽古場棟「BOXシアター」