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2013年11月15日

『わが町』舞台監督・内野彰子ロングインタビュー

カテゴリー: 『わが町』2013

中高生鑑賞事業「SPACeSHIPげきとも!」 パンフレット連動企画◆

中高生鑑賞事業公演では、中高生向けの公演パンフレットをみなさんにお渡ししています。パンフレット裏表紙のインタビューのロングバージョンを連動企画として、ブログに掲載します。

舞台監督:内野彰子(うちのあきこ)
静岡県静岡市出身。宝塚歌劇団生、シナリオライター等を経て、2004年よりSPAC在籍。SPACでは制作、音響を担当後、舞台監督を手がける。

【写真 舞台装置の椅子を倉庫から稽古場へ運ぶ休憩中に
右:内野彰子 左は『わが町』担当の創作技術部スタッフら】

<宝塚との出会い>
——舞台に興味を持ったきっかけは何ですか?
内野彰子(以下内野):高校の時、進路を考えていると、前の席の女の子から「彰子ちゃんは宝塚に行けば?」と言われたのが始まりです。宝塚の雑誌を見せてもらったんですけど、最初は「何これ?」という感じでした。あつい舞台化粧(けしょう)とつけ睫毛(まつげ)の女性がいっぱい載っている……今ではつけ睫毛は珍しくなくなりましたが、当時は強烈な印象があった。その子に連れられて日比谷の東京宝塚劇場に行き、舞台を見ると、「これも進路のひとつなのかな」と思ったんです。これが進路として舞台の道を考えた最初です。
——それまでは歌や芝居をやっていたわけではないんですか?
内野:小さい時に合唱団で歌っていたのと、ピアノを習っていたので、楽譜は読めました。また学校の創作ダンスの授業が大好きだったのですが、ちゃんとした舞台を見たことはなかった。宝塚音楽学校の受験のためにバレエを習い始めました。即席なのでずいぶん苦労しましたが、受験のための勉強をやればやるほど大変さがわかり、これは無理かもしれないと思いましたが、なぜか合格発表で自分の番号があって…宝塚に合格してしまいました。
——すごいですね…。
内野:宝塚音楽学校の2年間はついて行くだけでも大変。まわりは皆、3歳からバレエをやっていて足が腕みたいにピューって上がったり、オペラ歌手みたいに堂々と歌っていたり、そんな人たちばかり。宝塚音楽学校は予科と本科の2年制で、でも劇団に入ると研究科1年生2年生…と上は果てしない。音楽学校では、上級生は絶対であること、同期の誰かが失敗をしたらその人をかばい守ること、そういうことが自発的に行われなければいけないということを教え込まれます。劇団に入ると、上は果てしなくありますから、10年選手まではまだまだ下級生。期が違う人とも、手を取り合って頑張るようになります。でも、そんな音楽学校時代を経て、秩序が体に刻まれているので、一期上は一期上。同期にまずいことが起こったら助けるとか、上の人にどんなに甘えても越えてはいけない一線があるとかは、ここでも同じということがわかってくるんですね。

<一歌劇団生の転機>
——宝塚には何年くらいいたのですか?
内野:13年です。音楽学校を入れると15年。
——毎日舞台に立っていたんですよね?
内野:ずーっと。毎日、稽古しているか公演に出るか。1日2回公演もありますしね。ずっと劇場にいる。朝、渋谷区恵比寿にある寮から地下鉄の駅まで歩く5分だけ太陽に当たる。地下鉄に乗ると、日比谷駅についてそのまま劇場に入るし、帰る時は夜中ですから。「私たち、ドブネズミみたいだね」ってよく言っていました(笑)
——宝塚をやめるきっかけは何だったのですか?
内野:宝塚音楽学校時代から、あの子たちは宝塚の舞台に立つという目で見られる。私生活でもタカラジェンヌでいることが求められる。本当に宝塚はすごくいいところなんですよ。チケットはすぐに完売。営業をしたことはありません。仲間は素晴らしいし、特に同期生は欠けがえがない。理想の温室です。守られている。でもなぜか、そういうところじゃないところでやってみたくなったんです。
——なるほど。
内野:で、舞台に立つのではなく、何か書きたいという方向に行きました。俳優が命がけでやりたいと思うような脚本を書いてみたいという野望を抱き、シナリオライターをやり始めます。
——シナリオライターの時期はどうでしたか?
内野:テレビドラマのプロットライターをやったり、深夜ドラマを書かせてもらったりしていました。でもやっぱり舞台がいいなと思って、宝塚の下級生と一緒に、ギリシア悲劇のカッサンドラを抽出した一人芝居を書き下ろして、上演したりもしました。

<制作、音響、そして舞台監督>
——SPACヘ入ったのはなぜですか?
内野:シナリオライターの時期に、SPACがスタッフを募集していることを知りました。それ以前にも、一度SPACの舞台を見に来ていました。私は出身が静岡市なので、父親から「静岡でもギリシア悲劇をやっているぞ」と聞き、前芸術総監督の鈴木忠志さんの『ディオニュソス』を見たんです。あの舞台に巡りあえて、そして、鈴木忠志さんのなされてきた偉業によっていま私は生かされています。
 そのときSPACの契約条件は1年限り。じゃあ1年勉強させていただこうと思いました。静岡県の舞台芸術センターだから、きっと仕事は9時から5時で終る、そしてその後、自分の仕事ができるだろうと思いました。ドラマとか書けるだろうと…大間違いでした(笑) それからあっという間に2013年で10年目です。
 最初は制作部に所属していました。初めてやることばかりで、自分が何をしたらいいのか分からなくて、毎日雲の中をひたすら歩くような感じ。ただ現場の熱に圧倒されていた日々でした。そんな時に、宮城聰さん演出の県民100人による『忠臣蔵』という作品の担当になりました。県民が100人、中には人生のベテランみたいな人もいるわけです。10代から70代の人までいらっしゃって、それがおもしろかった。こんな方々と仕事ができる制作っておもしろいと思った後、音響に配属がえがあり、宮城さんが芸術総監督をするようになってから、舞台監督をするようになりました。

<舞台監督の仕事とは?>
——舞台監督はどういう仕事ですか?
内野:担当作品が決まると、稽古、本番、舞台のバラシ(片付け)が終るまでの長いスケジュールを組みます。舞台の初日までに必ず用意しなくてはいけない舞台美術、音響、照明、衣裳などの技術部担当のスケジュールを立てます。そこから逆算して、いつまでにどこまでつくらなくてはいけないかを考えると同時に、予算のやりくりをします。それから技術スタッフの作業の段取りやチーム分けをし、稽古が近づくと稽古のための準備です。仮小道具を用意したり。稽古が始まると劇場稽古のスタートのための準備。公演初日があくと客席清掃からお客さんが来て帰るまでの1日のスケジュールを立てて進めます。
——技術スタッフ全体の統率者ですね。
内野:そうですね。映画監督という言葉があるので、演出をする人と思われがちですが、舞台監督は、演出家が思い描く空間を実現するために、演出家と技術スタッフ、お客さんとの間の橋渡しをします。
——本番中はどこにいるんですか?
内野:舞台袖に舞監卓(ぶかんたく)という操作盤があります。迫り(上下する舞台床面)や吊りものの操作をする所です。そこにあるモニターに舞台の状況がうつります。トランシーバーみたいなものでスタッフと連携をとり、場面転換や音響・照明のキュー(入りの合図)を出したりします。

<舞台監督だから見えること>
——舞台監督のおもしろさは何ですか?
内野:舞台は、お客さんも含めて、その日に立ち会う顔ぶれがいつも奇跡的な組み合わせです。触れる縁で何かが生まれることがあります。はっきりと目に見えることではないんですが、それを感じられることがあるんです。研ぎ澄まされた感覚になり、繊細な何かを感じられる時がある。たくさんの星々が集まる天の川のような…宇宙の営みみたいな…でも、ここにしかないものです。そういう場に立ち会えることはこの上ない喜び。舞台監督は全体を見るのが仕事なので発見が多いのかもしれません。
——どういう時にそう感じるのですか?
内野:舞台袖から舞台を見ていて感じる時もあります。初日は誰よりも客席をのぞきに行きます。舞台から客席を見たり、客席へそっとまわったり。お客さんの反応を確かめたいんです。舞台監督をやっている限りは没入することはないのですが、どうしても引き込まれてしまう時はあります。クロード・レジさんの『室内』もそうでしたが、自分も空間に漂ってしまうような感覚。以前SPACに招聘(しょうへい)したイタリアの演出家ピッポ・デルボーノさんの『沈黙』『戦争』という作品を上演した時、ピッポさんの劇団はとにかくその輝きがすごかった。流れ星がぴゅんぴゅん飛び交っているような舞台。そこに立ち会えたことに、大きな幸せを感じました。


【写真 稽古場棟前で創作技術部スタッフとともに】

<舞台の奇跡に出会う喜び>
——星が飛び交う、宇宙の一部になるってすごいですね?
内野:あまり壮大に言うと、大げさに聞こえるかもしれませんが、でも本当ですよ(笑)
——そういう感覚を求めて仕事を続けているんですか?
内野:その感覚には飢えています。いつもその機会を狙っている。
——巡り合わせみたいなもので、偶然にそういう感覚が起こるんですか?
内野:いつも偶然。とはいえ、何かしらの努力と縁が条件になっています。条件は全ての作品にあります。と考えると、どの作品でも起こりうるんです。今回はなさそうだってことはない。ひとつの公演の中に必ずあるものです。家に帰ってきてから、劇場で得たその感覚が自分に力を与えてくれたりもします。そういうことが楽しい。
——条件はいつもあるのに、起こる時と起こらない時がある……ほかに何か要因があるんですか?
内野:つねに起こっているんだと思います。そこに気づけるか気づけないか。私は気づきたいと思ってやっています。

<演出家、今井朋彦の魅力>
——今回の『わが町』は再演になりますが、どうですか?
内野:すごくおもしろくなりそうです。第1期の稽古で、演出の今井朋彦さんが前回と少し変えたところがあります。作品の冒頭で、出演者が椅子を持って出てきます。舞台袖や客席など四方八方から。その椅子は自分の人生だったり大切なものだったりします。無造作に持ってきてもいいし、もてあそぶように持ってきてもいいし、乱暴に持ってきてもいい。ひとりがひとつの椅子を持つことが、ひとつの人生を背負っているように見える。作品全体を物語っているような感じがして、おもしろいなと思います。
——今井朋彦さんとSPACとの組み合わせは初演時にとても話題性がありましたが、実際にやってみていかがでしたか?
内野:今井さんは稽古で演じてみせるんです。さらっとやってみせるだけで、俳優に全てを伝えてしまう。今井さんは第一線の俳優でもありますから、俳優たちは、すんなり納得するわけです。

<『わが町』の素晴らしさ>
——内野さんから見た『わが町』の魅力は何ですか?
内野:素晴らしい本です。そして、今回の出演者とスタッフでしかできない作品になっていると思います。チラシにもありましたが、「生きているうちに人生を理解する人なんているんでしょうか?」ありきたりの小さな町の小さな家族の話ではあるんですが、そこに全てがあるということを感じさせてくれる作品だと思います。私は大好きです。
——中高生に、そのあたりをどう感じてもらいたいですか?
内野:私が感じていることと同じようなことを感じてほしいとは思いません。誰しも見るところは違います。誰かがこっちを見ていると、もうひとりはあっちを見ている。それは自由。私はこの作品に出会い、生きていることと死んでいることの間にどれだけの差があるんだろうと思ったりしました。肉体のあるなしは大きい差ですが、それ以上に、人間には見えていないことがたくさんあるんではないでしょうか。これもクロード・レジさんから教えていただいたことですが、私たちは時間も入れて4次元の世界に生きている。けれども、最新の物理学では11次元もが存在するそうです。となると人間は半分も知らない。そういうことに向かってアンテナをはっていくと、謙虚によりよく生きられるのではないかとおっしゃったんです。その話は今回の『わが町』にも通じるところがあると思います。ただストーリーやドラマに感動するだけではなく、実際に劇場に来ないと感じられないものを、大切に持ち帰っていただきたいと思います。大切に、なんて言うとおこがましいでしょうか。その日の舞台とともにそこに生きていたという感覚を持ち帰っていただければ、という思いです。

(2013年10月13日静岡芸術劇場にて)
(インタビュー:ライター西川泰功

鑑賞事業パンフレットは、一般公演でも物販コーナーにて販売しています。

写真『わが町』パンフ表紙写真