◆中高生鑑賞事業「SPACeSHIPげきとも!」 パンフレット連動企画◆
中高生鑑賞事業公演では、中高生向けの公演パンフレットをみなさんにお渡ししています。パンフレット裏表紙のインタビューのロングバージョンを連動企画として、ブログに掲載します。
演出補:中野真希(なかのまさき)
東京都出身。2006年よりSPAC在籍。SPACでは俳優のほか、演出や技術スタッフの仕事もこなす。
——「演出補」の仕事とは、どのようなものですか。
中野真希(以下中野):演出家が稽古に来られない時に、俳優の台詞や動きなどをチェックしたり、稽古に参加できない俳優がいる時には、かわりに台詞を言ったりしています。海外ツアーなどで演出家が同行できない公演では、演出家のかわりに俳優をとりまとめ、舞台スタッフとの間の調整をします。
——中野さんはSPACの中で、様々な仕事をしていますが、演出補以外の仕事についても、教えてください。
中野:まずひとつは、俳優。それから、人材育成事業で小学生から高校生に演劇を教えています。また、照明や、舞台裏で装置を動かしたり、小道具を俳優に渡したりするハンズという裏方の仕事をすることもあります。
——そもそも、演劇に関わり出したきっかけはなんですか。
中野:高校生のころ、周りの人にはバンドやスポーツといった打ち込めるものがあって、うらやましく思っていました。自分にもそういうものが何か欲しいと思っていた時に、友達と通っていた喫茶店の渋いマスターから、今度自分が出る芝居を見にこないかと誘われたんです。そのマスターは後から知ったんですが、木場勝己(きばかつみ)さんという、今でも活躍する俳優さんだったんです。それで見にいった『あの大鴉、さえも』(竹内銃一郎作)という舞台がすごく面白くて、これだと思いました。大学に入学して演劇部に入りました。そのころは、竹内銃一郎さん、北村想さん、別役実さんといった劇作家の作品をやっていました。大学には、勉強をしに行くというよりも、芝居をしに行くというような感じでした。だから、卒業したら普通に就職するのもおかしいだろうと思い、そのまま芝居を続けることにしました。
——大学を卒業してからも演劇を続けるのは、大変なことではないですか。
中野:そうですね。当時はアルバイトをしたり、親に経済的に支えてもらったりしながら、芝居を続けていました。大学の演劇部の公演を見にきてくれた小劇場系の劇団の人たちから誘われて、いろんな舞台に出演している内に、だんだんと活動の幅がひろがっていきました。そんな中、今のSPAC芸術総監督・宮城さんに声をかけてもらい、劇団「ク・ナウカ」に第2回公演から参加することになりました。SPACには、2006年から所属しています。
これまでに、「もう芝居をやめよう」と思うことは何度もありましたが、その都度こうした不思議な出会いがあって、やめずに今に至っています。20代の半ばには、大きな病気をしたんですが、今も演劇を続けていられるのには、その経験もあるのかもしれません。病気になった時、人間いつ死ぬか分かんないんだから、やっぱり好きなことをやろうと開き直れて、それまでの「力み」みたいなものも、すうっと取れたんです。
——俳優以外の仕事はいつごろから始められたんですか。
中野:演出に関しては、ク・ナウカの新人公演や小さい公演でやらせてもらっていました。昔から、よく年下の俳優にもいろいろアドバイスのようなことをしていたので、きっとそういうのを見て任されたんだと思います。スタッフの仕事については、小劇場系の劇団だと俳優が裏方仕事も兼任するのが常なので、照明とかは昔から好きでやっていました。スタッフの仕事をすることで、舞台で俳優をやっているだけでは気づけないことにも、目が向けられるようになりました。
——SPACでいろいろな仕事をしている中で、一番好きな仕事は何ですか。
中野:やはり俳優をやっている時や、演出をしたりと、直接人を相手にしている時間が一番好きですね。今は、人材育成事業で小学生から高校生という若い世代に演劇を教え、演出するのが、一番面白いです。SPACに来るまでは、こんなに若い世代と接することはなかったので、自分には向いていないんじゃないかと思っていたのですが、やってみると意外と楽しかったです。
——毎年夏に行なわれる演劇教室「シアタースクール」ですね。いつから関わっているんですか。
中野:宮城さんが芸術総監督になった2007年の立ち上げから関わってきました。その年は、『オズの魔法つかい』を稽古して、最後に発表会をしました。SPACで新たに一から始める企画ということに加え、参加者が60人もいたので大変でした。当時は、毎日稽古が終わった後に、スタッフで集まって反省会をやって、どう進めていったらいいのかを話し合っていました。小学校高学年から高校生という繊細な年頃の大人数で、ひとつの舞台を作っていくので、スタッフは芝居以外のところでも細かな気を配っていく必要があります。こちらが望んでいることが、すぐに成果として出る参加者もいれば、それが出るのに時間がかかる参加者もいます。時には、それまですごく大人しかった参加者が、稽古を通して元気になりすぎてしまうことも。そんな中で発表会に向けて全員をまとめていくのは、決して簡単ではありません。その大変さは今でもかわりませんが、参加者の日々の変化をつぶさに見られるのは面白くて、とても充実したやりがいのある仕事です。
——2007年にスタートというと、今年はもう7回目ということになりますね。
中野:はい。こうやって毎年続けていると、1回だけではなくて、2回、3回と参加してくれる人も出てきます。そうすると、2度目や3度目の参加者が、初めての参加者のお手本になるんです。だから、最近は立ち上げ当時よりも作品が早く仕上がるようになってきていますね。経験や技術が参加者の中に蓄積されていって、前の年よりも全体として少しハードルを挙げていくことができるんです。シアタースクールへの参加を通して、将来俳優になりたいと思い演劇を続ける人も出てきました。初期の参加者が、あと数年で学生を終えます。自分の教え子とSPACで一緒に仕事をする時が来るかもしれないと思うと、今からとても楽しみです。
——演劇に関わっている中で、心がけていることはありますか。
中野:客観的に人をよく観察し、日々なるべく新鮮な気持ちで人と接することです。長い間一緒に仕事をして、お互いを分かった気になると、集団はだめになります。お互いが昨日とは違うんだ、この人はいつまでたっても何を考えているのか分からない他人なんだということを忘れずにいたいです。演劇をする上で、この距離感が大事だと思います。
——最後に、SPAC版『忠臣蔵』の魅力を教えてください。
中野:まず戯曲が面白いですね。劇作家の平田オリザさんは、赤穂事件の当時、主君の切腹を知らされた家臣たちは、城の中でこんなことを話していたんじゃないかという様子を、現代語で面白おかしく描いています。会話がよく計算されていて、実際に読んでみると、うそがないというか、こんなこと普通は言わないよなという台詞はないんです。社会や人をすごくよく観察して書かれていると思います。そこに宮城さんの様式的な演出が入ります。みんな正面を向いて、直接相手をみないでしゃべるとか…。その辺りは、舞台を観てのお楽しみということで、劇場でお待ちしています。
(2013年11月6日静岡芸術劇場にて)