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2014年7月28日

【アヴィニョン・レポート】 リベラシオン紙に吉植荘一郎インタビュー掲載

リベラシオン紙に『室内』出演の吉植荘一郎のインタビューが掲載されました。
またまた、SPACの会会員の片山幹生さまが翻訳してくださいました!

※元文はこちら

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吉植荘一郎インタビュー:「レジは沈黙を聞きなさいと私たちに言いました」
(インタビュアー:ルネ・ソリス)
『リベラシオン』紙 2014年7月17日

INTERVIEW「俳優が演出家との仕事について語る」

宮城聰の劇団の俳優、吉植荘一郎は『室内』で老人役を演じる。宮城の劇団の他のメンバーたちはアヴィニョン演劇祭で『マハーバーラタ』の上演に参加している。

─最初にメーテルリンクのテクストを読んだとき、どのような感想をもちましたか?
そんなに難しくはなかったのですけれど、読んだ翌日には頭にほとんど内容が残っていませんでした。水のように流れ去ってしまいました。もし普通の演劇のように、沈黙の重要性を考慮しないままメーテルリンクの作品を演じたら、それはとても凡庸なものになってしまうでしょうし、観客は書かれていることの面白さは理解できないでしょう。

─メーテルリンクは日本で知られているのですか?
『青い鳥』だけは知られていますが、沈黙と無意識の重要性は理解されていません。むしろ子供のための道徳的な童話だと思われています。

─でも沈黙は能の本質的要素ですよね?
確かにそうなのですが、現代演劇の場合はそうとも言えないのです。稽古では、クロード・レジは私たちに沈黙に耳を傾けるようにといつも言っていました。なぜなら沈黙がわれわれに様々なことを教えてくれるからです。しかしメーテルリンクにとっての沈黙は独特のもので、それは喋らないということだけではなくて、聞こえないことに耳を傾けることでもあるのです。

─それは能の考え方とは遠くないのでは?
能との共通点は死であると言うことができるでしょう。聞こえないことに耳を傾ける、そして見えないものに目を注ぐ。そう、まさにクロード・レジはこの点で、日本の伝統演劇と出会ったのです。

─ではあなたは、どんな演劇をやってらっしゃるのですか?
私の演劇はクロード氏の演劇の対極にあるものです[編集部注:吉植氏は相撲取りのように腕を組んでしゃがみ込んだ。それから大きなうなり声をあげて、高らかに笑った]

─最初の稽古のとき、あなたはこんなふうに演じたのでしょうか?
もっと静かに話さなくてはならないということはわかっていました。静岡の半地下にある劇場で作品は初演されたのですが、そのとき私は、声の音量を下げれば下げるほど、観客の注意を引きつけることができることを感じました。まるで私の重心がとても低い位置にあるかのように。私はこれに気づいたとき、非常に感動しました。

─観客たちも感動していましたか?
観客は驚愕していました。観客のひとりは劇場の出口で「夢のようだ」と言いました。

─日本では観客は行儀がいいのですか?
そうですね。客席に入ったとたん、日本の観客はお喋りをやめます。そして上演中に会場を出ることもない。

─クロード・レジの稽古はどんな感じなのでしょうか?
大きすぎる声で話してはならないと彼はいつも私たちに言います。完璧というのは存在しないんだ、でも毎晩毎晩同じ状態を取り戻すためにはあらゆる事をしなくてはならない、と説明してくれたこともあります。この言葉に、私は日本の古典の冒頭が思い浮かびました。「ゆく河の流れは絶えずして、 しかももとの水にあらず」

─レジはあなたがたに自由を許してくれますか?
束縛された状態があるからこそ、人はより自由な精神を持つことができます。静かに話すことによって、より注意深くなり、身体のなかにより深い感情を探しに行くことができるようになります。

─この経験は俳優としてのあなたを成長させるものになると思いますか?
私がこれまでやってきた演劇の中では、何かが私に欠如していました。重要なことはいかにしてエネルギーを感じさせるかということです。沈黙に耳を傾けること、それはよい方法です。

訳:片山幹生(SPACの会 会員)

※編集部注の補足
実際には吉植は記者の前で、両膝を床につき、踵に尻をつけた態勢で、『王女メデイア』(宮城聰演出)の使者の報告の一節を実演してみせたそうです。

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