「どの私が本当の私なのか?」
SPAC版「ハムレット」を観劇し、劇場を後にした私の頭にはそんな問いがぐるぐると渦巻いていました。
若き王子ハムレットは、亡くなった父の霊から、父を殺したうえ母と結婚し王座を乗っ取った叔父クローディアスへの復讐を命じられます。
復讐を誓ったハムレットは自ら狂った振る舞いの真似事をし、周囲を翻弄していきます。
私は、ハムレットがオフィーリアの愛を切り捨て、母を追い詰め、叔父を罵倒する姿を最初は同情の眼で見ていました。
―なぜこんなにも自らを孤独に追い込むのだろうか。
―ハムレットが救われることはないのだろうか。
―彼はこのまま人殺しへ突き進んでしまうのだろうか。
父を亡くしたハムレットの深い怒りと悲しみ、自らを孤独へ追い込んでゆく営みに宿る先の見えない不安を、観客である私は憐れみ見つめることしかできません。
しかし、物語が進むにつれ、わからなくなっていったのです。
果たして憐れむべき存在は自ら狂人を演じるハムレットなのか?
むしろ憐れむべきはオフィーリアに母に叔父、そんな真人間として生きている「つもり」の彼らなのではないか?
狂人を演じるハムレットはひたすら、亡き父の命令に忠実であろうとしました。
つまり狂人を演じることはあくまで彼なりの「真実の生き方」だったのではないか。
むしろ、ハムレットや周りの人間に嘘をつき、自分の心をもごまかし、自らを「真人間」と信じて知らん顔で生きるほうが、憐れな生き方なのではないか・・・。
物語の終盤、そう感じた私の目の前で、彼らの劇的な崩壊が始まります。
彼らは自らを真人間だと信じ疑うことないまま、本物の狂人へと突き進んでいきます。
それと同時にハムレットは、狂人を演じながら、純粋でまっすぐな心で、より深い「孤独」へと自ら一直線に溺れていったのです。
誰かにとっての狂気は誰かにとっての正気であり、誰かにとっての正気は誰かにとっての狂気なのかもしれません。
残酷です。
しかし、そんなドミノ倒しのような残酷な崩壊に、私はどこか美しささえ感じていました。
そんな自分を見つけた時、確かであると信じていた自分の良心さえ虚構の作り物のように感じられ、私は、自分が大きくぐらつくようなショックを受けました。
幕切れの後、私はじっと自分を見つめ、問いかけます。
この私はどこまでが演技で、どこまでが本当の自分なのだろうか?
目の前の舞台の中の舞台で演じる道化役者ハムレットに、私の心の中にひっそりと住まう「役者」の存在をさらりと暴かれてしまったようです。
SPAC版「ハムレット」。
一枚の銀色の布上で描かれる人間模様は、自分も知らなかった自分の素顔を照らしてくれました。その体験は、少しだけ苦くて、少しだけ、私を生きやすくしてくれています。
樫田那美紀(かしだ・なみき)
1993.7.21生
静岡大学人文社会科学部社会学科人間学コース所属。
出身地は石川県。晴れの国静岡での温暖な生活を絶賛満喫中。
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SPACレパートリー
『ハムレット』
2015年2月16日~3月12日
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