「ふじのくに⇄せかい演劇祭」のボランティア・静岡県立大学1年の酒井七菜子さんが『身も心も』の創作現場を訪問し、芸術監督ブリュノ・シュネブランさんに独占インタビューを実施しました。まだまだ全貌が見えない『身も心も』ですが、作品のコンセプトやイロトピーという集団の目指すものなど、ディープなお話をたっぷりと聞き出してくれました!
――現在滞在制作している『身も心も』はどんな作品ですか?
今回は「食」に関する作品を舞台芸術公園で滞在制作しています。同じような「食」に関する作品は、これまでもフランスをはじめ様々な国の街中で行ってきました。
私たち「イロトピー」という劇団は、常に公共の場所、開かれた場所でパフォーマンスをしています。ですので、作品の性格上、お客様には全部無料で観ていただくような作品です。県や市町村などの自治体が、我々の作品をお金を払って呼んでくれる、そのようになっています。SPACでは昨年、一昨年と2年続けて水の上での作品を上演しました。
今回のテーマである「食と身体」は、私たちのどこかに残っているカニバリズム(人の肉を食べる)という習性を探す、というものです。私は現代社会の中にそういった習性が今も残っているのではないかと思っています。
なぜ人間は、自分が愛した人を食べるのでしょうか?「食べる」というのは、ある意味象徴的な表現ですが、私たちは(愛した人を)すぐに食べてしまうのではなく、10年とか時間をかけて食べつくしてしまいます。
今回の作品では、俳優というのが観客にとっての食べ物になります。演劇的にどうやって俳優たちが食べられていくのか、そういう作品です。例えば俳優たちの動きを、観客が食べていくのです。それを比喩的に見せるために実際に食べられる食べ物を使います。それぞれの俳優がそれぞれ違ったキャラクターを持ち、それぞれが違った食べ物を違った身体の場所から食べさせます。
今回来日したメンバーの中にいるシリルさんは、コックさんです。彼が今やっていることは、どこにもない食べ物を創ること。でも折角日本に来たのですから、日本の食事から様々なインスピレーションを得たものを創ろうとしています。
観客が食べるのは一口程度の食べ物です。それらの食べ物が、シリコン等で作られたボディスーツに付けられています。その身体に付いた食べ物を、観客がそれぞれ自分の手で取ります。役者たちは取ってはくれません。観客が自ら手を出して取る必要があります。世界中に多くの食事がとれない人たちがいるんです。私たちが食事をとれる、物を食べられる、というのは、食べられない人がいるからです。ですから、(それを象徴的に示すためにも)観客が食べ物を自ら進んで取りに行く必要があるんです。
『身も心も』は、5月16日、17日に七間町名店街で上演します。今回ここ、舞台芸術公園で3月20日まで色々な制作をして、1度フランスに戻り、5月のショーを仕上げて戻って来る予定です。
私たちイロトピーは、こういった食べ物を使った企画をこれまで何本もやってきています。食べ物というのは現代社会において何であるのか、それは我々にとってとても重要な問題なんです。
私たちの劇団の仕事の仕方として、社会的な問題点を先ず見つけて、それに対してアーティストの立場で何を提言できるのか、それをテーマに沿って考えていく、そういった形で活動しています。今までも、例えば住居とか水、移動と運送をテーマとして掲げて作品を創りました。それから愛情、自殺についての作品も創りました。もちろん死に関してもです。
私たちの作品にはテキスト、台詞がありません。色々なイメージ、映像的なモノを創って、そこから演劇的なメッセージを伝えるということを考えています。私たちは、文章というものをひとつの栄養として取ります。食べ物のように。そこから映像的なイメージを発信していこうとしています。我々の芝居というのは、イメージ、映像といった画的な作品を創っているといえます。イメージ、映像と言っても、もちろんそれは実際に生きている、そこで動いている役者の身体を通してのイメージです。
――「テキストが無い」と仰いましたが、それでは結末がわからなくないのですか?
私たちの作品には、「語る物語」というものは無いんです。始まりも終わりもない。今行われていることを見せるだけなんです。
もちろん役者たちは話しませんが、ジェスチャーとか顔つきとか、あと態度とか、そういったもの全て含めて表現をします。
――食べ物を観客の方から取りに行くんですよね。観ている方としては気にはなってもちょっと自分から取りに行くのは怖いというか、ためらってしまうと思いますが、どうやって観客に食べ物を取らせるか、という部分をどのように考えていますか?
フランスでも90%以上の人が劇場に入ろうとしない、劇場で芝居を見ようとしない、それと同じことなんです。「劇場に来て」と言うことも、ある意味でとても難しい事です。ですから、これは俳優としてもチャレンジなんです。どうやって観客を「取っていいんだ」という気にさせるか、それが俳優のチャレンジです。俳優の仕事っていうのは、そういう風に相手を信じさせて惹きつけることなんです。
――距離は近いんですね、役者と観客の。
全くないです。観客と俳優が混ざり合うようにしています。
――劇場というひとつの場所にこだわらないのは何故ですか?
私たちにとっては、街そのものが舞台なんです。私たちは、自分たちの舞台を「街の中だ」と決めました。そして、水をテーマとしたら港に行ってしまおう、交通がテーマになったら、バスの中に入ってしまおう、という感じで創作しています。
――バスの中ですか!?それはどういうパフォーマンスですか?
バスの車内でのパフォーマンスでは、本当に街なかのバスを使ったり、イロトピーが持っているバスを交通機関にみせかけて使ったりして上演しました。他にも、バスの停留所に人が住んでしまおう、という企画もありました。
――観客は知らずに入って来るんですよね。
それはケースバイケースですね。バス会社と組んでやるときもありましたから。
フランスでは、バスに乗りたがらない人が増えています。バスに乗ると言えば、女性か、貧乏人か、すごく若い子か、老人か、移民という感じになるので。
色々な人をバスに呼びたい。そう思った時に、何かここでショーをやって人の興味を引こう、と思ったわけです。だけど、バスに乗れる人数が少なくなってしまうので、もう1台バスを後ろに付けて、観客にはそちらにも乗ってもらったりしました。
バスは外から見たらいつもと全然変わらなくて、運転手さんも普通にいるんだけれども、中に入ったら農場があったり、音楽を流して踊っていたり、トレーニングルームになっていたり…、コロコロ変わります。
――日本ではまだ上演したことはないんですか?
ヨーロッパの他の国では、何度かやったことがありますが、まだそれ以外のところではないです。
――このパフォーマンスは、バス会社から「お願いします」と依頼があるのですか?それともこちらが思いついて提案する、ということなんでしょうか?
基本的には我々の方から「こういうことができますよ」という提案をしてきています。
ただ、演劇とかパフォーマンスとか枠に閉じ込めるのではなく、ジャンルとかにとらわれないで、考え方を広げていく方が良いと思います。
――私はジャグリングをやっているのですが、いつも「お客様をどうすれば楽しませることができるのか」を考えています。どうやったらお客様の心を掴めるか、楽しんでもらえるのか、アドバイスを戴ければと思うのですが。
フランスには物語を語りながらジャグリングする人がいるのですが、これはショーとしてとても面白いです。
ただ、私たちの劇団には、ジャグリングができる人とか、アクロバットが出来る人とか、そういう人はいないんです。私は社会学的なところから、「社会をどう考えるか」というところから演劇を創作してきました。私は、芝居というのは、体を作っていなくても、声が出来ていなくても、特にテクニックを習っていなくてもできるもので、ただ社会というものの中にこうやって入っていきたい、という意思が必要なのだと考えています。演劇というものは、自分を表現するひとつの手段、道具なんです。
日本での、こういった全ての人たちとの関わりが演劇なんです。もうここは演劇の場で、これは舞台なんですよ、ひとりひとりに自分の役割がある。
【プロフィール】
ブリュノ・シュネブラン/『身も心も』演出家
パフォーマンス集団「イロトピー」芸術監督。1964年パリ生まれ。精神分析学、社会学、建築などを学び、舞台の技術監督や、コンテンポラリーダンスの照明デザイン、音楽劇などの美術デザインを行う。78年にカマルグ(ローヌ川下流の三角地帯)の小さな島と出会い、エコフレンドリーな生活を実践。80年にイロトピーの活動を開始。
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