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2015年3月31日

*ふじのくに⇄せかい演劇祭2015 見どころ紹介(6)* 〈開催直前シンポジウム〉 抵抗と服従の狭間で ―「政治の季節」の演劇―

文芸部 横山義志(海外招聘担当)

ふじのくに⇄せかい演劇祭2015のプログラムをランダムにご紹介していきます。
日にちも迫ってきましたし、せっかくなので、4/10(金)に行われる「開催直前シンポジウム〉 抵抗と服従の狭間で ―「政治の季節」の演劇―」の話も。
宮城聰新作『メフィストと呼ばれた男』のテーマに関連しています。
*ふじのくに⇄せかい演劇祭2015 見どころ紹介(3)* 『メフィストと呼ばれた男』こちら
 

『メフィストと呼ばれた男』のモデルとなったドイツの名優グスタフ・グリュントゲンスは、1920年代には共産党を支持する活動をしていたにも関わらず、ナチス政権下で州立劇場の芸術監督に就任しました。実はこのあと、今回の作品では扱われていませんが、戦後の西ドイツでもグリュントゲンスは活躍をつづけ、亡くなった1963年まで、公立劇場の芸術監督を歴任しています。

グリュントゲンスがメフィスト役で有名になったように、演劇にはいわゆる「悪役」も不可欠で、俳優には、自分の信条とは異なる言葉を発しなければならないこともよくあります。そもそも劇場では、いろいろな国の、いろいろな時代の作品が上演されますが、そのなかには、今・ここの価値観ではとても肯定できないようなものがたくさん含まれていたりもします。でも、それもすべて、これまで人間が考え、生きてきたことであり、自分とは異なる考え方、生き方を知ることこそ、劇場に行く意義なのではないかとも思います。だから俳優は、どんな価値観でも、自分のものとして演じることができなければなりません。

これはもしかすると、俳優だけの話ではないかも知れません。大学の先生も、必ずしも自分の信条にそぐわないものでも、その時代ごとに必要な様々な知識を、分けへだてなく教える必要があるでしょう。今回シンポジウムに参加してくださる高田里惠子さんは、『文学部をめぐる病い 教養主義・ナチス・旧制高校』で、戦中にはファシズム文学を礼讃し、戦後には自由主義・民主主義的な文学を紹介した独文学者たちを描いています。そして片山杜秀さんは、なぜ日本が近代化し、西洋の思想や状況を知るに従って、右翼思想やファシズムが力を持ってきたのかを分析しています。

でも私たちは、こういった歴史を知ることで、何を学ぶべきなのでしょうか? 一つ見えてくるのは、「中立的な知識」というのはありえない、ということです。それは「科学」と呼ばれているものにも言えることで、あらゆる知識は誰かが知りたいと思ったから得られたものであって、誰も知りたくなかったことに関する知識というのはありえません。あらゆる知識の向こう側には、ある時代を生きた人の欲望があります。そしてその欲望は、違う時代から見ると、なかなか理解できないものだったりもします。違った欲望を持っていると、世界は違うように見えるでしょう。人間には、はっきりと見えていないものを見る能力があります。それは想像力と呼ばれています。知識の多くの部分は、この想像力でできています。

今の時代に、多くの人が受け入れている世界のあり方は、そんな知識が寄り集まってできたものです。その向こう側には欲望と想像力があります。私たちが見ている世界は想像力で出来ています。だから、想像力によって世界を変えることもできるでしょう。フランスの1968年5月革命では「想像力に権力を!」というスローガンが掲げられました。これに対して歴史学者のポール・ヴェーヌは、『ギリシア人は神話を信じたか』で、「想像力は以前からずっと権力の座についているのだ」と語っています。つまり、ギリシア人がつじつまの合わない神話に疑いをもちつつも、公の場面では「信じ」ているかのように行動したのと同様に、私たちも、ちょっと前の人々や私たち自身の想像力がつくった「神話」を必要とし、それを「信じ」ているのです。

でも、そんな神話が、自分にとって納得のできないもので、しかも自分の人生に災いとなるようなものだったときは、どうすればよいのでしょうか。多くの人が信じている「神話」に抵抗するような神話をつくることは可能なのでしょうか。あるいは、そういう神話がすでにあったとしても、他の人とそれを共有していくことは、どうすれば可能になるのでしょうか。

最近終わった20世紀は、人類が誕生して以来のどんな時代に比べても、圧倒的に多くの人々の命が戦争によって奪われた時代でした。人が知識を得たと思ったときには、同時に何か大事なものを見失っているのかも知れません。だとすればそもそも、人が賢くなることは可能なことなのでしょうか?

もしかしたら、見失ったものだって、ちょっと遠くに目をやりさえすれば見つかるのかも知れません。

『メフィストと呼ばれた男』にも言及しつつ、高田里惠子さん、片山杜秀さん、SPAC文芸部の大澤真幸さん、大岡淳さん、そしてみなさんと一緒に、そんなことを考えてみたいと思います。
 

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〈開催直前シンポジウム〉
抵抗と服従の狭間で ―「政治の季節」の演劇―
4/10(金) 19:30~21:30
スノドカフェ七間町 (静岡市葵区) 【定員30名】

http://spac.or.jp/15_symposium.html
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