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2015年4月23日

『メフィストと呼ばれた男』稽古場ブログ9 出演者インタビュー渡辺敬彦

出演者インタビュー、今回は俳優ヴィクターを演じる渡辺敬彦です。


◆渡辺敬彦(わたなべ・たかひこ)◆

登場人物紹介◆ヴィクター
40年以上のキャリアを持つ俳優・演出家。左翼活動家としても有名。主人公クルトが国立劇場の芸術監督になる前にその任を務める

Q. 渡辺さんの演じるヴィクターはどんな人物ですか。
 私が演じるヴィクターは、舞台となる劇場の芸術総監督だった俳優です。ナチが第一党になると、ナチスはヴィクターの後輩の俳優クルトを利用しようと彼を芸術総監督にし、ヴィクターはその地位を失います。ヴィクターは共産党員でばりばりの活動家でもあったので、ナチスはそれが気に入らなかったというわけです。俳優として劇場には残るのですが、その後も続けた政治的活動により、ナチスに長年拘束されることになります。ヴィクターは芸術や演劇よりも、政治活動に重きをおいた人物と言えるかもしれません。


【稽古風景より】


【稽古風景より:左はクルトを演じる阿部一徳】

Q. ヴィクターとクルトの2人を比較すると、同じ俳優・演出家でも、それぞれがやりたかったことはかなり違ったという印象を受けますが…
 ヴィクターも演じたり、役者として舞台に出たりするのがまずは好きだった。演劇に限らず、芸術というのは、まずは自分のために始める。そして演劇であれば、お客さんがお金を払って劇場に来て、生身の自分が演じるのを観て、笑ったり泣いたりしてくれることに喜びを感じる。そのうちに、自分のために始めた活動が、お客さんのためとか、誰かのためとか、人を幸せにするためとか、世界を平和にするためとか、そういう気持ちで支えられるようになる。そして更には、自分の芸術を通して何かメッセージを伝えていきたいと、だんだん気持ちが変わってくると思うんです。そうすると、お客さんが求めることに応えようと媚を売り、自分の本来やりたいことよりも、誰かの求めるものを満たすことを優先して作品を作るようなことにもなる。いつまでもオレはこれがやりたいんだと自分のやりたいことだけを求め続けるのは、独りよがりになりかねない。問題は、バランスだと思うんです。
 ある時からヴィクターは人々の関心を政治に向けるようにと政治的活動を始め、自分の仕事である演劇でもそれを目指していくようになった。ヴィクターはどんどんそちらの方向に進むことで、バランスを失ってしまった人なのではないかなと思います。
 演劇でも映画でも芝居でも、登場人物はそのひとつの作品の中で何らか変化を見せます。そういう観点からみると、主人公のクルトは、実はこの作品の中で、唯一最初から最後まで、その軸が変わらなかった人かもしれないと思います。クラウス・マンが書いた原作『メフィスト』の副題には「出世物語」とあるので、彼は出世のために自分を変えてナチスに迎合していったとも見える。社会の状況が変わったのであれば、それにあわせて自分たちの演劇も変えていかなくてはいけないと、政治的な方向に転換したヴィクターにしてみれば、クルトの選択はナチスへの迎合にしかみえません。けれどもクルトは、実は、状況にあわせて自分をかえずに、昔と同じように自分がやりたい芸術として演劇を続けることを選んだ。そのことがヴィクターには、クルトは変わってしまったと映るのかもしれません。


【稽古風景より:『桜の園』でガーエフを演じるヴィクター演じる渡辺】

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SPAC新作『メフィストと呼ばれた男』
4/24(金)・4/25(土)・4/26(日)
静岡芸術劇場
http://spac.or.jp/15_mefisto-for-ever.html
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4/10演劇祭開幕直前 『メフィストと呼ばれた男』関連シンポジウム
【抵抗と服従の狭間で―「政治の季節」の演劇―】の動画を公開しました!
http://spac.or.jp/15_symposium.html
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