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2015年8月26日

ANGELSの稽古を見ながら、カメルーンみたいな日本と世界を夢想する

SPAC文芸部
横山義志

『タカセの夢』につづいて、カメルーン出身の振付家メルラン・ニヤカムさんが静岡の子どもたちと新作『ANGELS』を作ってくれている。昨日は通し稽古。『タカセの夢』とは、つながっているようで、けっこう違う世界。ニヤカムさんの稽古場に足を運ぶたびに、なんだかそこにいる子どもたちがうらやましくなる。あまりにかっこよくて、美しくて。こういう美しさというのは、日本であまり見る機会がないような気がする。自分の美しさに確信を持っている美しさ。

『タカセの夢』をはじめるときに、「日本の子どもたちがアフリカの子どもたちみたいにおしりを振ってくれるようになったらいいね」なんて話をしていた。実際に作品作りがはじまって、ちょっと分かった気がする。踊るアフリカの子どもたちが持つ不思議な魅力はきっと、自分のおしりが、そしてその動きが美しい、ということに確信を持っているところから来ていたんじゃないか。ニヤカムさんは子どもたちに、「朝、鏡に向かって、自分はなんて美しいんだろう、と言ってみるといい」という話をしていた。

でも美しさは、だれかが見ないかぎり、存在しない。そして他のだれかと分かちあえば分かちあうほど、美しさは増えていき、強くなっていく。分かちあうものとしての美しさ。そして誰かより美しいのではなく、それ自体としての美しさ。人の美しさを見つけることで、自分の美しさも発見することができる。だけど、それは他の誰かと同じものを見つけるからではなくて、同じ視線で、違うものを見つけるからだろう。モデルのない美しさ。そもそも体にも動きにも、他の人と同じものなんて一つもない。

去年『タカセの夢』のツアーではじめてカメルーンに行ってみて、本当に人も踊りもいろいろで驚いた。カメルーンには200以上の言語があるという。ちょっと山を越えると、そこには別の民族が住んでいて、別の言葉を話していて、別の踊りがある。首都ヤウンデにはそんないろいろな人たちが国中から集まっていて、ことあるごとに、いろんな踊りを踊っている。言葉が通じないときにも、踊りは大事なコミュニケーションの手段になるらしい。違っていても、一緒に分かちあって、楽しめるものがあるということ。料理みたいに。

日本列島にはいろいろな歴史の偶然で、千数百年前にはけっこう大きな国ができて、多くの人がそれなりに同じような言葉を話すようになっていった。でもその前にもそのあとにも、このあたりには南から北から、西から東から、いろんな人たちが次々とやってきている。もしかしたら、違う歴史の偶然で、日本もカメルーンみたいな国になっていたかも知れない。実際子どもたちの顔を見てみれば、顔の形も肌の色も、カメルーンに負けないくらい、すごくいろいろだ。

国ができて、国境ができて、でも国境も少しずつ簡単に越えられるようになってきた。地球が一つになっていく。でもそのときに、言葉も一つでいいんだろうか。言葉には「同じ言葉」がある。「同じ」でないと通じないから、「同じ」ものがあるということにしてしまう。だけど体には、「同じような」体はあっても、「同じ」体はない。「同じ言葉」ではなくて、「同じような体」を持っていることで結びつくような、「一つになる」別のやり方もあるんじゃないか。そしてそのきっかけになるのは、他の人の美しさを見つけることなんじゃないか。「美しい」という気持ちは、同じだけど、同じじゃない。同じ「美しい」という言葉を使ってみても、そのときどきで、見つけるものも、感じるものも、全然ちがう。だけど、それが大事なもの、うれしいもので、分かち合うほど増えていき、強くなるものだということには変わりがない。そんな美しさが、地球が一つになっていくときにみんなが話す言葉になっていけば、もっと楽しい世界になるんじゃないだろうか。

この静岡の子どもたちが、そんな世界を作るために、これからもう一年過ごすのかと思うと、やっぱりうらやましく思えてくる。

スパカンファン・プロジェクト
『ANGELS』
日時:8月29日(土)16時開演、30日(日)12時30分開演/16時開演
場所:舞台芸術公園 稽古場棟「BOXシアター」

詳細は↓
http://spac.or.jp/angels_201508.html